フットハットがゆく【256】「少年竹村物語」|MK新聞連載記事

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フットハットがゆく【256】「少年竹村物語」|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、塩見多一郎さんのエッセイ「フットハットがゆく」を2001年11月16日から連載しています。
MK新聞2015年3月1日号の掲載記事です。

 

少年竹村物語

僕がディレクターをしているダンス番組の、MCでありプロデューサーでもある竹村さん、通称TARBO(ターボー)さんについて、先日テレビ取材したので書きます。

今から30年前の1985年、中学1年生だった少年竹村は、京都府亀岡市立東輝(とうき)中学校に入学。
バスケ部に入部しました。
初日の練習は体育館の外回りランニングでありました…が、少年は1周目で走るのが嫌になり、その足で帰宅。
バスケ部を体育館1周で退部しました…。
その頃、少年竹村が興味を持ったのが1983年公開の映画…
「フラッシュダンス」。そして映画「ブレイクダンス」の1と2。
実家の隣がレンタルビデオ屋だったこともあり、この3本の映画を5年間、何度も何度も借り続けました。
途中から店員さんもあきれて、タダで貸してくれたほど…。ついに店がつぶれるときには、
「もうやるわ」
と、そのビデオをくれたそうです。

それほどダンスに影響を受けた少年竹村。中学生の頃は毎週土曜日、1人で京都市までダンスを習いにいきました。
亀岡市から京都市まではちょいと距離がありますが、休むことなく毎週通い続けました。
当時のブレイクダンスの先生が、今のダンス界の重鎮、マシーン原田(ADHIP)さんたちでした…。
「当時の竹村くんは練習に来てから帰るまで、たったの一言もしゃべらないおとなしい子だった…」
と、原田さんから聞いております。

高校、大学とダンスを続け、TARBO(ターボー)というダンサーネームを得てからの少年竹村の活躍は、京都、関西にも響き渡りました。
90年代終わりの頃、当時ストリートダンスというとどうしても、「不良」「派手」「態度がわるい」「反抗的」というイメージがつきまとい、そういったダンサーの地位向上を目指すことを目的に、TARBOは京都にB-TRIBEを設立。
様々なイベントや発表会を、これまでになかった規模とペースで開催し、ストリートダンスのイメージを覆していきました。

それから15年ほどたち、中学校体育の必須科目にストリートダンスが取り入れられるなど、教育的、文化的観点からもストリートダンスが認められる時代が来ました。
2014年夏には、亀岡市の体育教員のための講習会講師としてTARBOが呼ばれました。
そして2015年冬には、なんとTARBOの母校でもある亀岡市立東輝中学校の全校生徒約600名に、ストリートダンスを教えにいったのでした。
中学1年の時、体育館1周でバッシュを脱ぎ捨てた少年竹村が、30年間ダンスシューズをはき続けて母校に凱旋。
校長先生はじめ諸先生方、大勢の生徒さんに温かく迎えられ、ボールをつくことのなかった大きな体育館で、700名の子どもたちにダンスを教えたのでした…。
これぞまさに故郷に錦を飾るというか、30年前にこの風景を想像した人は、おそらくゼロに近かったでしょう。

それが好きだ…という時点で、その人はその才能を生まれ持っているのだと思います。
そうやって今の少年たちの30年後を思うと、本当にわくわくしますね!

B-TRIBE TV 編集後記
(参考)B-TRIBE TV は毎週木曜深夜24:00〜 KBS京都放送でオンエア中!

 

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