定年退職社員インタビュー「自分の命をはり、お客様を無事に送り届ける」松本誠司 社員

ひと よみもの
定年退職社員インタビュー「自分の命をはり、お客様を無事に送り届ける」松本誠司 社員

MKタクシーのドライバーとして長年“勤め上げた”社員を紹介する「定年退職社員インタビュー」。
今回は勤続30年10ヵ月、67歳で引退した西五条営業所の松本誠司(まつもと せいじ)社員に話をうかがった

記事は、MK新聞2008年6月1日号の再録です。
原則として、掲載時点の情報です。

 

 

松本誠司社員インタビュー

創業者・青木定雄に共鳴してMKタクシーへの入社を決める

MKタクシー入社前は繊維業界で働く。オイルショックを機に、将来的な魅力が感じられなくなり、繊維業界を退いた
1970年の大阪万博以降、当時タクシーは“走らせればどんどん乗ってくれる”花形職業。
乗車拒否などドライバーの横柄な態度が横行していた中、創業者・青木定雄の“お客様に選ばれるタクシー”“陸のパイロット”といった考えに共鳴し、MKタクシーに入社する。

 

規制緩和を求めて共に闘う

創業者・青木定雄は“そのうち自家用車が増えて、タクシーを選ぶ時代になる。そのために選ばれるタクシー会社にならなければ”と、社員教育に力を入れた。
また、客離れを加速させていた2年ごとの運賃値上げに反対し裁判を起こした。
そういった中で、労働組合の初代委員長を務め、MKの目標に向かって共に闘った
当時は車輌を増やすことも規制されていたため、MKタクシーに乗りたいお客様がいても車輌を増やせない。
時の運輸大臣に面と向かって、青木と共に現状を訴えたこともあった。
そうして、MKタクシーの創業期を作り上げてきた一人である。

 

プロ意識を持って

二種免許を取得した時から、プロのドライバーとしての自覚を持って業務に臨んできた。
「事故を起こしたらお客様の生活を変えてしまうかもしれない。自分の命もかかっている。責任ある仕事だということを忘れたことはない」とプロ意識は人一倍だ。

MKタクシーの教育は厳しいが、営業所を出たら会社の目は届かない。
自分の健康面、車輌の清掃など、全てにおいて自己管理が必要とされる。
夜勤として勤め上げたが、出庫して4~5時間後に必ず1時間の休憩をとって疲れをためこまないようにし、事故防止に努めた。お酒やたばこもやっていない。
今回退職を決めた理由は、今年1月に心筋梗塞で倒れたこと。
意識がない状態が3ヵ月続き、医者は何らかの大きな障害を覚悟しておいた方がいいと家族に伝えていたが、大きな障害が残ることはなく回復することができた。それも自己管理の上に築き上げられた健康の素地があったからだろう。
今後については、「リハビリを続けながら、これからできることをゆっくりと考えていきたい」としっかりと話してくれた。

松本誠司 社員 MK新聞2008年6月1日号より

松本誠司 社員 MK新聞2008年6月1日号より

 

 

MKタクシーの仕事

MKタクシーでは、昼勤専属の観光ドライバーから、夜勤専属のドライバーまでライフスタイルにあわせて多彩な勤務体系を選ぶことができます。
途中で勤務体系を変更することも可能です。
たくさん稼ぎたい若いうちは夜勤専属で、家族と過ごす時間を大切にしたい時期には昼勤専属で、高齢になって通常の勤務がつらくなってきたら、短時間勤務でとライフステージにあわせた勤務が可能です。

高い接客技術と語学を身に着けることで、国賓クラスのVIPや国内外の著名人などの送迎を担当するファーストハイヤードライバーを目指すことも可能です。
海外からのお客様やVIPのお供をするファーストハイヤーを目指すことも可能です。
観光勉強会や外国語勉強会など、会社がキャリア形成を全面的にバックアップします。

 

定年退職者インタビュー記事

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