「五山の送り火」が全部見える穴場のイオンモール京都五条の屋上

観光
「五山の送り火」が全部見える穴場のイオンモール京都五条の屋上

京都で毎年お盆の8月16日に行われる伝統行事の五山の送り火。大文字が有名ですが、「五山の送り火」というとおり、京都を取り囲む山々の五ヶ所で点火されます。
京都市内のたいていのところからは五山の送り火が一つくらいは見えます。五ヶ所とも全部見える鑑賞ポイントもいくつかありますが、かなり早くからの予約が必要であったり、抽選制の狭き門だったりします。
そんななか、費用も場所取りもいらない穴場の五山の送り火鑑賞スポットがあるのをご存じでしょうか?西小路五条にあるイオンモール京都五条は送り火の穴場スポットとして地元民にはよく知られています。
イオンモール京都五条の屋上駐車場からは、大文字、妙法、舟形、左大文字、鳥居形の五山の送り火を全部見ることができます。

取材日は2018年8月16日
注:2024年はイオンモール京都五条の屋上一般開放は行われません

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イオンモール京都五条について

2004年オープンのショッピングセンター

京都を拠点とする島津製作所の五条工場の跡地に2004年に作られたショッピングセンターがイオンモール京都五条です。
京都では初のショッピングモール型のショッピングセンターとして、京都の小売業界に大きな影響を与えました。
ダイヤモンドシティハナ → イオンモール京都ハナ → イオンモール京都五条と名前が変わってきました。

 

ガイドブックに載ることのない全部見える穴場

毎年8月16日の京都・五山の送り火では、五山の送り火限定で屋上駐車場が一般に公開されます。
左右の大文字、妙法、舟形、鳥居形の五山の送り火が全部見えるという恵まれた位置にあるためです。

京都の地元民の間ではそれなりに知られた、五山の送り火が全部見える穴場鑑賞スポットです。
しかし、京都紹介のガイドブックには載ることはない、まさに知る人ぞ知る穴場です。

五山の送り火が全部見えるだけあって、多くの人が集まりますが、五山の送り火の時以外は駐車場に使われているくらいの広い敷地のためそれほどの混雑ではありません。
おすすめの五山の送り火鑑賞が全部見える穴場です。
こんな穴場を提供いただいているイオンモール京都五条さんには感謝です。

 

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イオンモール京都五条から見る五山の送り火

五山の送り火「大文字」が激しく燃え盛る

20:03 イオンモール京都五条の屋上 2018年8月16日 撮影:MKタクシー

20:03 イオンモール京都五条の屋上 2018年8月16日 撮影:MKタクシー

20:00からはじまる、京都のお盆行事を代表する伝統行事である五山の送り火。
記者は仕事の都合で、地元では有名な五山の送り火が全部見える穴場であるイオンモール京都五条へと到着したのは20:00ジャスト。
混雑するエレベーターでイオンモール京都五条の屋上へいくまで時間がかかり、20:03に屋上駐車場へとたどり着きました。

 

口コミだけで集まる地元民たち

既にイオンモール京都五条の屋上にある駐車場は穴場とはいえたくさんの人が集まっています。
五山の送り火鑑賞スポットの穴場とはいえ、宣伝はされずとも口コミで京都の地元民のあいだでは知られる五山の送り火が全部見える鑑賞スポットです。
今回が初めてのため口コミによる伝聞情報ですが、毎年少しずつ集客は増えているそうです。

イオンモール京都五条の屋上駐車場は面積が広いため、前の方はともかく身動きができないとかいったことは全然ありません。
どこも人ごみでいっぱいな京都の五山の送り火鑑賞スポットよりも穴場なのは間違いありません。

壁際だと壁が邪魔で五山の送り火を全部見るためにはカメラを頭上に持ち上げなければなりません。
むしろ後方からの方が五山の送り火がよく見えるくらいです。

五山の送り火の時間帯は、屋外灯や広告灯もできるだけ消灯するのが京都の心ある人のマナーのため、いつもより暗めの市街地です。

20:04 燃え盛る「大文字」 2018年8月16日 撮影:MKタクシー

20:04 燃え盛る「大文字」 2018年8月16日 撮影:MKタクシー

 

点火から5分も経たず激しく燃え盛る大文字

イオンモール京都五条屋上駐車場の穴場鑑賞スポットより東を見ると、五山の送り火で最初に点火される大文字が既に燃え盛っています。
五山の送り火点火からわずか4分ですが、激しく煙を出しながら大文字が夜空を赤く照らしています。
正面から見るのも良いですが、斜めから見るのも五山の送り火が全部見える穴場らしくきれいです。
左はらいにキュンときませんか?

【MKグループ公式チャンネル】

 

五山の送り火の代表「大文字」

京都のお盆を彩る五山の送り火を代表する大文字の横の線(一画目)は長さ80mあります。
五山の送り火でも最も有名なものです。
大文字の火床は標高472mの大文字山の中腹にあり、麓には銀閣寺が位置しています。左大文字に対して右大文字とも言われますが、単に「大文字」といえばこの大文字を指します。
五山の送り火のことを単に「大文字」と称することも少なくありません。

 

火床からの景色も見て欲しい大文字

大文字の火床 2010年1月17日 撮影:MKタクシー

大文字の火床。MKタクシーの女子職員が新聞に載りました 2010年1月17日 撮影:MKタクシー

大文字が五山の送り火の代表として扱われるのは、五山のうち二つを占める「大文字」の大きい方だからという理由もあるでしょうが、もっとシンプルに火床(かしょう)が一般に公開されているという点も見逃せません。
火床には立ち入りに制限があったり、荒れた登山道しかない他の四山とは異なり、大文字の火床は誰でも自由に立ち入ることができます。
京都を代表するハイキングコースでもあり、かなりの京都人が登った経験があるはずです。

火床から見る京都は、まさに「山河襟帯」「山紫水明」。碁盤の目の美しい街です。
こんな景色が見られるのも、五山の送り火のために作られた火床があるおかげです。
山上りにはなってしまいますが、大文字の火床から見た京都市街は、京都観光では是非訪れてみてほしいスポットです。

大文字のある山を大文字山ということもあれば、如意ヶ岳ということもあります。
この2つは厳密には異なる山です。
大文字の火床からさらに東へと700mほど上ったところにある広場が大文字山の山頂です。

465mの三角点がある広場は、ハイキングに訪れた人々の憩いの場です。
山頂からは南の方向への雄大な展望が広がります。

大文字山の山頂より 2010年1月17日 撮影:MKタクシー

大文字山の山頂より 2010年1月17日 撮影:MKタクシー

如意ヶ岳の山頂は、大文字山の山頂からさらに1.5kmほどアップダウンを繰り返しながら東へと進んだところにあります。
大文字山よりも6mだけ高い標高472mです。
大文字山の山頂と比べると訪れる人も稀です。

山全体を如意ヶ岳といい、その支峰が大文字山という関係にあります。
ただし、全体を大文字山と呼ぶことが一般的です。

京都と近江を隔てる尾根沿いには京都と大津を結ぶ脇街道の如意越えにあります。
山頂部には間道を押さえる見事な戦国の山城跡(如意ヶ岳城)があります。
三重の空堀と土塁、切岸は今も観察できます。山城好きには萌えポイントです。

五山の送り火のうち大文字を担当するのが麓の浄土寺にある大文字保存会。
構成する家は世襲制で、家ごとに75ある大文字の火床の担当が決まっています。

20:05 燃え盛る「大文字」 2018年8月16日 撮影:MKタクシー

20:05 燃え盛る「大文字」 2018年8月16日 撮影:MKタクシー

 

ちょっと遠いのが玉に傷の大文字

ただし、五山の送り火が全部見える穴場であるイオンモール京都五条は、東山からは離れており遠いです。
大文字まで直線距離で7.5kmあります。
肉眼で見る分にはじゅうぶん大文字がくっきり見えますが、撮影するには望遠レンズが必須です。
普通のスマホで京都東山にある大文字を撮影することは、なかなか難しいでしょう。

5分後には五山の送り火の先頭を切った大文字の送り火の激しい燃焼は終わりました。
イオンモール京都五条の屋上には五山の送り火鑑賞の穴場とはいえ若干ですが屋台が出ており、売り子さんの声も響きます。
これからも京都の五山の送り火が全部見える穴場を無料公開してもらうためには、お金を落とすのも大事です。手ごろな値段なので、ぜひご協力を。

 

大文字を巡る都市伝説

五山の送り火の大文字といえば、毎年山中では、大文字を「犬」文字や「太」文字にしようとする京大生と保存会の戦いが行われているという都市伝説があります。
もちろん伝説であって事実ではないでしょうが、かつてそのようないたずらが行われたであろうことは容易に想像できます。
京大生にとって大文字は「モンジー」と呼称される身近な存在です。
京都大学といえば送り火のメインである大文字のおひざ元といってよい位置にあります。
校舎の屋上からは見事な大文字の送り火を見られるそうですが、関係者以外は立ち入り禁止です。

五山の送り火の日は関係なくても、大文字の火床で深夜にヘッドライトを頭に徹マンをしていたら通報されて引きずりおろされたというのは確かな情報です。
秋にコンロを持ち込んで鍋をしていたら・・・という話しはよく聞きます。
私有地なので当然ではありますが、地元民にとってはそれだけ神聖な地なのです。

 

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ちらっと見える「妙」

20:11 一部だけ見える「妙」 2018年8月16日 撮影:MKタクシー

20:11 一部だけ見える「妙」 2018年8月16日 撮影:MKタクシー

五山の送り火は、大文字に続き五山の送り火で2番目の20:05に点火される北山の「妙法」。
2013年までは船形と同時の20:10点火でしたが、時間をずらすことにより、五山の送り火がきれいに5分間隔で点火されるようになりました。
五山の送り火は、もともと各送り火は地域ごとの盆の精霊送り行事として発展してきたため、かつては点火時間もまちまちでした。

 

時代とともに変わる五山の送り火

大文字から左回りに点火するよう時間設定が固まったのは1960年代になってからです。それまではそれぞれの判断で思い思いに点火していました。
京都の五山の送り火は地元のお盆行事であり、五つでワンセットになったのはそう古い話しではありません。

伝統を変えることを良しとしない考えはよく理解できますが、今の形に整ったのは案外最近です。
8月16日以外にもイベント的に点火された事例が多数あることも、前述のとおりです。
その意味では、京都でも比較的新しい伝統行事です。時代とともに変化していくべき部分もあるでしょう。

 

「妙法」は左右が逆?

ようやく周囲の五山との位置関係を把握でき、五山の送り火が全部見える穴場のイオンモール京都五条から他の五山の送り火を探してみると・・・ありました!。
ビルの隙間から「妙」が見えています。西院あたりのビルによって隠れています。
送り火の一部しか見えませんが、あの草書体の文字は「妙」です。その右に見えるはずの「法」は全く見えません。ちなみに法は楷書体です。
京都の五山の送り火が全部見えると書きましたが、妙法だけはわずかに見えるだけということはご承知おきください。そのあたりも穴場の所以でしょう。

妙法は書体が異なり、左が妙で右が法であるのは、できた時代が異なるためです。
「妙」は1307年、「法」は17世紀にできたと言われます。
300年のタイムラグがありますが、千年の都である京都では、あくまで誤差の範囲。
妙法のワンセットで五山の送り火の1つとして扱われます。
ですから、五山の送り火ではありますが、実際には六文字あります。

イオンモール京都五条から「妙」までは7.8km、「法」までは8.3kmあります。
大文字よりはやや遠いです。

 

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「船形」と「左大文字」が重なりながら燃える

20:13 一部だけ見える「船形」 2018年8月16日 撮影:MKタクシー

20:13 一部だけ見える「船形」 2018年8月16日 撮影:MKタクシー

さらに左手の方を見ると、五山の送り火のうち2つ燃えています。
送り火が全部見える穴場であるイオンモール京都五条からだと、ちょうど五山の送り火で3番目である20:15点火の「左大文字」と20:10点火の「船形」がだいぶかぶってしまうのです。
ですが、妙と比べるとまだ何となく船の形だとわかります。
穴場とはいえちゃんと見えているといっておかしくありません。

左大文字は五山の送り火で最初に点火される大文字から15分後の20:15の点火です。
点火された火ではなく、点火するために待機中の松明の火でしょう。
よく見たら左大文字上の位置が乱れていることからもわかります。

船形は縦130m、横200mあり、京都の五山の送り火でも最も大きなものです。
イオンモール京都五条から船形は7.6km、左大文字は5.1km離れています。
最も距離が近い五山の送り火が左大文字です。

20:19 消え始めた「大文字」 2018年8月16日 撮影:MKタクシー

20:19 消え始めた「大文字」 2018年8月16日 撮影:MKタクシー

左大文字と入れ替わるように、五山の送り火で最初に点火された大文字は消えつつありますが、まだ頑張っています。

20:20 燃え盛る「左大文字」と船形 2018年8月16日 撮影:MKタクシー

20:20 燃え盛る「左大文字」と船形 2018年8月16日 撮影:MKタクシー

船形はピークを越え、変わって京都の五山の送り火で四番目の左大文字が激しく煙を上げてながら燃えています。
左大文字は一斉点火の大文字と異なり、筆順に点火されていきます。
2画目の方が3画目より燃えているように見えます。

船山の火床から見た洛北一帯 2007年3月3日 撮影:MKタクシー

船山の火床から見た洛北一帯 2007年3月3日 撮影:MKタクシー

船山の火床から見たMKボウル上賀茂 2007年3月3日 撮影:MKタクシー

船山の火床から見たMKボウル上賀茂 2007年3月3日 撮影:MKタクシー

船山にある舟形の火床は、今は立ち入り禁止となっており入ることができません。
以前は火床から京都盆地の展望を楽しむことができました。
MKボウル上賀茂やMKバイキング、MKタクシー上賀茂営業所などがある、MKグループの最大の拠点である上賀茂を真下に見ることができました。
なお船山(317m)の山頂は今も登頂が可能です。

 

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「鳥居形」も点火で五山の送り火がそろい踏み

20:21 「鳥居形」も点火 2018年8月16日 撮影:MKタクシー

20:21 「鳥居形」も点火 2018年8月16日 撮影:MKタクシー

屋上の反対側まで移動すると、京都の五山の送り火の最後を飾る20:20点火の鳥居形も赤く燃えはじめています。
イオンモール京都五条の屋上が五山の送り火が全部見える穴場であることがこれで確認できました。

始まったときには、送り火見物が全部見える穴場であるイオンモール京都五条の屋上駐車場にたくさん観客がいました。
ふと周囲を見ると、五山の送り火を全部見られて満足したのか早くも半分くらいが帰っているようです。
もともと送り火見物が全部見える穴場として大混雑しているわけではなく、移動も容易です。

20:22 消えつつある「大文字」 2018年8月16日 撮影:MKタクシー

20:22 消えつつある「大文字」 2018年8月16日 撮影:MKタクシー

これでようやく五山が全部見える穴場のイオンモール京都五条から見る五山の送り火がそろい踏みです。
最初に点火された大文字も何とかまだ光っています。
五山の送り火がすべて見られる、穴場ならではのもっとも贅沢な瞬間です。

20:28 激しく燃える「左大文字」 2018年8月16日 撮影:MKタクシー

20:28 激しく燃える「左大文字」 2018年8月16日 撮影:MKタクシー

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点火順に消えていく五山の送り火

左大文字はまだ煌々と輝いていますが、五山の送り火の真ん中に当たる船形はそろそろ終わりつつあります。

左大文字は大文字の半分ほどの大きさですが、距離が近いので、大文字より大きく見えます。

20:35 整った形の「鳥居形」 2018年8月16日 撮影:MKタクシー

20:35 整った形の「鳥居形」 2018年8月16日 撮影:MKタクシー

 

古式を残す点火方法の鳥居形

真正面から見る鳥居形。
何となく鳥居形は南を向いていると思ってましたが、都の方向である東南東を向いていたんですね。
鳥居形を見るだけでもここは穴場です。

鳥居形は、他の四ヶ所にある五山の送り火とは異なり木材を燃やす方法ではありません。
古式にのっとり松明の火をそのまま使っているからか、火力はやや弱めのようです。

縦76mと五山の送り火の中では小ぶりですが、平安神宮の鳥居が高さ24mですからその3倍もあります。
イオンモール京都五条から鳥居形までは6.5kmと、左大文字に次いで近距離にあります。

位置が他の送り火のある四山と離れているため、五山の送り火の中でも鳥居形だけは見えないというスポットが多いです。
送り火の中でも難易度が高い鳥居形ですが、穴場のイオンモール京都五条屋上からはきれいに見えます。

 

鳥居形の麓の広沢池では灯籠流し

広沢池の灯籠流し 2010年8月16日 撮影:MKタクシー

広沢池の灯籠流し 2010年8月16日 撮影:MKタクシー

鳥居形の点火に先立ち、19:00頃から麓の広沢池では灯籠流しが行われます。
先祖供養のため、池に多数の灯籠が流されます。
鳥居形が点火されると、煌々と燃え盛る送り火をバックに、多数の灯籠が水面を漂う幻想的な光景を楽しむことができます。

20:37 消え始めた「左大文字」 2018年8月16日 撮影:MKタクシー

20:37 消え始めた「左大文字」 2018年8月16日 撮影:MKタクシー

五山の送り火の三番目の船形はほぼ消えつつあり、左大文字もピークは越えました。
穴場から見る五山の送り火もいよいよ終わりが近づいてきました。

20:43 最後まで燃え盛る「鳥居形」 2018年8月16日 撮影:MKタクシー

20:43 最後まで燃え盛る「鳥居形」 2018年8月16日 撮影:MKタクシー

鳥居形もピークを越え、京都の五山の送り火は終わりつつあります。
五山の送り火が全部見える穴場のイオンモール京都五条屋上に集った地元民ら観客も既に8割方帰ってしまっています。
鳥居形と他の五山の送り火とは見える方向が異なるので、いちいち移動しなければいけませんが、既に穴場のイオンモールの屋上はガラガラなのですぐに移動できます。

20:45 人波がはけはじめたイオンモール京都五条の屋上 2018年8月16日 撮影:MKタクシー

20:45 人波がはけはじめたイオンモール京都五条の屋上 2018年8月16日 撮影:MKタクシー

 

閉館はいつもと同じ21:00

いまだ京都の五山の送り火の最後の二つである左大文字と鳥居形は残っていますが、

イオンモール京都五条の閉館時間の21:00が近づいてきました。
五山の送りの日でも閉店時間はいつもどおりです。退出するよう繰り返しアナウンスが流れ始めたので、五山の送り火最後を飾る鳥居形がピークを超えるのを見届け、そろそろ五山の送り火が全部見える穴場のイオンモール京都五条の屋上をご先祖のことを思いながら退出します。
わずか45分の五山の送り火でした。

 

無料での公開ありがとうございます

五山の送り火が全部見える穴場であるイオンモール京都五条の屋上への立ち入りはもちろん無料です。
到着してすぐ屋上へと来ていたので、このあと1階で晩御飯を調達して帰りました。

あらためて、五山の送り火鑑賞のため無料で穴場を公開いただいているイオンモール京都五条さん、そして五山の送り火を支え続けている京都五山送り火連合会のみなさん、ありがとうございます。

 

五山の送り火について

五山の送り火のはじまり

足利義政公像 野村文紹「肖像」出典:国立国会図書館デジタルコレクション

足利義政公像 野村文紹「肖像」出典:国立国会図書館デジタルコレクション

五山の送り火のはじまりははっきりしません。
平安時代からはじまったという説もありますが、足利義政がはじめたという説が比較的知られています。
最も古い文献記録は慶長8年(1603年)と、葵祭や祇園祭などと比べると新しい祭事です。
寛文2年(1662年)に刊行された最古の京都ガイドブックとして知られる中川喜雲の「案内者」には、「妙法」「船形」「大文字」などの記載があり、大文字は近衛信尹の筆画によるものだと記されています。

大文字送火 秋里籬嶌 1780年刊行「都名所図会」 出典:国際日本文化研究センター

大文字送火  1864年刊行「花洛名勝図会」 出典:国際日本文化研究センター

1864年刊行の「花洛名勝図会」では、今と同じように丸太町橋付近の鴨川河原で人々が送り火を楽しんでいる姿が描かれています。
大文字が消えたところを描いていると図会の説明文に記されています。

 

五山の送り火についてのあれこれ

五山の送り火は宗教行事かイベントか

五山の送り火は、先祖の霊を送る宗教行事です。
一方で、歴史的に見ると送り火は信仰目的ではなく、イベントとしても行われてきたというのもまた間違いなく事実です。
お盆行事とは関係なく点火されてきた事例としては、

  • 1890年4月8日      琵琶湖疎水通水祝賀のため
  • 1891年5月9日      ロシア皇太子ニコライの入洛祝賀のため
  • 1894年5月15日    日清戦争勝利祝賀のため(「祝平和」の文字)
  • 1898年10月27日  皇太子(大正天皇)京都来洛のため
  • 1905年11月25日  日露戦争勝利祝賀のため
  • 1934年4月3日       室戸台風により倒伏した樹木の霊を弔うため
  • 2000年12月31日  21世紀幕開けのため

が挙げられます。
2000年の点火はさすがに宗教的な意味合いはあるとは言えず、一部で物議をかもしたのは記憶に新しいところです。
「21世紀幕開け記念行事」の一環として、京都市行政当局から点火の打診を受けた五山の送り火の各保存会では、消極的な意見が大勢を占めていました。
しかし、市民アンケートでの圧倒的な賛成、行政の熱心な働きかけ、保存会内部の若手の意見などもあり、徹底的な議論の上ですべての保存会が賛成し、五山すべての点火が実現しました。

送り火はお盆行事であることは間違いありません。
送り火はイベントではない、ご先祖様を送る宗教心を持って見るべきだという意見もよく聞かれます。
一方では、宗教とは無関係のイベントとしても京都市民から愛されてきた、というのもまた伝統であるという側面も忘れてはならないでしょう。

 

かつては「五山」ではなかった送り火

今では京都では「五山」の送り火と言いますが、元々五山だったわけではなく、昔は10以上あったともされます。
少なくとも明治初頭までは、市原の「い」が存在し、五山の送り火ではなく六山の送り火であったことが判明しています。

1947年京都市編「京都市史 地図編」 出典:国立国会図書館デジタルコレクション

1947年京都市編「京都市史 地図編」 出典:国立国会図書館デジタルコレクション

例えば、天保2年(1832)刊行の「京町絵図細見大成」では、「い」が描かれています(中央右の「北」のすぐ下)。

「い」の字は、当初は山腹の低い位置にあったのが、京都市街からの見栄えを意識して高めの位置に作り直したという調査結果が発表されました。
送り火と盂蘭盆、先祖信仰の関係を考察するうえで示唆に富みます。

1947年京都市編「京都市史 地図編」 出典:国立国会図書館デジタルコレクション

1947年京都市編「京都市史 地図編」 出典:国立国会図書館デジタルコレクション

五つでワンセットというのは、南禅寺を筆頭とする臨済宗の「五山」寺院にならって整備されてきたであろうことは誰でも想像できますが、多重にわたる信仰が基礎にあるのでしょう。
今も「い」の送り火が残っていたら、キリよく妙法を別にカウントして「七山の送り火」と称されていたのかもしれません。
あるいは、六山として六地蔵のように六道との関連で地蔵信仰・観音信仰との関連を説かれていたかもしれません。

明治以降も送り火が五山ではありませんでした。1891年の日出新聞(現:京都新聞)の記事には、「一乗寺の竿に鈴」があると記されています。
実は五山が固定されてまだ100年余りしかたっていないのかもしれません。

日本では仏教と不可分になっているお盆行事ですが、もともとインドで興った仏教は先祖信仰とは本来無縁であるはずです。
中国に伝来したときに、先祖信仰を基本とした民間信仰が習合することで、今の日本の仏教の基層が成立したものです。
さらにそこに日本の自然信仰も加わり、多層的重層的な日本独自の信仰として生まれたのが、五山の送り火をはじめとするお盆行事です。

 

京都だけではない送り火

お盆の送り火は何も京都の専売特許ではありません。
京都のように五山が揃う例はありませんが、箱根や高知県中村などでも同じようにお盆に大文字の送り火が灯されます。

お隣の奈良にも京都よりも大きな大文字が8月15日に灯されます。
一画目が109mあり、京都をしのぐ日本最大の大文字として知られています。
ただし、奈良の大文字は、京都の五山の送り火とは意味合いが異なります。
1960年にはじまった、戦没者の慰霊と平和祈願を目的とした行事です。
たまたま京都と一日違いでの実施ですが、お盆とは無関係で終戦の日である8月15日に行われています。

 

五山の送り火と天候

これまで台風等の自然条件によって、京都の五山の送り火が中止になったことはありません。
先の戦争では京都でも灯火管制が敷かれて中断されたものの、京都の地元民が火床に白い服を着て並び、伝統を続けてきました。
2020年からの新型コロナ禍では、本来の形での五山の送り火は中止となりました。それでも、一箇所だけでも点火を行い、何とか最低限の送り火は継続してきました。

観光イベントである花火大会などは見る人がいなければやる意味はありません。悪天時は当然中止となります。
しかし、御先祖様を送るための五山の送り火は見る人がいるかどうかはそれほど重要ではありません。
雨天くらいでは五山の送り火は点火されるでしょう。
ただ、特別警報級の荒天時は中止となる可能性は十分にあります。

 

「大文字焼き」と言ってよい?

送り火のことを「大文字焼き」と表現することは珍しくありません。
全国の大文字の送り火の中には、正式名称として大文字焼きと称している例もあります。
同様に京都で行われる五山の送り火を大文字焼きという場合もあります。

京都人に「大文字焼き」と言ってはならないというのは、半ば正しく半ば誤りです。
京都人にとってはご先祖を送るための目印となる大切な火であり、「○○焼き」なんていう安直な言い方は許されないという人もいます。
一方で、昔から大文字焼きと言っていたという京都人もいます。
歴史的には、送り火と呼称することが主流ですが、大文字焼きと呼称することもあったは確かです。

結論としては、大文字焼きと言ってはいけないわけではありませんが、避けた方が無難というところでしょう。

 

京都四大行事とは?

「京都三大祭」と言えば、毎年5月15日の葵祭、7月の祇園祭、10月22日の時代祭です。
葵祭や祇園祭は数百年以上の歴史を誇るのに対し、時代祭は1895年からはじまった祭事なので、京都三大祭という呼称も長くても100年余りのことでしょう。

京都三大祭ほどメジャーではありませんが、「京都四大行事」という言葉もあります。
これは、葵祭、祇園祭、時代祭に加えて五山の送り火を加えたものです。
五山の送り火は、祇園祭にはさすがに及びませんが、葵祭や時代祭以上に京都が盛り上がる行事であり、四大行事と呼ばれるのも納得です。

1942年刊行「市政概要」 出典:国立国会図書館デジタルコレクション

1942年刊行「市政概要」 出典:国立国会図書館デジタルコレクション

京都四大行事は、京都三大祭よりもあとに生まれた言葉だと思われます。
実は、かつては京都四大行事には五山の送り火は入っていませんでした。
京都四大行事という言葉が生まれた当時は、葵祭、祇園祭、時代祭に加えて「京都染織祭」でした。
例えば、1942年に京都市が編纂した「市政概要」でも葵祭の項で「祇園祭、時代祭、染織祭とともに京都の四大祭と称せられ」と記載されています。

1941年刊行「日本案内記」 出典:国立国会図書館デジタルコレクション

1941年刊行「日本案内記」 出典:国立国会図書館デジタルコレクション

同様に、1941年に鉄道省が編纂した「日本案内記」でも時代葵祭の項で「祇園祭、葵祭、染織祭と共に京都の四大祭と称される」と記載されています。

京都染織祭とは、1931年からはじまった行事です。1933年からは時代衣装をまとった華やかな芸妓たちが練り歩く女性風俗行列がはじまりました。
上古時代機殿参進の織女、奈良時代歌垣、平安朝時代やすらい花踊り、鎌倉時代女房の物詣、室町時代諸職の婦人、桃山時代醍醐の花見、江戸時代初期小町踊り、江戸時代末期京女の晴れ着姿の行れるが、京都の街を練り歩きました。
染織業者らで作る染織講社が行う行事だけあって、衣装も調度も華麗で時代考証も正確なものでした。
毎年4月上旬に行われ、30万人もの観衆が集まり、「京都四大行事」と称される人気ぶりでしたが、早くも戦争激化によって1937年に中止となり、戦後も復活することはありませんでした。

おそらく、戦後になって京都染織祭に代わって五山の送り火が京都四大行事の一角として名を挙げられるようになったのではないでしょうか。

 

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おわりに

新型コロナのため、2020年・2021年と五山の送り火は大幅な縮小開催を余儀なくされました。
2022年は3年ぶりに全面点火が行われ、3本来の形での五山の送り火が開催されました。
2024年も例年通り開催予定です。

しかし、コロナ禍を経て以前は開催されていた諸行事が再開されず中止となっている事例もあります。
イオンモール京都五条も2024年は公開されません。
コロナ禍前と全く同じではないので、ご注意ください。

 

MKトラベルの五山の送り火鑑賞ツアー2024

MKトラベルでは、毎年五山の送り火に合わせて鑑賞ツアーを催行しています。
五山の送り火を鑑賞するベストポジションにある西陣織会館の屋上より、次々と灯されていく五山の送り火を楽しみます(鳥居形は見えません)。
夜だけではなく、日中に点火前の五山の送り火をジャンボタクシーの車窓から見学するのも特徴です。
昼間に見た五山の送り火の火床を思い起こしつつ見る送り火はまた格別です。
夕食には、京都ガーデンパレスホテルで京料理立神(たてがみ)の会席コースもついている豪華ツアーです。
ぜひ、MKトラベルの五山の送り火ツアーで豪華な旅をお楽しみください。
募集は限定20名なので、申込はお早めに。

過去の五山の送り火鑑賞ツアーのレポートはこちらです。

 

浴衣ならMKタクシーの「タクポきもの還元」がお得

夏の1ページを彩る五山の送り火、やっぱり似合うのは浴衣姿です。
五山の送り火を訪れるなら、是非浴衣でお越しください。
(ただし、混雑や交通規制もあって配車困難な場合が多いことはご了承ください)

浴衣で歩き疲れたら、是非MKタクシーをご利用ください。
MKタクシーなら、お得な「タクポきもの還元」サービスを実施しています。
浴衣などの和装の場合、毎月抽選で500名に20%のポイントを還元します※。
詳細は、MKタクシーの公式ホームページをご覧ください。

 

MKタクシーのご予約は075-778-4141 まで

便利な配車アプリも是非ご利用ください! → MKスマホ配車

京都観光には観光貸切タクシーもおすすめです。

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