定年退職社員インタビュー「MKの歴史を目の当たりに」南畑昌司 社員
なんと、1972年入社。現役のMK社員の中では最も、といってよいほどMKの歴史を目の当たりにしてきた南畑昌司社員(山科営業所)が、去る7月30日、70歳を区切りに引退した。MKとともに36年3ヵ月、南畑昌司(みなみはた まさもり)社員に話をうかがった
記事は、MK新聞2008年9月1日号の再録です。
原則として、掲載時点の情報です。
南畑昌司社員インタビュー
挨拶が非常識だった時代
私は32歳でタクシードライバーになりました。
最初は別の老舗タクシー会社で乗務したあと、先輩に誘われいったんMKタクシーの前身のミナミタクシーに入社しました。
その後、別のタクシー会社に引き抜かれましたが、労働組合との折り合いが悪く、1972年に再びミナミタクシーに戻ってきました。
当時のタクシードライバーといえば、ランニングシャツに雪駄履き。ガラが悪く、近距離の乗車拒否は当たり前の時代でした。
タクシードライバーの評価が低かった中で、ちょうど私が入社した年、MKタクシー創業者の青木定雄会長(当時)は「タクシーを市民にかえす運動」を始めました。
お客様に「ありがとうございます」と挨拶をする。
今となっては当たり前のことですが、当時はタクシードライバーが挨拶をするなんて非常識。
他の会社のタクシーからは「挨拶をしてまでお客に乗ってほしいのか」と言われました。
1976年、挨拶をしなければ料金は頂きませんと宣言。
青木会長が好き
青木定雄会長は、周りからなんと言われようと、やると決めたことはやり通す。
しかし一方で職場には常に顔を出し、社員の意見を直接聞いてくれました。
我々が出した意見を、早速翌日から導入してくれたこともあります。
私は、是は是、非は非というタイプ。言いたいことはどんどん言いましたが、会長は目くじらを立てながらも我々の意見を吸収してくれました。
1982年、運賃値下げ申請の際も、我々ドライバーは不安で最初は反発しました。
度重なる青木会長からの説得で、「お客様が乗らず空車で走る精神的なつらさよりも、安くてもたくさんご乗車いただく方がよい」と納得するに至りました。
タクシーが好き
私はやはり、タクシードライバーという仕事が好きです。
いろんなお客様が乗車され、いろんな意見をおっしゃる。
時にはお叱りをいただくこともありますが、毎日様々な知恵をいただき、この仕事が楽しくて仕方がありません。
私が生きていけるのはお客様があってこそ。私を支えてくれたのはまさにお客様でした。
MKタクシーへのメッセージ
今のタクシーは景気の良かった頃のようにはいきません。
売上を上げるためには会社の指導力が7割で、残りの3割は自分。
MKタクシーのやり方は間違ってはいないと思います。
会社の出した方針に自分が力を合わせていけば売上は伸びると考えています
MKタクシーは教育されたタクシーというイメージを持たれていると思いますが、社内では圧迫感を感じている若い社員もいます。
データやマニュアルも大切ですが、それだけでは管理されているようなしんどさを感じてしまいます。
乗務を終えて営業所に帰ってきたときに、笑顔で「お帰りなさい」と言われるだけでも気持ちは和らぎます。
そうした対話も大切にして、これからも市民の皆様にかわいがっていただけるタクシーであってほしいですね。
MKタクシーの仕事
MKタクシーでは、昼勤専属の観光ドライバーから、夜勤専属のドライバーまでライフスタイルにあわせて多彩な勤務体系を選ぶことができます。
途中で勤務体系を変更することも可能です。
たくさん稼ぎたい若いうちは夜勤専属で、家族と過ごす時間を大切にしたい時期には昼勤専属で、高齢になって通常の勤務がつらくなってきたら、短時間勤務でとライフステージにあわせた勤務が可能です。
高い接客技術と語学を身に着けることで、国賓クラスのVIPや国内外の著名人などの送迎を担当するファーストハイヤードライバーを目指すことも可能です。
海外からのお客様やVIPのお供をするファーストハイヤーを目指すことも可能です。
観光勉強会や外国語勉強会など、会社がキャリア形成を全面的にバックアップします。