フットハットがゆく【285】「思い出」|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、塩見多一郎さんのエッセイ「フットハットがゆく」を2001年11月16日から連載しています。
MK新聞2017年8月1日号の掲載記事です。
思い出
僕が京都でMKタクシーに乗っていたのは1996年~97年頃、僕が27~28歳の頃です。その頃の思い出話です。
タクシードライバーになるためには第二種運転免許が必要ですので、入社してからの研修期間に自動車教習所に通い、二種免取得を目指します。
一種免許は持っていますから、普通に車の運転はできます。
二種免教習以外の時間はMKの社員教習として、教官とともに街に出ます。
教習車に研修員数人が乗り合わせ、教官指導のもと順番に運転、タクシードライバーとしてのノウハウを学びます。
ある日、その教習車でとある豪邸の前につけました。青木定雄会長のお車の運転手を、新人研修員が担当するのです。
会長がガレージに来られ、研修員が車の前に呼ばれました。
「エンジンの点検をしなさい」と、おもむろに言われました。
何ヵ所か点検項目があるのですが、エンジンオイルの点検の段になって僕は焦りました。
方法は、エンジンからオイルレベルゲージという棒を引き抜き、いったんその棒全体に付着したオイルを拭きとります。
ゲージをエンジンに戻し、もう一度抜きます。そこで、棒のどこまでオイルが付着しているかでオイルの量が正常かどうか分かります。
また、オイルの汚れ具合も見ます。やり方がわかっていても、なぜ焦ったかというと、最初に棒のオイルを拭き取るための、ティッシュの持ち合わせがなかったのです。
ゲージ棒を引き抜いて「誰かティッシュ」と聞きましたが、その場の全員が持っておらず、オタオタとなりました。
会長の前でこの段取りの悪さはまずいと思い、僕はとっさにポケットから白手袋を出してオイルを拭こうとしました。
MKドライバーは白手袋をして車を運転します。研修員もその白手袋をしていたのですが、エンジン点検で汚れてはいけないので、外してポケットに突っ込んでいました。
その白手袋を出してオイルを拭こうとしたら、会長にガッと腕をつかまれ、
「そんなんで拭かんでええ!」と怒鳴られました。
「もうええ、戻せ」といわれ、結局そのままゲージ棒を戻しました。
「誰が一番年上や?」という話になり、その人が会長の車を運転して本社まで送りました。
僕が青木定雄会長と直接やり取りがあったのは、それが最初で最後でした。もちろん、定例の集会や、本社でお見かけすることはよくありましたが。
無事タクシードライバーになって、乗ってきたお客さんに、
「俺、青木会長の知り合いや」と言われて恐縮し、ガレージに戻ってからベテランの先輩にそのことを話すと、
「京都は青木会長の知り合いだらけや、年間何十人と乗ってくる」ということでした。ホンマかいなと思いつつ、1年、2年とMKドライバーを続けますと、それこそ何十人と青木会長の知り合いと名乗る人が乗ってきました。
それは本当に知り合いの場合もあれば、MKでそう言っておけば料金をまけてもらえるかも、という都市伝説もあったようです(笑)。
実際に青木会長がお客として乗ってきて説教をされた話とか、MKタクシーに乗ったら青木会長自身が運転手をしていた、とか、お客さんやドライバーの間で、しょっちゅう話題に出たことを思い出します。御冥福をお祈りいたします。
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