定年退職社員インタビュー「札幌は我が人生 団結こそが札幌MKを支える力」中島良英社員
MKタクシーに29年9ヵ月勤め上げ勤め上げた伏見営業所・中島良英社員。
2009年4月の札幌MK開業の際、新人ドライバー教育担当教官として札幌MKへ出向した。
今日多くのお客様にご支持いただく札幌MKの基礎を築いた中島教官に話をうかがった
記事は、MK新聞2011年11月1日号の再録です。
原則として、掲載時点の情報です。
中島良英社員インタビュー
MKタクシーに入社された経緯と、その際の印象
当時はタクシードライバーに対する世間の評価はあまり良くありませんでした。私自身の印象もそうでした。
そんな折、MKタクシーに夫婦でドライバーとして勤められている方からお誘いを受けました。
とりあえず説明会にだけは参加しようという程度の気持でしたが、そこでMKタクシーは今まで思っていた印象とは違うと感じ、入社しました。
入社後は厳しい教育・指導で青木定雄オーナーにもよく怒られました。
青木オーナーの「飛行機のパイロットとタクシードライバーは同じ人の命を背負う仕事なのに、地位格差は許せない!」という熱い想いに「自分もついていくぞ!」と頑張りました。
札幌MKへの出向の経緯
札幌へと出向することになったきっかけは全集(全員業務集会)での青木信明社長の言葉でした。
札幌MKの認可が下りたから、誰か行かないかと。
全集後、営業所長に「あと10年若かったら行ったる!」と言っていたら、営業所長が会議で“あと10年若かったら”を省いて報告。
伏見営業所のあとの全集で、青木社長が「伏見の中島が札幌に行くぞ!」と。
引くに引けなくなり、札幌へ出向。
「(京都に)すぐに帰る」と言いつつも、京都で基礎の教習中であった札幌のドライバーを見て、「これは腰を据えないといけない」と思ったものでした。
開業前の札幌MKは、ドライバーは新人、営業所職員も新人です。
それでもドライバーにはMKタクシーの文化を叩き込まないといけません。
寝食を忘れるほど大変な時期でした。
「何をしても足りないのではないか」という気持ちで営業所全体が緊張している中、札幌のお客様の熱い支えが大きな力になり、何とかやってこれました。
札幌の業界団体やマスコミから“黒船来襲”と揶揄されましたが、ドライバーには「日本開国と同じ評価。これはすごいこと、恐れることは何もない。自信と誇りを持って安全運転を」と話しました。
札幌MKで得たもの、次の世代に伝えたいこと
一番感じたのは団結の力です。
1人の力では何もならない、ドライバーも営業所職員もみんなの力が今の札幌MKを支えていると思っています。
MKタクシーは、ベテランでも新人でも同じ、当たり前のことを当たり前にやっています。
当たり前のことを1つ1つ積み重ねていくことが今のMKタクシーなんです。
当たり前のことを続けていくことは並大抵のことではありません。
次の世代の方には、1人でも欠けてはならないことを肝に銘じて日々コツコツと頑張ってもらいたいと思っています。
そして、今後は私以上に立派に育った彼ら自身が考えて、ますます札幌MKを発展させていってほしいと願っています。
MKタクシーの仕事
MKタクシーでは、昼勤専属の観光ドライバーから、夜勤専属のドライバーまでライフスタイルにあわせて多彩な勤務体系を選ぶことができます。
途中で勤務体系を変更することも可能です。
たくさん稼ぎたい若いうちは夜勤専属で、家族と過ごす時間を大切にしたい時期には昼勤専属で、高齢になって通常の勤務がつらくなってきたら、短時間勤務でとライフステージにあわせた勤務が可能です。
高い接客技術と語学を身に着けることで、国賓クラスのVIPや国内外の著名人などの送迎を担当するファーストハイヤードライバーを目指すことも可能です。
海外からのお客様やVIPのお供をするファーストハイヤーを目指すことも可能です。
観光勉強会や外国語勉強会など、会社がキャリア形成を全面的にバックアップします。