「時代祭」の華である艶やかな江戸時代婦人列!京都市民が作る祭り
毎年10月22日に開催される京都三大祭のひとつである「時代祭」。
祇園祭や葵祭、あるいは五山の送り火などとは違い、京都市民らでつくる平安講社が祭の運営をしています。
中でも絢爛豪華な衣装をまとったで女性らによる江戸時代婦人列は時代祭の花です。
京都市民が作る祭りである時代祭の江戸時代婦人列を担当するは、京都市地域女性連合会です。
2022年は玉瀾役として、MKタクシーの現役ドライバーの子女も登場するので、お話しを聞いてみました。
時代祭とは
京都復興を願って始まった時代祭
時代祭が始まったのは、1895年のことです。
京都三大祭でも数百年あるいは千年超の歴史がある祇園祭や葵祭と比べると歴史の浅いお祭りです。
時代祭は、平安遷都1100年祭と平安神宮創建を祝う行事として始まりました。
平安遷都1100年祭は、東京遷都によってさびれた京都の街を復興させる起爆剤として企画されました。
ちょうど1100年の1894年でなかったのは、日清戦争の影響です。
平安遷都1100年祭の目玉イベントである第4回内国勧業博覧会では、会場内に平安遷都時の朝堂院が復元されました。
復元建物を社殿として、同年に平安神宮が創建されました。
平安神宮は一般の神社とは異なり、京都市民全ての氏神であり、京都の総鎮守として創建されました。
1回目の時代祭は10月25日に開催されましたが、2回目からは平安神宮の祭礼として、桓武天皇が長岡京から平安京へと移った10月22日に開催されるようになりました。
いわば京都の誕生日に行われるお祭りです。
京都市民が作る時代祭
京都市民みんなのお祭りである時代祭は、京都市民が作り上げています。
同じく京都三大祭に挙げられる祇園祭に直接携わるのは、四条通や祇園界隈の住民たちです。葵祭も上賀茂や下鴨の住民が中心です。
京都でもごく限られた地域のお祭りであるのに対して、時代祭は京都市全体のお祭りです。
平安神宮は京都市民全ての氏神です。
歴史こそ浅いものの、祇園祭や葵祭とは異なる時代祭の大きな特徴です。
第1回目の時代祭は、延暦文官参朝列、延暦武官行進列、藤原公卿参朝列、城南流鏑馬列、織田公上洛列、徳川城使上洛列の6列からなりました。
1921年に維新勤王隊列、1932年に豊公参朝列と楠公上洛列が加わり、次第に華やかさをましていきました。
戦中戦後の中断を経て1950年の復興時には、江戸時代婦人列、中世婦人列、平安時代婦人列が新たに加わりました。
実は時代祭りの華である婦人列が時代祭に加わったのは、戦後のことなのです。
その後も1966年に維新志士列、2007年に室町幕府執政列と室町洛中風俗列が加わり、今に至ります。
以上の15の列に神饌講社列、前列、神幸列、白川女献花列、弓箭組列を加えて、全20列・約2,000人からなります。
時代祭を運営するのは、京都市民からなる平安講社という組織です。
これらの列を京都市内を10つに分けた第一社から第十社までと、京都青年会議所、京都市地域女性連合会、深草室町風俗列保存、大原観光保勝会、桂婦人会(桂東婦人会との輪番)、花街の祇園甲部・宮川町(京都花街連合会の輪番)、京都料理組合、白川女風俗保存会、亀岡市・南丹市有志らの奉仕によって催行しています。
江戸時代婦人列について
江戸時代婦人列とは
江戸時代婦人列は、江戸時代に京都で活躍した有名な女性たちの列です。
維新勤王隊列、維新志士列、徳川城使上楽列に次いで、4番目に巡行します。
名前があるのは、和宮、蓮月、玉瀾、中村内藏助の妻、お梶、吉野太夫、出雲阿国の7名です。
時代祭の巡行準と同じく、時代が新しい人ほど前に登場します。
和宮は、平安神宮の祭神でもある孝明天皇の妹で、第14代将軍の徳川家茂に降嫁したことで知られる女性です。
公武合体のための典型的な政略結婚でしたが、夫婦仲は極めてよく、家茂が若くしてなくなったあとは、朝廷と幕府をつなぐ窓口としても活躍しました。
江戸時代婦人列の主役にあたります。2人の女嬬(にょじゅ)を従え、唯一台車に乗っての登場です。
大田垣蓮月は幕末の尼僧で歌人です。
陶芸家でもあり、自ら作った和歌を記した焼き物は蓮月焼として人気でした。
玉瀾は、江戸時代中期の画家、歌人、書家です。
夫は有名な文人画家の池大雅で、夫婦そろって活躍した文化人で、共作も多数あります。
変わり者夫婦としても知られ、いろいろなエピソードが残されています。
中村内蔵助の妻は、京都有数の豪商の妻です。
あるとき、豪商たちの妻女の衣装比べが行われ、派手な衣装が並ぶなか、内蔵助の友人である尾形光琳のアドバイスによりあえて地味な衣装を着ておおいに称賛を得たというエピソードが残ります。
腰元を1人従えて登場します。エピソードどおり、腰元は赤い派手な衣装ですが、内蔵助の妻は地味な衣装です。一見すると腰元が主役に見えます。
お梶は、江戸時代中期の歌人です。
梶が和歌を書き、友禅染めで知られる宮崎友禅斎が絵を描いた扇子が大いに人気を博しました。
養女の娘が玉瀾です。
吉野太夫は、江戸時代初めの太夫です。
京都随一の名妓として非常に人気がありました。
関白の近衛信尋と豪商の灰屋紹益が取り合いをした末に、紹益と結婚しました。
出雲の阿国は、現在の歌舞伎のもとであるかぶき踊りを始めた女性です。
四条河原町や北野天満宮でかぶき踊りを催し、今も四条大橋には出雲の阿国の像があります。
江戸時代婦人列は、かつては花街の芸舞妓らによって奉仕されていましたが、2000年からは京都市地域女性連合会の奉仕に変更となりました。
京都市地域女性連合会は、女性の自立や社会参画を推進するために1948年につくられた団体です。
今も多彩な活動が行われていますが、文化活動の推進の一環として、江戸時代婦人列への参加が行われています。
江戸時代婦人列の参加者は、京都市内の学区ごとの婦人会組織などを通じて選ばれます。
区ごとの方よりが出ないようにバランスを取り、年齢を考慮して役を割り振ります。
例えば、和宮は10代と決まっており、他の役は27歳までとなっています。
MKタクシーが送迎を担当
江戸時代婦人列の参列者は、早朝に平安神宮に集合します。
平安神宮の結婚式場で髪を結い、着付けをして準備を整えてから京都御所へと向かいます。
この移動を担当するのが、MKタクシーです。
2台のジャンボタクシーが2往復し、平安神宮から京都御所へと移動をお手伝いします。
降車した途端、たくさんのカメラマンたちが集まり、あっという間に撮影会が始まります。
2022年は、1往復目が11:09着、2往復目が11:41着でした。
その他の随行者は、平安神宮で衣裳を着替えて徒歩で京都御所へと移動します。
玉瀾役にインタビュー
2022年の時代祭で、江戸時代婦人列の玉瀾役を担当したのは、京都市北区在住の野田晴予さんです。
野田晴予さんは、MKタクシーの伏見営業所にドライバーとして勤めている野田光春社員の娘です。
京都御所へと移動後、時代祭が始まるまでの間にインタビューを行いました。
玉瀾役をやることになったきっかけ
祖母が学区の婦人会の役員をしており、京都市地域女性連合会から時代祭に出てみないかという話しが来たのがきっかけです。
これまで、時代祭はもちろんお祭りに出たことなどなかったですが、やってみたいと思って喜んで引き受けました。
京都生まれの京都育ちで、父の影響もあって子供のころから歴史や京都文化が好きでした。
友人からの反響は?
友達に「時代祭に出る」と言ったら、みんなびっくりしてました。すごい反響です。
そういうことなら是非見に行きたいと、今日もたくさんの友達が見に来てくれます。
役の玉瀾について
玉瀾役で出るということで、いろいろ彼女のことを調べました。
すごく立派な文化人で、しっかり自分というものを持って生きた人だったということが良く分かりました。
たまたまですが、玉瀾の役をやらせてもらえるのは、とてもうれしいです。
私もこれから玉瀾のような素敵な人生を歩みたいと心から思います。
衣裳や髪結い
慣れない着物を着て平安神宮まで歩ききれるのか少し心配です。
この髪は、地毛を結ってもらったものです。
今朝も6時に平安神宮に集合し、7時から9時まで2時間もかけて結ってもらいました。
髪の毛のセットや化粧のため、前日の洗髪時に使ってよいのはシャンプーのみ、お肌のケアも化粧水のみという制限があって驚きました。
こんな経験も二度とないでしょう。
出発直前の気持ち
本当に光栄な気持ちでいっぱいです。
一生に一度の思い出です。
今4回生で、来年から就職で東京に移ることが決まっています。
残りわずかな京都での生活の最後にこのような役をできてうれしいです。
しっかりと役割を務めてきます。
父親について
子供のころから、京都中のいろんなところに連れて行ってもらいました。
おかげで歴史好き、京都好きな子供に育ちました。
今まで立派に育ててもらって感謝しかありません。
時代祭終了後に、野田晴予さんに追加でコメントをもらいました(10月25日追記)。
時代祭を終えての感想
今まで経験したことない髪型、白塗りの化粧、豪華な着物に、わくわくする気持ちと、大勢の人の前で歩くということに対する不安な気持ちとが入り混じっていました。
最初から最後まで、緊張し通しでしたが、無事最後まで役割を果たすことができてホッとしています。
これからの人生で、間違いなく記憶に残り続ける大切な思い出のひとつになるだろうと思います。
見に来てくれた友人の反響
時代祭を見に来てくれた友人たちからは、「お疲れ様、とても綺麗だったよ」と言ってもらえました。
素直に嬉しい気持ちでいっぱいになりました。
時代祭は来られなかった人たちにも、私が時代祭に出たことを紹介してくれている友人もいて、心が温かくなりました。
関係者に感謝
参列者は、時代祭当日の前にも2回集まっての打合せがありました。
打合せには、たくさんの方が来られており、多くの人が時間をかけて時代祭を作り上げていることをあらためて実感しました。
今回、時代祭への参列の機会を与えてくれた皆様や、時代祭の運営に携わっているすべての方に感謝いたします。
おわりに
京都三大祭のひとつである時代祭は、全国から観光客が集まるお祭りであるとともに、すべての京都市民のお祭りでもあります。
京都を拠点とするMKタクシーも、関係者や参列者にご利用いただいたりといろいろな縁があります。
また京都市民である従業員個人にとしても、本人はもちろん家族や親戚友人が何らかの関わりがある場合が多いでしょう。
特に2022年は、たまたま従業員の娘さんが玉瀾役として、江戸時代婦人列の参列者にも選ばれました。
まだまだ歴史は百年余りですが、先輩の祇園祭や葵祭のように、これから数百年たっても続いて行ってほしいものです。