2011イギリス語学留学vol.4 新鮮で驚きと刺激に満ちた1ヶ月|MKタクシー荒木寿史
目次
1992年に始まり、時代に合わせて改善・強化し続けてきたMKの海外研修。
京都MK上賀茂営業所の荒木寿史社員によるレポートを紹介します。
MKの海外研修制度
第20期となる今回は、京都MK伏見営業所の伊藤司朗社員、上賀茂営業所の荒木寿史社員、西五条営業所の清水伸人社員、ハイヤー課の福井俊裕社員の4名がイギリスで1ヶ月間学びました。
海外研修出発式
2011年9月16日に京都MK本社で「第20回海外研修出発式」を行いました。
荒木社員より「語学レベルの向上と自己研鑽に努め、帰国後の業務に生かし、MKの英会話サービスの発展に寄与することを誓います」と決意の言葉が述べられました。
出発前のひとこと
1ヶ月という期間で自身の英語レベルが劇的に向上するとは考えにくいですが、このようなチャンスを与えていただき、後押ししていただいた会社、営業所長、配車係の方々を始め、皆様方への感謝を忘れません。
自分の中の「世界」を思う存分拡げてきたいと思います。
海外研修レポート
平穏無事に終わるはずだった1ヶ月
この度、第20回海外研修生としてイギリスで1ヶ月間の語学留学生活送らせていただきました。
まずはこのような機会を与えてくださった会社、ならびに関係各位へと深く感謝の念を表したいと思います。
私にとって二度目の海外生活となる今回のイギリス留学。
すでに英会話ドライバーとして日々業務に励まれ、しかも私の父親とほぼ同じ年齢である、伏見営業所の伊藤司朗社員(シロー)とともに、イングランド南部のポーツマスという港町へと旅立ちました。
紳士の国だ、英国式マナーだ、料理はちょっと・・だ、などと耳にはするものの、正直、アメリカで経験した初めての海外生活に比べれば、ほとんどカルチャーショックも無く平穏無事に1ヶ月が過ぎていくだろうと、最初は考えていました。
あの新鮮で驚きに満ちた1ヶ月間を経験するまでは・・・。
2011年9月18日(日)のイギリス到着初日、私の留学生活は夜明けのヒースロー空港から日本の実家へと電話をかけることでスタートしました。
電話に出た祖母に「無事ロンドンの近くに着いたで!」と伝えると、「そうか! 良かったなあ・・・ほんで今からイギリス行くんか?」との答え。
なんとも心地の良い脱力感。これは日本の実家でしか味わえない感触だと思っていたので、自分が地球の裏側にいても何か“大いなる力”のようなものに護られているような感覚に襲われました。
このとき私は、今回の留学生活の無事をいきなり確信することができました。
まさかのホームレス状態に
そうして空港からの送迎車で到着した初日のポーツマス。
私はいきなりホームレスになってしまいました。
今回お世話になるホストマザーのジェニーに到着時刻を勘違いされていたためです。「申し訳ないけど、8時間後にもう一度来てもらってもいいかしら」と家に入れてもらえず、途方に暮れる私。
それはまだまだ暑さの残る日本とは違い、冷たい雨の打ち付ける、とても寒い一日でした・・・。
ついさっき感じたあの大いなる力は何だったんだと思いきや、ドライバーの方の力添えもあり、幸い伊藤社員のホストファミリーの方々が一時的に私を受け入れてくださることになりました。
そうして親切にも朝食までごちそうになって何とか一息つくことができ、夕方には無事ジェニー宅へも入れていただけました。
料理上手で愛嬌たっぷりなホストマザー
ジェニー宅には私を含めて常時3人のハウスメイトがいました。
全員が同じ語学学校へ通うスクールメイトで、フランス、ポーランド、ロシアそして日本と多彩な顔ぶれながらも、年齢層の高さもあって本当に仲良く生活していました。
家によっては、生徒間や生徒・ホスト間で大小の衝突がしばしば起こっていたようですが、我が家でそうならなかった最大の要因は、間違いなくジェニーの人柄と料理の腕前のためです。
彼女はプロのアーティスト、そしてそれらの教師という顔を持つ、明るく情熱的そして寛容な女性です。
さらには料理教室を催すこともあるため、我々が渡航前に最も恐れがちなイギリスの料理についても一切のストレスがなく、ハウスメイトたちと毎晩、美味しい、美味しいと言いながら楽しく食卓を囲んでいました。
かと思えば、授業中に学校までやって来て「家のカギをなくしてしまったの!」と居候である私に助けを求めてくるジェニー。
そんな料理上手で愛嬌たっぷりなホストマザーを、誰が愛さずにいられるのでしょうか。
別れの朝には、日本のポップスを集めた自作のCDや私の地元の町のパンフレットなどをプレゼントし、何度もハグをして「一生忘れないよ!あの冷たい、雨のホームレス初日もね」と言い残し、再会を誓い合いました。
驚くほど親切なイギリス人
料理といえば、ポーツマスの街自体もパブのみならずインドやタイなど世界各国のレストランがずらっと並ぶ通りがすぐ近くありました。
たまに、どこかのお店で外食をしても、本当に美味しい食べ物ばかりでした。
特に日本で食べたことのなかったサバの燻製には、あまりの美味しさに私もシローもカフェのベンチで笑いが止まりませんでした。
今振り返ると、純粋なイギリス料理というものを食する機会は少なかったのかもしれませんが、「イギリスの料理は美味しくない」という評価については、一度その経緯をきちんと追わなければいけないなと感じています。
そうして私やシローが最初に受けたカルチャーショックは、間違いなく「イギリス人は本当に親切だ」という事実です。
様々な国の見知らぬ生徒たちを受け入れておられるホストファミリーの方々は勿論ですが、とにかく街の店員さんや職員さんたちが本当に親身です。
お金を払ったりするだけでも「Lovely」などといつも笑顔で応対してくれました。
交通マナーに関しても、信号機が少ない分、車や歩行者の譲り合いが多々見受けられました。
アメリカや日本とはまた違った、何か高潔な心の温もりがあったような気がします。
それらの点は、すぐに日本でも活かさなければならないなと強く思いました。
ハイレベルな生徒たちに圧倒される
迎えた学校初日でも、想像のできない驚きが待っていました。
授業自体はアメリカと同じく発言やペアワークの多いバラエティ豊かな進行でしたが、対照的だったのが、硬い発音と難しいボキャブラリーのブリティッシュ・イングリッシュ。
私がアメリカでかじった英語が通じないこともしばしばです。これには耳も口も馴れるのに1週間以上かかりました。
そして、上級クラスの生徒たちのレベルの高さ(ちなみにシローは最高レベルのプロフェッショナルクラスで、次元の違うレベルの授業と膨大な量のホームワークを毎日必死にこなしていました)。
彼らの英語力は勿論ですが、何より圧倒されたのが、弱冠10代から50代の彼らの「志の高さ」「ビジョンの明確さ」のような「人間力」です。
曰く、
「将来国際弁護士として活躍するため」
「娘がイギリスの大学に入学したから、私も勉強しておこうと思って」
「ゆくゆくは海外で商売をしながら余生を過ごしたいから」
そんな彼らに私が完膚なきまでに叩きのめされたのが、ある授業でのディベートでした。
グローバライゼーションの是非について、2チームに分かれて討論を行ったのですが、我々アダルトチームは、20歳前後のヤングチームに本当になす術無く敗れ去ってしまいました。
ディベートの技術、豊かなアイデア、そして強い気持ち・・・情けない話ですが、私が日本語で発言できていたとしても結果は同じだったように思います。
世界の動くスピードをこの目で目の当たりにした瞬間でした。
忘れられない優しさと気遣い
そんな授業の初日において、私には忘れられない出来事があります。
緊張の初授業が終わった初めての休み時間、クラスメイトたちが私にふと「日本のどこから来たの?」と質問してきました。
ポーツマスの街には、中国人や韓国人と違って日本人はほとんどいません。学校でも珍しい存在だったようで、「京都だよ」と答え、さて、日本の古都でも紹介しますか・・・と思ったその矢先。教室にあった世界地図に集まって、日本列島を指差す数人が「じゃあツナミからは離れているな・・・日本はもう大丈夫なのか?」と真剣に尋ねてくるではありませんか。
私は彼らの優しさに言いようの無い感動を覚えました。
そして驚きを抑え、拙い英語でとにかく「まだまだなんだ」ということを伝えました。
思えば、今回の大災害で世界の人々が日本のために祈る姿を目の当たりにしました。
慰めを受けてきた我々ですが、例えば40人もの方々が亡くなった中国での列車事故や、日本人の被害者が含まれてしまったセントクライストチャーチでの地震などについて、どのようなスタンスでニュースに接し、どれだけの祈りを彼らに捧げてきたのでしょうか。
日本の人々の人柄や文化に対する海外での人気の高さ(特に若者にとってはアニメ)は、今回の留学でも随所に実感できましたが、この時ばかりは日本人である自分自身の器の浅さを深く恥じました。
まだまだ「優しさ」や「気遣い」といった気持ちの数多くの意味を、私は知らないようです。
あの時の彼らのシリアスな眼差しを、私は一生忘れません。
京都の魅力の正体を探すという使命
そうして学校や街にも馴染んでくると、放課後にポーツマスの街を散策したり、週末に学校の主催する小旅行に参加して電車で郊外へと出かけたりしました。異国の空気をたっぷりと吸い込むことができました。
築100年前後の石造りの建築や、電車やバスに5分ほど乗ると見えてくる平野や丘、牛や羊。
私が1ヶ月のイギリス生活を思い返すときに最もよく思い出すのは、あまり写真に残すことのなかったそれらの日常的な景色です。
それはアメリカとも違いましたし、ヨーロッパそして世界に冠たる大英帝国の歴史の大きさをひしひしと感じるのに充分でした。
ひるがえって日本の建築物を見てみると、単純な歴史やスケールでは到底相手になりません。
そこで例えば京都に歴史があるからといって、我々がその上にあぐらをかくだけのような商売をすることはできないなとも同時に感じました。お客様が感じる京都の魅力というものの正体は、常に探し続けていなければならない、という我々の使命を再確認した次第です。
最後の1週間はすべて自由行動の時間としていただいていました。
世界遺産ストーンヘンジや、伝説のギタリスト、リッチー・ブラックモアのコンサート、さらには元ルームメイト(ドイツ人)の待つドイツへと旅に出かけ、いくつもの長年の夢を叶えることができました。
特に4年前にアメリカ西海岸で生活を共にし、そして別れた元ルームメイトと彼の母国で再会できたベルリンとライプツィヒでの2日間は本当に夢のような時間でした。
今、彼とは本当に最高の親友になれたような気がしています。
つらつらと書き連ねてしまいましたが、一言で留学の感想を求められると、まずは「本当に良かった」ということになります。
まだまだお伝えしたいこともありますし、とにかく少しでも英語、または海外に興味のある方は、次回このような研修の機会があれば是が非でも参加してください。
私が帰国してから申し上げている通り、それが留学生活で最大の感想です。
どなたにとっても新鮮で驚きに満ちた1ヶ月になるはずですし、以前より少しリベラルになった自分の心持ちを普段の業務において実感できるかと思います。
おわりに
MKでは、外国語で観光案内をできるドライバーを養成するため、1992年から海外留学制度を開始しました。
営業所でもネイティブ講師によるサロン型の勉強会を毎月数回開催しています。
このような充実した研修制度によって育成したESD(Englishi Speaking Driver)は、海外からのVIPの対応や国際会議の送迎など豊かな経験を積んでいます。
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