自給自足の山里から【112】「山村に遅い春がやってきた」|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、縄文百姓の大森昌也さんらによる「自給自足の山里から」を、1998年12月16日~2016年6月1日まで連載しました。
MK新聞2008年4月16日号の掲載記事です。
大森昌也さんの執筆です。
山村に遅い春がやってきた
家の前の小川を雪解け水が白く騒ぎ、雑木の樹々はホッと赤味を帯び、常緑の杉桧(ひのき)も色深め、ポッと梅が白く一輪咲き、ウグイスが、頼りなげにホケッキョと鳴く。
ニワトリのこぼれた餌(えさ)にホーホーと灰色の山鳩、そして、黒いカラスが我が物顔で卵を狙う。コケッ・コケッと鋭く、ワンワンと犬、ガァー・ガァーとアイガモら警戒。ブー・ブゥーと大きな鼻の穴を天に向けて白い豚と、メェ~・メェ~と優しき目の白き山羊が、小屋の中をとび走り回る。
白い雪におおわれていた田畑は、あっという間に黄緑の草々。大地からぬっと拳(こぶし)のふきのとう、やがて黄色く微笑む。鹿鳴き、足跡とともに角(つの)残す。
落ち葉を集め、わらを切り、糠(ぬか)、鶏糞ら混ぜて、踏み込み温床を作り、野菜(ナス・トマト・キュウリ・ピーマン・カボチャなど)の苗作りに余念のないれい(18)は「自分で作った苗が一番」と言う。お米作りは、私が種籾(もみ)を塩水選し、小川に浸しゆっくり芽出しするところからはじまる。
今、六人の子のうち三人の息子(ケンタ29歳、げん26歳、ユキト24歳)は同じ村に独立し、我が農場は、三人娘が仕切る。長女のちえ(21)は、一年間の予定でメキシコに行く。
あい(18)は、薪(まき)を割り、石窯でパン焼き。昨八月から居候の河野さんと、じゃがいも植えの準備に畑へ。彼らは「草をやると卵の黄身が濃くなるんですね」と感嘆する。鳥取からノビルちゃん(中三)がやってきて、れいと鶏捌(さば)きし、食事の準備している。
春、「百姓体験居候」の若者たちがやってくる。鎌、鍬(くわ)や、鉋(かんな)、斧、手鋸(のこ)、槌などを使い、かまど、五右衛門風呂の火をつけ、家畜の世話、料理などこなす。十人が食事を囲む時も。
来訪の「百姓体験居候」たち
田畑に乱入の鹿猪対策の柵(さく)つくる。「なかなか杭(くい)が入らない」の声の方を見ると、ああ! 尖(とが)った方を懸命にたたいている。釘を板に打つのを見ると、五寸釘!
目をしょぼしょぼ、鼻をズルズル、くしゃみ繰り返し、首まわりを懸命に掻(か)く若者たち。
なんとか、足をすべらしころげながらも、鎌で草刈りはじめる。鎌を大地にたたきつけている!「こわれる!」と思わず大声。「片方の手で草をつかみ、水平に刈る! 気をつけて!」と。しばらくして「あっ!痛い! 血が出たぁ」とまっ青。赤い血に腰を抜かす者も。娘たちあきれている。
鍬を使えば、槌を打つみたいに使い、先を傷め、柄が折れる。
薪割りをする。「もう、ままごと遊びじゃないの。腰をしっかり構え、斧の重さも利用して割らにゃ」と注意。「ボキッ」の音と「あっ」の声。「ああ! また柄が短くなった。薪割らんと柄を折って!」と娘たち。
鋸(ノコ)で板とか木をひいて切れない。「道具には先人の知恵がつまっている。使うなかで覚えにゃ。歯の大きさはちがうやろ。ゆっくり、力入れてひくんや」とげん。
げんの息子の四歳のつくしが、畑で親のそばで、器用に鎌を使い草刈ったり、鍬を使っているのを見てびっくりしている。ニワトリを葬って命いただく時、よく指切るケガをし、痛みを共有する?
自然に対する感受性無く、『無』では?
「おはよう! どう、寝れた? 朝早く一番鶏のコケッコッコーで目覚めたんじゃないの。川の水の流れる音や、ボンボン時計の打つ音が気になって寝れなかったことない?」など声をかける。しかし、ボーと無言のまま、食卓にポツンと座り込む。どうも都会の車などの騒音のなかでは寝れても、自然、生きとし生けるものの音のなかでは寝れないよう。
「さあ、眠いやろけど、立って、あいちゃんが朝三時から起きて焼いたパンをパン小屋に行ってもらってきて。薪ストーブに火をつけて、お湯沸(わ)かして。ここじゃ、自分が動かないと食べられんよ」とせきたてる。
昨日までのコンクリートジャングルの都会で据え膳上げ膳のコンビニ生活がひっくりかえったんだから、身も心も動かないのは当然かもしれない。
都会の駅などで、若者たちが「誰でもよい。殺したる」と、忌まわしい、身の毛もよだつような事件を起こしている。
詩人・思想家の吉本隆明さんは、「若い詩人の詩集読んで、全体の特徴として言えることは、自然がなくなっているということ、自然を失っているということ。自然がなくなったことについてどう対応したらいいのか分からなくなっている。自然に対する感受性がなくなってしまっている」「未来とか過去とか、もしかすると現在も何もない『無』ではないか」(『日本語のゆくえ』二〇〇八)と指摘。
絶望から、心身軽くなって
「宿泊費、食費もらわんと、むしろ出費までして、ようやるなぁ」と言われるが、「体験居候」の若者が、一週間もすると、この山村の空気、風景に、あ~す農場の暮らしに触れていくなかで、絶望的な暗い重い心身が軽くなっていくのを見るのはうれしい。まして、「山村に入って、あ~すのような暮らしを目指します」と言われたら、言うことはない。
オーストラリアのアボリジニとアイヌの若者の結婚を教えてくれた名古屋大学教員の杉原利治さんは、「二十世紀は都会が田園を侵蝕し、放逐し尽くした時代。その延長上の昨今、忌まわしい出来事のほとんどは、そこから。都会の芥にどっぷり浸かった便利さ、そんななかで、田舎を独力で築きあげた大森さん一家。これからもがんばって」とはげましてくださる。
あ~す農場
〒669-5238
兵庫県朝来市和田山町朝日767
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1998年12月16日号~2016年6月1日号
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