エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【347】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2017年3月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めて暮らしたい
「ナリチュウ」という言葉をご存知だろうか。「今後の成り行きに注目」の略だ。
新聞記事やTVニュースなどの締めくくりによく使われる。あるいは、使われていた。
紋切り型の文章の典型例として、このフレーズが取り上げられる際にそう呼ばれる。「“成り注”式の決まり文句を何も考えずに使用するのは避けたい」という具合。
あるある的な言い回しを短縮形にして茶化す“成り注”という略語の響きがキャッチーなのか、文章講座などで好んで取り上げられる。それこそ、お決まりのアドバイスの一つである。
だからか、“成り注”は昨今あまり目に、耳にしなくなった。でも、“成り注”さえ使わなければいいとでも思っているのか、他の決まり文句は使い放題のようだ。
例えば、「トランプ氏の当選によって分断国家アメリカの問題点が浮き彫りに」とか。“浮き彫り”なんて言葉、日常生活で使うことなどめったにないのに、ニュースでは日に何度も聞く。
もっとも、記事やニュース原稿なんて、そもそも紋切り型でいい、ともいえる。
何がいつどこで…をはじめとする情報の概略が要領よく伝われば十分なわけで、記者やキャスターの意見なんて不要だし、文学じゃないんだから別に表現の工夫なんて期待していない。
もっと言えば、紋切り型の文章は短縮形で誰にでも通じるほどに普及したほうが「トランプ大統領の恫喝的かまし外交の成り注」というふうに、締めは文字数3つで済むし、読み上げる時間も短縮できる(笑)。
「これをきっかけに、地域活性化を模索する動きが加速しそうだ」は“ウゴカソ”、「よりいっそうの経済協力が必要との認識で一致した」は“ニンイチ”、「訴状が届いていないのでコメントできないとしている」は“ソコナイ”とでも略す?
ところで、コンピュータの進歩によって、将来なくなるかもしれない職業の一つに記者を挙げる予測レポートがあるようだ。機械やコンピュータに取って代わられるといえば単純作業の職業が主で、知的なイメージの記者は意外に思える。
しかし、5W1Hなどの情報を重要な順に記す定型の文章構成で、情報を決まり文句や紋切り型の言葉でつないでいくニュースなら、確かにコンピュータにもできそうだ。ウゴカソで成り注。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)