「パトリックと本を読む 絶望から立ち上がるための読書会」を読む|MK新聞掲載記事
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MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞の2021年1月1日号掲載の、書籍の感想・書評記事です。
ミシェル・クオ著 神田由布子訳『パトリックと本を読む 絶望から立ち上がるための読書会』(白水社 2020)を読む。
著者:片岡 雅子(三重県 公共図書館職員)
あなたの願いは何ですか?
アメリカ最貧困地帯のひとつ、ミシシッピ・デルタへ
著者のミシェル・クオは、台湾からアメリカへの移民である両親のもと、1980年代にミシガン州西部で育った。
両親は、アメリカの暮らしにどっぷり浸かりながらも、自分たちがよそ者だということを常に意識し、教育こそが娘の身を守るバリケード、安全と豊かさに続く階段だと信じていた。
そんな両親のもと、ミシェルは名門ハーバード大学に入学し、エリートへの道を歩み始める。
しかし、マルコムXやキング牧師などといった人種差別反対主義者の著書にふれていた彼女は、自分の生き方に疑問を感じ始めていた。
マルコムXは「黒人の読者に白人のリベラルを信じるなと警告(12ページ)」し、ジェイムズ・ボールドウィンは「(リベラル)は適切な態度を取るけれど、彼らには本物の信念というものがない」「いざ実行に移してほしいと思ったら、どういうわけかそこにはいない(12ページ)」と非難していた。
黒人でも白人でもない私、つまりアジア系アメリカ人は、何を大切にしてきたのだろう? という思いが溢れる。
そして思うのだ、「両親から受けた影響を一掃しよう。無難な選択をし、出世をし、安心感を得ようとする性向を根こそぎ取り払おう(14ページ)」と。
黒人作家を称えるだけでなく、身をもって「活動すること」が必要であると感じた彼女は、大学卒業後、アメリカの最貧困地帯のひとつ、初期の公民権運動とブラック・パワー・ムーブメントの本拠地であったミシシッピ・デルタの学校で、2004年から2年間、教師として子どもたちと過ごすことを決意する。
黒人文学を通して子どもたちにアメリカの歴史を教えようと意気込むミシェル。
しかし、22歳の夢見がちな彼女を待っていたのは、国民から忘れ去られ見捨てられた土地ヘレナで、「諦め」の生活を送る人々だった。
本書は彼女がそこで出会った子どもたちとどのような時間を過ごしたのか、特に、生徒のひとりであるパトリックのその後の人生にどう関わっていったのかを記したものである。
書くことは自分をさらけ出すこと
赴任した学校は、いわゆる不良を最終的に放り込む場所であった。
子どもたちにとっては、ジェイムズ・ボールドウィンの短編もマルコムXの演説も、上院議員であったオバマの演説も「リアル」なものとしては響かない。
子どもたちは自分たちの歴史を知らず、そして知りたいとも思っていなかったのだ。
そんな彼らに対して、ミシェルが読書について一心に語る場面は印象的だ。「本を読むと人の心の声が聞こえてきます」と彼女は言う。
本とはとても個人的なもので、書きたいという切迫した思いが書かれたもの、だから自分は読書が好きなのだ、と。
書く人は自分のリアルを格好つけずにさらけ出し、読む人はそのリアルを自分のものとして受け止めるのだ、と。
子どもたちは自分のリアル、つまりほんとうの気持ちと向き合ってはいなかった。
なぜなら、ほんとうの願いをさらけ出したところで、それを叶えてはもらえないと諦めているからだ。
ミシェルはそんな彼らに対して、「I am(私は~だ)」「I feel(私は~と感じる)」「I wonder(私は~だろうかと思う)」…という言葉を用いて詩を書こうと持ちかけた。
自分の内側を見つめ直すのだ。書くこともままならない子どもたち。
彼女はそのひとりひとりに寄り添いながら詩を完成させていく。
パトリックはその後、ミシェルの思いに応えるかのように、全身全霊を傾けて『町の獣』を書き上げたのだった。
「パットは犬 路上に暮らす獣 からっぽな心で 庭で首輪をつけられ 塀のむこうに閉じ込められ しつけて餌を与える飼い主はおらず いつも自分で進む道をさがす 下等な生きものと見られ どこに行こうが信用されず 信用されるのは犬の群れの中だけ 値段だけで評価され 日照りで なかば死にかけ 渇きで水を求めている(66~67ページ)」
自分の願いに正直に生きる
パトリックが『町の獣』を書き終えた直後、その傍らにいたミシェルは「書くとはなんときつい作業なのだろう」と感じる。
仮面をはずし、自分のバカをさらけ出すかもしれないというリスクがつきまとうのだ。「そういうリスクを承知の上で気持ちを集中し、自分のほんとうの願いに正直になる自由――それこそが書くための、あるいは、何であれ意味のある仕事をするための条件だ(68ページ)」というミシェルの言葉。それは彼女の生き方そのものだ。彼女はいつも自分の願いに正直だ。ヘレナ行きを決断した時と同様に、人生の岐路に立つ時はいつも「私はどこにいればいいのだろう?(13ページ)」と自問する。
親や友人が導こうとするエリート街道には目もくれず、自分がほんとうはどう行動したいのかを必死に感じ取ろうとする。
そこが彼女の魅力だ。人の価値観に振り回されることはない。
一流ロースクール(law school 法科大学院)に通う友人にとっては、ヘレナの子どもたちの話などつまらない。
人を見下すような彼の態度に憤りを感じる。
その後、ミシェル自身もロースクールで学ぶことになるのだが、そこでの授業にも違和感を抱く。
優秀な学生たちは、問題を引き起こしたのが生身の人間だという感情が麻痺しているかのように、ためらわずに規則を当てはめていくのだった。
結局、彼女は待遇の良い仕事を選べる立場にありながらも、NPOで移民に法的支援をする仕事に就くと決める。
「薄給であることが、自分の良心がそっくり保たれている証のように思えた(115ページ)」という言葉が清々しく、好感を持った。
彼女は自分の内にある「正義」に忠実でなければ気が済まないのだろう。ある種の潔癖症かとさえ思わせる。
本書の中で幾度となく登場する「(生活環境や仕事を)選べる私」と「選べないヘレナの人々」「選べないパトリック」というコントラスト。それが彼女の行動の根底にあるように感じる。
彼女はいつも自分の生活を顧みず、「選べない」人々に寄り添う道を選ぶ。それが彼女のほんとうの願いなのだろう。
やがてパトリックと再会したミシェルは彼の変わり果てた姿に愕然とし、彼を絶望から救い出そうと寄り添い続けることになる。
どう働くのか? どう生きるのか?
本書を読んで、「人は何のために働くのか」と考えずにはおれなかった。
ミシェルの両親は娘に安定を望むが、彼女には響かない。
ミシェルの父が娘を心配する姿が私の父と重なる。
私の父は1950年代後半、夜間高校に通いながら、家族を支えるために、大阪の商店で小僧として働いた。
その後、鋼材卸売業を営んで私たちを養ってくれた。
父は仕事を「選べなかった」。それでも仕事一筋の人生だ。
「小僧の頃、えらいやっちゃ(えらいやつだ)と社長に見込まれて給料を余分にもらっていた」というのが今でも自慢だ。
得意先まで何駅分も自転車を漕いで行く。そうして手にしたわずかな給金で、幼い妹に蓬莱の豚まんをご馳走した。
父は私の誇りだ。それなのに私と言えば、学歴社会で有利な立場にいたにも関わらず、出世や稼ぐことには無頓着なワーキングプア。
「子どもと本が好きだから」と幸せそうに話す私を、父はどんな気持ちで見ていたのか。考えると胸が痛い。
そろそろ人生下り坂にさしかかった私。今になって「これでよかったのか」と来た道を振り返ることがある。
もっと稼げていたら親に十分恩返しができるのにと申し訳なくなる。
そんな私にミシェルは「あなたのほんとうの願いは何?」と問いかけているような気がした。
そこで「私は今まで一体何を大切にして働いてきたのか」と自問してみたら、「やはりこの道でよかったのだ」とこれまでの人生に少し納得することができた。
自分の願いにはいつまでも敏感でいたい。生活の安定を望むあまり、ほんとうの願いに鈍感になりたくはない。
50を過ぎてもこんなふうに思う私は、やはり甘いのだとわかっている。
けれど、もっともっと自分に正直に、ミシェルのように潔く生きていたいのだ。
どう働くかは人それぞれ。正解はない。
自分の「これだけは譲れない」という部分を大切にして、納得できるように働くだけだ。
どう働くのか。どう生きるのか。これから社会に出ようとする若い方々にも、是非読んで考えてみていただきたい。
片岡雅子
1967年大阪生まれ。
大阪外国語大学(現・大阪大学外国語学部)アラビア語学科スワヒリ語専攻卒業。
出版社勤務、英会話学校スタッフを経て、学校図書館司書として長年子どもたちと過ごした。
現在は、三重県にて公共図書館に勤務。
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