大阪万博(1970年)に交通遺児を招待|今も受け継がれるMKタクシーの社会貢献活動のはじまり
目次
MKタクシーは、今も障害者施設への寄付訪問活動などの社会貢献活動を積極的に行っています。
社会貢献活動のはじまりとなったのは、1970年の大阪万博です。
ドライバーの発案で交通遺児を大阪万博に招待して以来、今も社会貢献活動は受け継がれています。
大阪万博へ交通遺児を招待
大阪万博は1970年3月15日~9月13日まで、今の万博記念公園で開催されました。
来場者数は今も歴代2位の6,421万人にも達し、大成功をおさめました。
大阪万博は、2025年の大阪万博開催を控えた今も語り継がれる大イベントでした。
ドライバーが交通遺児の招待を発案
MKタクシーは、1970年7月5日、交通事故で父親を亡くした交通遺児を大阪万博に招待しました。
MKタクシーの前身1であるミナミタクシーの一班班長である寺谷暢躬ら班員が実現したものです。
たまたま前月に班員との会合で交通遺児の話題となり、班長が「交通遺児の父親代わりをつとめたい」「交通遺族が集まって、お互いに励ましあっていこう」という思いで大阪万博への招待を発案し、班員7名の賛同も得られました。
発案者の班長は、1970年1月3日に入社したばかりでした。背景には、新しい給与制度によって、それまでの二倍以上の収入が得られるようになったので、「この嬉しさを恵まれない人達にも分かちたい」という思いもありました。
会社もタクシー車両を一日提供するなど、交通遺児の大阪万博招待活動を全面的にバックアップしました。
財団法人京都府交通災害遺族会を通じて大阪万博への招待の呼びかけ、6家族・20人の交通遺児とその家族らを大阪万博へと招待しました。
60名の交通遺児らも大喜び
7月5日の招待当日は、7名の班員がタクシーで大阪万博会場までの送迎を行い、小遣いを出し合って大阪万博入場券を購入しました。
大阪万博会場内では「一日父親」として交通遺児の家族らに付き添い、人気のソ連館やアメリカ館などをはじめとする大阪万博会場を巡りました。
大阪万博側でも交通遺児招待に大変好意的な対応をしてくれました。
どのパビリオンも延々長蛇の列だったのを、優先入場させてくれるなどがあったそうです。
大阪万博に招待した交通遺児の子供たちもおおはしゃぎで、付き添いの母親らにも大変喜ばれました。
エキスポランドへ身体障害者を招待
MKタクシーは、1972年5月1日より「タクシーを市民に返す運動」を開始しました。
運動の柱のひとつとして掲げられたのが、「身障者優先乗車運動」です。
身障者優先乗車運動の開始
身障者優先乗車運動の開始によって、ドライバーたちは身体障害者と接する機会が多くなりました。
1972年7月21日に、MKタクシーのドライバー有志10名が、重度身体障害者をレクリエーションの比叡山ドライブウェイなどのドライブに招待しました。
これを皮切りに労働組合では、ミナミ、桂、山科、上賀茂支部が競争のように身障者の招待行事を行いました。
50人の重度身障者が遊園地を満喫
1973年4月23日には、京都市内の身体障害者ら約50人をエキスポランドへ招待しました。
エキスポランドは、1970年に開催された大阪万博の遊園地ゾーンとして作られた施設です。
大阪万博閉幕後の1972年にエキスポランドとして営業を再開していました。
招待したのは、自分ひとりでは動くことのできない重度身体障害者たちです。
京都市身体障害者福祉会からエキスポランドまで、13台のタクシーに車椅子も積み込んで分乗して送迎しました。
遊園地で遊ぶ機会の少ない招待者たちは、楽しい一日をエキスポランドで満喫しました。
身体障害者団体の会報にも、次のように記載されています。
- みんな顔と顔が会うたびにニコニコ笑う、童心に帰ったように楽しそうだ。
- 又逢うと誓い合って全員で記念写真を取り帰京の途についたのである。
- ほんとうにすばらしい雰囲気、夢のような一日で一生の思井でになるだろう。
翌1974年5月15日にも、エキスポランドでの重度身体障害者の大規模な招待を行いました。
1976年9月27日にも、36台のタクシーで約80人の身体障害者をエキスポランドへ招待しました。
おわりに
MKタクシーの社会貢献活動のはじまりに
1970年に行ったタクシードライバーによる社会貢献活動は、当時としては全国的にも非常に珍しいことでした。
大阪万博への交通遺児招待は、新聞にも珍しい活動として掲載されました。
交通遺児を大阪万博に招待した活動は、社会的弱者への支援活動に触れる機会のなかったMKタクシーのドライバーらが、広く社会に目を向けるきっかけとなりました。
この交通遺児の大阪万博招待が、今も続く社会貢献活動のはじまりとなりました。
また、社会貢献活動が新聞に取り上げられて反響があったことは、MKタクシーがマスコミを通じた広報活動に力を入れるきっかけともなりました。
MKタクシーの社会貢献活動記事
万博関連記事
- ミナミタクシーと桂タクシーが合併してエムケイ株式会社となるのは1977年。1970年当時より、すでに両社をあわせてMKタクシーというのが一般的であった[↩]