『女たちのシベリア抑留』を読む。シベリア送りは男だけではなかった|MK新聞掲載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞の2020年8月1日号掲載の、書籍の感想・書評記事です。
小柳ちひろ『女たちのシベリア抑留』(文藝春秋)
著者:加藤 瑞恵(元中学校教員)
小柳ちひろ『女たちのシベリア抑留』(文藝春秋)シベリア送りは男だけではなかった。元抑留者たちの貴重な証言を引き出す
戦後75年、戦争体験者は次々と鬼籍に入り、体験談を聞いた者もそれを忘れるような年月が経った。
シベリア抑留とは旧日本軍の兵士が体験したことだと思っていたから、表題の「女たち」がなぜつくのだろうと首をひねった。
今は亡き私の父・加藤次郎もシベリア抑留者だったが、生前当時のことを詳しくは話さなかった。
私が中学生だった頃、「森林伐採や運搬の労働をした」「食料がない時はジャガイモしか出なかった。そんな日が続くと、それをつぶしたような大便しか出なかった」という話はしてくれた。
苛酷な体験だったはずだが、本当に辛い苦しいことは話さなかった。
(加藤次郎は1925(大正14)年生まれ。高校卒業後、1943(昭和18)年12月の徴兵年齢引き下げ措置により徴兵されて満州へ。敗戦後2年間、抑留された。父英吉の後を継いで修理をする時計商。2009(平成21)年没。)
だから、シベリアの収容所に女性がいるはずがないと思っていた。
そして戦前や戦中の時代に、想像力を働かせようともしなくなっていた。
しかし本書を読み、おもに従軍看護婦が、非戦闘員なのに敗戦の結果捕虜として抑留された事実を知った。
筆者は、女性たちが自ら語り、また書き残した記録は非常に少なく、それらを残さなければ、彼女たちの存在は消えてしまうのではないか、との思いから抑留されていた女性たちを探し始めた、と書いている。
たしかに記録しなければ、歴史上なかったことになってしまうのだ。
著者は高齢になった元抑留者たちに会い、証言を引き出していく。
著者の取材姿勢は相手の体験やその後の人生を想像し、心情を思いやり、気遣いができる、好ましいものだ。
何人もの女性たちから生々しい証言が得られる。その描写は臨場感と迫真力がある。
大多数が10代の看護婦たちだが、自決用の青酸カリを持って行動する。凍傷になるような寒さ、貧しい食料など、苛酷な体験が語られている。
だが、ソ連人看護婦に手厚い看護を受け、「国は違っても人間は信じあえるものなんだ」と感じ、看護という職務に誇りをよみがえらす場面もある。
また、戦後に「日本人は気軽に行ったかもしれないけれど、中国人は人の国に土足で踏み込んできて」と思っていたのではないか、という疑念や罪悪感を持った人もいる。
本書では、従軍看護婦以外の職業についていた例や、軍人の妻だったというだけで抑留された女性たちもいたことが記されている。
最終章では、帰国を拒否し、ロシアの極北の小さい村で暮らし、69年の生涯を終えた女性がいたことが記されている。
筆者は彼女に強く惹かれたと言うが、私もそうだ。
なぜ外地に渡り、どんな経緯でシベリア送りになったのか。そしてなぜ帰国を拒否したのか。
それらがロシアでの取材を通して、少しずつ明らかになっていく。
そして丹念な取材は、かえって戦前の日本の女性の地位や貧困などの問題をあぶり出していくことになる。
彼女の後半生は、ウクライナ人の夫と共に働き、夫に先立たれた後も村人と温く交流して亡くなったということだ。
まれな苛酷な体験をした彼女が、穏やかな老後を送ったことに私は安堵する。
それにしても、彼女は自身の過去を死後であれ、このように明るみにされたくはなかったのではないか。
きっと筆者も同様に思いながらも、記録しなければならなかったことになってしまうという使命感で取材を進めていったのだろう。
だから思い込みや憶測を排し、分かった事実を述べることで、読者に彼女の心情を推察させる書き方をしている。
歳月が経ち当事者が亡くなっていくと、その体験や考え、心情は歴史の陰に隠れて消えて、無かったことになってしまう。
本書はNHKの放送番組を制作するための取材をもとに、書き下ろしたものとある。
著者・小柳ちひろは戦争体験者の孫世代にあたる年齢でありながら、消えていく事実を掘り起こし、戦中戦後の女性を補完してくれた。
素晴らしい仕事である。何もしなかった子世代の私としては、深い感謝と敬意を表したい。
(2020年7月5日記)
加藤 瑞恵
1952(昭和27)年秋田市生まれ。
秋田大学教育学部。
神奈川県で32年間、公立中学校教員。
八郎潟町の句会「寒鮒」会員。
八郎潟・八郎湖学研究会一般会員。
イージス・アショア配備反対運動に参加。
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