MKタクシーのMKって何?”M”と”K”は何に由来しているのか

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MKタクシーのMKって何?”M”と”K”は何に由来しているのか

京都を中心に、全国8都市で展開しているMKタクシー。
他に全国有数のタクシーグループといえば、第一交通、日本交通、国際自動車、彌榮自動車・・・などがありますが、いずれも名称の由来もだいたいわかります。
では、MKタクシーは何故”M””K”タクシーなのでしょうか。
その知られざる由来とは。

 

 

MKタクシー誕生まで

1960年 ミナミタクシーの創業

京都新聞 1960年11月26日号

京都新聞 1960年11月26日号

MKタクシーの前身であるミナミタクシーは、1960年10月26日に創立しました。
永井石油(現:MK石油)を経営していた青木定雄が、新たに新規免許を受け、わずか10台からのスタートでした。

ミナミタクシーの由来は、営業所が南区西九条東島町にあったことです。
平安京の最南端は九条大路で、今の九条通にあたります。
そのすぐ南にある、母体である永井石油の本社に併設される形で開業しました。
事業の拡大にともない手狭になり、わずか4年後の1964年にミナミタクシーは上鳥羽へと移転し、自前の営業所を構えました。

その後、本社は1968年に伏見区竹田(現:MKタクシー伏見営業所)、1980年に北区上賀茂(現:MKタクシー上賀茂営業所)、2007年に油小路九条の南区西九条へと移転していくことになりますが、それはのちのお話です。

 

1963年 桂タクシーを買収

桂タクシー本社

桂タクシー本社

ミナミタクシーより遅れること4ヶ月の1961年3月10日、花背の林業家らによる桂タクシーが15台で創業しました。
桂タクシーの名称の由来は、営業所が桂川の西岸一帯を指す広域名称である桂にあり、その中心部である阪急桂駅近く(川島有栖川町)にあったことです。
林業家という門外漢によって経営された桂タクシーは、激しい労働運動という背景もあり、当初から業績は低迷し、わずか2年でミナミタクシーの青木定雄によって買収されました。
買収後も桂タクシーの商号を維持しましたが、営業所は1968年に伏見区竹田(現:MKタクシー伏見営業所)へと移転しミナミタクシーと同居することになります。
MKグループが桂に縁があったのは8年間だけです。

このミナミタクシーと桂タクシーの両者が今のMKタクシーへと発展していくことになります。

ロゴは永井石油の逆三角形のものがそのまま使われていた

ロゴは永井石油の逆三角形のものがそのまま使われていた

 

1969年 新しい給与制度名がMKのはじまり

当時のタクシードライバーは、今では考えられないほど質が悪いもので、乗車拒否や乱暴運転は当たり前でした。
中でもミナミタクシーや桂タクシーは京都でもレベルが低いタクシーとして知られていました。
これを改善するには、まずドライバーの給与を高めることが必要と感じた青木定雄は、新たに営業効率アップと経費の削減が可能な新しい給与システムを考案しました。

簡単にいうと、売上から一定の経費を差し引いたものが給与という透明性の高い給与制度です。
社内で希望者を募り、1969年9月から新しい給与制度が試験的にはじまりました。
そして2ヶ月の試行期間を終え、労働組合との協議の結果、1969年11月から大部分のドライバーに新給与制度を適用することになりました。
適用を直前に控えた1969年11月19日に行われたミナミ桂タクシー労働組合との協議の中で、新しい給与制度を、ミナミタクシーのMと桂タクシーのKを取り、MKシステムと名付けられました。

 

1970年 MKを冠した名称が次々に

これ以降、社内ではミナミタクシーと桂タクシーの総称としてMKが使われるようになり、従業員を「MK社員」というようになりました。

街頭アンケート調査を行うMK婦人会

街頭アンケート調査を行うMK婦人会

1970年2月には、ドライバーを家庭からささえるために「MK婦人会」が結成され、1970年12月より発行が始まった今のMK新聞の前身は「MK速報」と名付けられました。

MK速報

MK速報

1971年1月に完成し今も引き継がれている社歌が「MK賛歌」、1971年2月に完成した、社員向けに安価に分譲する団地は「MK団地」、とMKの名を冠した名称が次々と名付けられました。
1971年7月にオープンした山科のボウリング場は、建設中は仮称「永井ボウリングセンター」と呼んでいましたが、まだ知名度が低かったMKタクシーの名を採り、「MKボウル(現グランドボウル山科)」と命名されました。

MKボウル

MKボウル

当時の社章は今のハートのマークとは異なり、丸の中にアルファベットのMKと書かれたシンプルなものでした。

1971年の新年年賀式。このとき社歌であるMK賛歌が制定された

1971年の新年年賀式。このとき社歌であるMK賛歌が制定された

 

1972年 MKタクシーの誕生

このころまでは、社内ではMKという名称は普通に使われるようになっていましたが、対外的にはミナミタクシーと桂タクシーであり、MKという名称を知る人は多くはありませんでした。
社内的な用語であったMKが知られるようになるのはこれからです。
1972年5月から、タクシーの社会的地位を向上させるため「タクシーを市民に返す運動」を始めました。

それに先立ち、今でいうCI(コーポレートアイデンティティ)として堂本印象の甥である堂本捷二氏デザインによる新しいロゴマークを作成し、4月23日からタクシー車両のマークを変更しました。
これ以降、MKタクシーとして市民に親しまれるようになりました。

ロゴの中央に「ミナミ」と「カツラ」と記載することで両社を区別

ロゴの中央に「ミナミ」と「カツラ」と記載することで両社を区別

堂本印象(1891年~1975年)は、酒造業を営む堂本伍兵衛の三男として生まれました。
長男は演劇評論家の堂本寒星、次男は漆芸家の堂本漆軒、四男が印象に尽くした堂本四郎です。
MKタクシーのロゴを作った堂本捷二は、次男の堂本漆軒の息子にあたります。
堂本捷二の兄は日本画家として活躍した堂本阿岐羅です。
長男の堂本寒星の娘婿で養子の堂本元次も日本画家として活躍しました。
四男の堂本四郎の息子の堂本尚郎は日本画家から洋画家転向して活躍しました。

堂本捷二は1931年に生まれ、染色家として活躍し、日展入選も6回を数えます。
第一工業製薬のデザイン担当となり、広告会社の協和広告へ移り、グループ会社の社長まで務めました。
MKタクシーのロゴを製作したのは、協和広告時代のことでした。

 

1977年 合併によりエムケイ株式会社に

MKタクシーと名乗るようになってからも、法人としてはミナミタクシーと桂タクシーの二社に別れていました。
しかし、様々な事務処理の煩雑化を避けるため、1977年にミナミタクシーと桂タクシーの両社は合併することが決まり、新たな商号はエムケイ株式会社となりました。
MKの名前ができて8年が経過していました。

合併の認可書

合併の認可書

合併会社はミナミタクシー株式会社、被合併会社は桂タクシー株式会社で、合併とともにエムケイ株式会社と改称しました。
MK株式会社でなかったのは、単に2002年に解禁されるまでは商号にローマ字を使用することは禁止されていたためです(かつてはNTTドコモもエヌ・ティ・ティ・ドコモでした)。

1986年には、MKグループのルーツである永井石油もMK石油へと改称し、今のMKグループが成立しました。
なお、永井石油というのはかつて永井家が明治以来経営していた老舗油商「永井商店」に由来します。
永井商店は戦後の経営不振でによる倒産後、MKグループ創業者である青木定雄が経営を引きついでいました。

 

 

MK発祥の地の現況

以上のとおり、MKタクシーは前身のミナミタクシーと桂タクシーに由来するものです。
いずれも「ミナミ」「桂」という京都の地名を冠したものです。
最後に、それぞれの創業の地の現況を紹介します。

ミナミタクシー創業の地

MKグループ本社駐車場

MKグループ本社駐車場

手狭になったミナミタクシーが移転したあとも、永井石油(MK石油)本社及び東寺サービスステーションとしてMKグループの重要拠点として使用されていました。
1992年にMK石油本社がすぐ近くの九条油小路へと移転し、残された東寺サービスステーションも2006年に閉鎖されました。
現在は、九条油小路に集約されたMKグループ本社の駐車場として使われています。

 

桂タクシー創業の地

川島有栖川町

川島有栖川町

前述のとおり、桂タクシーは1968年に移転し、跡地は住宅地となっています。
概ねこの駐車場のあたりにかつての桂タクシーがありましたが、今は何の痕跡も残っておりません。

この桂の地にあったのはわずか8年間のことでしたが、それから50年以上を経た今もMKタクシーの”K”としてその名が残っています。

MKタクシーのMKとは、京都市南区の”ミナミ”と桂川や桂離宮などで知られる”桂”に由来するということが、末永く語り継がれてもらえることを願っています。

MKタクシーホームページ

 

 

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