エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【339】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2016年7月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めてくらしたい
『犬神家の一族』(角川文庫)を四十年ぶりに読み直した。
映画化と原作本の連動広告戦略による横溝正史ブームだった中学生の頃に、一度読んだきりだと思う。
よくできた娯楽読み物であり、ミステリーとしても優れていると改めて感心した。
というより、前回よりも、その後多くの小説を読んできた今のほうが、この物語の面白さがよくわかる。
いや、もっと言えば、おどろおどろしい血族の因縁話という強い印象から、推理小説としてはあまり本格的ではないと、子どもながらに軽く見なしているところがあったのかもしれない。が、それは誤りだった。
もっとも、ここで『犬神家の一族』の内容について論じようというのではない。
読んでいて、近年の小説でそれほど目にすることのない語や言い回しが結構出てくることに興味を持ったのだ。
例えば、小説が始まってすぐの六段落目に「その鴻恩がよほど肝に銘じていたらしく」、続けて「さすが卓抜不羈な佐兵衛翁も」。
次のページには「むろん眼に一丁字もなかったが」。さらに二ページ後に「生糸が輸出産業の大宗となるに及んで」とある。
文脈、また熟語の一部から、文章全体としての意味はとれる。
しかし、正直言って知らない言葉もあった。知識としては頭に入っていても、自分ではまず使うことのない漢語も少なくない。
漢字クイズ代わりに、もう少しだけ抜き書きしてみよう。
「遺言状の内容と、それを囲繞する犬神家の一族」
「斧琴菊(よきこときく)という嘉言があるそうですね」
「いかにも蕭条たるながめであった」
「亭々として杉の大木がそびえ」
「縹渺たるにおいが」
「煙幕の背後に揺曳している神秘」
「恬然として頬かむりでとおせるような」
「一時間あまりも輾転反側していたが」
「つめたい戦慄と緊張とが(中略)瀰漫している」
「蹌踉とした足どりで」
「朱羅宇のきせるでたばこをすっている」
「偶然をたくみに筬にかけて」。
読みと意味は……どうぞ、ご自分で調べてみて下さい。
横溝正史は明治三十五年生まれ。
一大ブームの渦中の人となったのは昭和五十年以降だが、『犬神家の一族』の雑誌連載は敗戦直後の二十五、六年だった。
小説発表当時の読者にとっては、特に難しい言葉ではなかったのかもしれない。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)