「御室桜」が美しい!仁和寺は京都を代表する遅咲き桜の名所
目次
京都では、ソメイヨシノが終わってもまだまだ桜の季節は終わりません。
各地で遅咲きの桜が次々と見頃を迎えます。
なかでも京都の遅咲きの桜代表は、4月中旬に見頃を迎える仁和寺の「御室桜(おむろざくら)」です。
御室桜を見ずして京都の桜を語れません。
遅咲きの仁和寺の御室桜が満開を迎える平年値は4月12日~14日です。
しかし、2024年の仁和寺御室桜は平年よりやや早く10日に満開を迎えました。
仁和寺の「御室桜」とは
京都を代表する桜の名所
仁和寺の御室桜(おむろざくら)は、京都に数ある桜の名所の中でも特に著名です。
公益財団法人日本さくらの会が選定した「日本さくら名所100選」にも、京都市では嵐山、醍醐寺とならんで仁和寺の御室桜が名を連ねています。
後述のとおり、1924年に桜の名所としては日本で初めて国の名勝に指定されました。
御室桜は、ソメイヨシノが散る4月中旬に見頃を迎えます。
17世紀に遡る御室桜の歴史
仁和寺は仁和4年(888年)創建の歴史ある門跡寺院です。
記録に残る仁和寺の桜の記録の最初は、平安時代後期に源行幸が家書に「仁和寺の花見に詣で来て・・・」と記したものです。詳細は不明ですが、平安時代から仁和寺の桜は有名だったことがうかがい知れます。
仁和寺復興時にあらたに植えられた御室桜
仁和寺の御室桜は、正保3年(1646年)頃の伽藍復興時に境内に桜が植えられたことに始まります。
桜を植えたという記録は残っていませんが、少なくとも寛文元年(1661年)に仁和寺で花見をしたという記録が残っています。寛文元年(1661年)には既にお花見をできるくらいまで仁和寺の桜が成長していたということです。
仁和寺復興時当初からの御室桜の樹齢は360年を越えることになります。
京都随一と称された仁和寺の御室桜
元禄17年(1704年)刊行の「花洛細見図」では、桜の挿し絵とともに仁和寺について、
御室仁和寺花の比(ころ)はただならぬ遊人 花の袂をひるがえす
と記載されています。すでに桜シーズンともなると、多くの人でにぎわっていたことがわかります。
さらに宝永3年(1706年)刊行の京都ガイドブックである「京城勝覧」では仁和寺について、
春は此御境内の奥に八重ざくら多し。洛中洛外にて第一とす。吉野の山桜に対すべし。毎年花のさかり十余日の間はな見る人多くして日々群集せり。酒食をたづさへ幕をはりて遊宴をなすもの多し。
と紹介されています。
植えられてから約60年にして、既に仁和寺は京都でもナンバーワンの桜の名所であったことがわかります。
また今と同様に「花より団子」で花の下で宴会が繰り広げられていた様子も記されています。
仁和寺の桜のあまりの人気によって風俗が乱れたために、享保20年(1735年)には花見は禁止されてしまいます。しかし、宝暦7年(1757年)に困窮した門前の人々を救うために再び花見が解禁されます。当時の門前の人々は、仁和寺の境内に茶店を開くだけでなく、御室桜の維持管理にも大きな役割を果たして来ました。
境内いっぱいに咲き誇る御室桜
安永9年(1780年)に刊行された都名所図会では、仁和寺の境内一円に御室桜が咲き誇っているところが描かれています。
左の金堂と右の五重塔の位置から、今の名勝指定エリアと同じ部分であることがわかります。
むしろ今よりも広いエリアで御室桜が咲いています。
仁和寺の御室桜の間で、思い思いに敷物を敷いてお花見をしています。
食事を楽しんでいる人もいれば、寝転がっている人の姿も見えます。今も昔もお花見は同じですね。
天明7年(1787年)に刊行された「拾遺都名所図会」でも、仁和寺の御室桜の下でお花見をしている姿が描かれています。
御室桜の間に幕を張り、敷物を敷いて宴会を楽しんでいます。
豪華なお弁当が広げられており、右下の方では歌を詠んだり楽器を弾いたりしながら楽しんでいます。
一方の左の方では、外を通りがかった美しい女性の集団に興味津々の男性が幕の隙間からのぞき見をしています。その姿を見てすぐ右側の女性はちょっとお怒りの様子です。
仁和寺でのお花見の様子が生き生きと描かれています。
一方で、万治元年(1658年)刊行の洛陽名所集の仁和寺では、今の御室桜の位置に桜とおぼしき樹木は描かれていません。松が描かれています。
洛陽名所集の絵が描かれたころはまだ仁和寺の桜の木は小さく、描くほどのものではなかったのでしょう。
前述のとおり寛文元年(1661年)には仁和寺でお花見をした記録があるので、花見ができるくらいまで育つにはもう少し時間が必要だったのでしょう。
桜の名所として国の名勝に初指定
仁和寺の御室桜は、1924年12月9日に国の名勝に指定されました。桜の名所として名勝に指定されたのは、桜川(茨城県)、小金井(東京都)と並んで仁和寺の御室桜が最初でした。
指定理由は以下のとおりです。
「古来其名著はる桜樹数百株 何れも矮生にして其根元より数十の枝を生し 宛然躑躅の如き奇異なる状態を呈す。現存の品種は車返・有明・鬱金・種々の匂桜等にして花性優美なる里桜に属す。其境域また幽邃閑雅を以て聞ゆ」
このとき指定された桜は複数の品種を含む233株でした。
狭義の御室桜と広義の御室桜
実は品種名ではない御室桜
有名な仁和寺の御室桜ですが、厳密には「御室桜」という品種の桜はありません。
御室桜とは、広義には仁和寺に植えられている園芸品種の桜であるサトザクラの総称です。
品種としては、御室有明、車返し、御衣黄(ギョイコウ)、欝金(ウコン)、普賢象などのサトザクラが含まれます。
御室桜≒御室有明
狭義の御室桜は、仁和寺の名勝指定地の桜の約9割を占める品種である「御室有明(オムロアリアケ)」を指します。
遺伝子調査の結果、正確には仁和寺の212本中200本が御室有明であることが判明しています。
御室桜の用例として最も多いのは、仁和寺の名勝指定地内で咲く桜を指す場合です。ほぼ狭義の御室桜と同じです。
背丈が低いといった特徴がない車返し、御衣黄、欝金、普賢象を含めて御室桜という場合はまれです。
本記事では、御室桜=名勝指定地内の桜≒御室有明という用法を行います。
御室有明と関東有明
「有明」と呼ばれる2つの桜
御室有明は、オオシマザクラ(大島桜)とヤマザクラ(山桜)の系統のサトザクラです。
オオシマザクラは、その名のとおり伊豆大島と伊豆半島に自生する桜です。
花が大きいのと八重に変異しやすいという特徴があるため、鎌倉時代に京都への持ち込まれ、様々な桜の園芸品種であるサトザクラの原種となりました。
御室有明は、京都にも自生しているヤマザクラと掛け合わせて生まれたサトザクラです。
単に「有明」と言われることも多いですが、関東でよく植えられている近縁の「有明」という品種と区別するため、正式には「御室有明」と言います。
関東の有明は、「関東有明(カントウアリアケ)」と称されます。
御室有明も関東有明も花はほぼ同じですが、御室有明は萼片にギザギザがある点が異なります。
なお、貴船雲珠(きぶねうず)という桜も、遺伝子解析の結果、御室有明と同じ桜であることが判明しました。
貴船雲珠は、佐野藤右衛門が貴船の料亭ひろやで発見した桜です。
平野神社などにあり、仁和寺の山号と同じ「大内山」という名称の桜も御室有明と同一品種という説もあります。
なぜ御室桜の背丈は低いのか
「おたふく桜」とも言われる御室桜
仁和寺の御室桜の際だった特徴と言えば、背丈が低い点です。
昔から、「わたしゃ おたふく 御室の桜 はなが ひくても 人が好く」と歌われてきました。
御室桜は丈が低いため、眼前で花を楽しめるのも人々に愛されてきた理由のひとつです。
桜の木は、成長に従ってかなり大きくなります。ある程度大きくなると、花が遠すぎてお花見には向きません。
全国には樹齢何百年という桜の大木もありますが、ちょっと離れて眺めるには向いていても、桜の下でお花見をするのには向きません。
ソメイヨシノが全国に普及した大きな理由のひとつも、大きくはなりすぎないという特徴があるためです。
今も背丈が低い正確な理由は不明
仁和寺の御室桜の背丈が低い理由は、今もはっきりしません。
古く派江戸時代の都名所図会で「山岳近ければ常に嵐はげしく枝葉もまれて屈曲ためたるが如し」と説明されていますが、仁和寺は特段風が強いという事実はありません。
御室桜の下には岩盤があって根が深くまで張らないからという説もありましたが、仁和寺境内でのボーリング調査の結果、岩盤はありませんでした。
しかし、仁和寺の地下に堅い粘土層があり、御室桜の根は地下60cm程度までしか張っていないということが判明しました。
また地表近くも粘土質で、植物が育つのに必要な養分が乏しいこともわかりました。
以上の調査により、御室有明という品種の持って生まれた性質という説と、仁和寺の土壌が原因という説が有力です。
御室桜が背丈が低い謎を解明するため、住友林業は、クローン増殖した株を全国数ヶ所に試験植栽し、枝振りに違いが出るかの研究を進めています。
詳細な研究結果はまだ出ていませんが、たしかに仁和寺以外での御室有明は人の背丈よりも大きく育っていることが珍しくありません。
仁和寺で咲くからこそ特徴的な御室桜になるのです。
八重と一重が混在する御室桜
もともとは八重が基本の御室桜
御室有明のもう一つの特徴は、一重、八重、半八重の花が入り混じって開花しているのが特徴です。
前述の宝永3年(1706年)出版の「京城勝覧」では仁和寺について「春は此御境内の奥に八重ざくら多し」と記されているとおり、もともとは御室桜といえば八重桜でした。
しかし、今は八重よりは一重の花の方が目立ち、仁和寺に200本ある御室有明のうちおよそ9割の182本を一重の花が占めています。
八重と一重の御室有明を区別して「御室八重」「御室一重」と呼ぶこともあります。
残りの18本の御室有明も全てが八重の花というわけではなく、八重と一重が混在しています。
御室有明の両親であるオオシマザクラもヤマザクラも本来は一重の桜です。
長年にわたって株分けによって増殖してきたため、八重咲きの性質が一重咲きへと先祖がえりしたのではないかとされています。
今では八重の御室桜のみを、「八重御室有明」と区別することもあります。
クローン技術で八重の御室桜を保存
このままでは、仁和寺の御室桜は全て一重になってしまいます。
八重咲きの御室桜を残していくため、住友林業では前述のとおり株分けではなく、組織培養によるクローン増殖の研究を進めています。
今のところ、八重咲きの御室有明からクローン増殖した個体は八重咲きの花を咲かせており、古くから伝わる八重咲きの御室桜の保存に成功しつつあります。
仁和寺発祥の緑の桜「御衣黄」
江戸時代から知られる仁和寺の御衣黄
仁和寺で御室桜に次いで有名な桜が御衣黄(ぎょいこう)です。
緑の桜として、今や全国いたるところで見られます。
この御衣黄は、元は仁和寺が発祥だと言われています。
御衣黄という名称は、貴族の衣装の色(もえぎ色)に似ていることが由来です。
いかにも御室御所仁和寺らしいですね。
御衣黄は桜の品種としても古く、江戸時代から知られています。
「緑」と言われますが、咲きはじめは黄緑色をしています。
開花が進むとともに緑が濃くなり、次第に赤い筋が入ってきます。
散るころには、緑というより赤に近くなります。色の変化を楽しめるのも御衣黄の魅力です。
花が緑色なのは葉緑素のため
御衣黄が緑色をしているのは、花びらにクロロフィル(葉緑素)が含まれるためです。花はもともと葉が変化してものです。
御衣黄は突然変異によって先祖返りし、花にもクロロフィルが含まれているのです。
赤い筋が入るのは、アントシアニンによるものです。
なお、御衣黄と同じく緑の桜として古くからしられる欝金(うこん)も御衣黄と遺伝的にほとんど差がなく、枝変わりの関係にあるとされています。
遅咲きの御室桜の開花状況
4月中旬に見頃を迎える遅咲きの仁和寺の御室桜開花状況を、開花から終わりまで追ってみます。
遅咲きの仁和寺の御室桜が開花するのは、平年4月7日頃です。
ソメイヨシノの平年満開日が4日5日なので、ソメイヨシノが散りはじめるころに遅咲きの御室桜が開花しはじめます。
仁和寺で遅咲きの御室桜が咲くのは、仁和寺の仁王門から入って中門をくぐってすぐ左側(西側)の一帯です。
すぐ北側には観音堂があり、参道を挟んで東側には五重塔があります。
三分咲き(平年4月8日頃)
京都のソメイヨシノの平年満開日である4月5日の時点では、遅咲きの御室桜はつぼみです。
ソメイヨシノが見頃をやや越えたころに、ようやく遅咲きの御室桜がちらほらと開花しはじめます。
通常は境内自由の仁和寺ですが、御室桜の期間は有料になります。
2019年までは、御室桜の開花状況にあわせて有料期間が決まっていましたが、2020年から開花状況に関わらず、仁和寺「御室花まつり」として特別入山期間の開始日が3月20日前後に固定となりました。
2023年は3月18(土)~5月7日(日)まで、1ヶ月半にわたって仁和寺の境内は特別入山料が必要になります。
2019年までより、御室花まつりの期間が2倍くらいに拡大されました。
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御室花まつり期間中には、限定の御朱印も授与されます。
中でも切り絵御朱印が人気となっています。
五分咲き(平年4月9日頃)
ソメイヨシノも概ね散りはじめる4月9日頃より、本格的に遅咲きの御室桜の季節がはじまります。
仁和寺境内ではこのころ、遅咲きの御室桜に先駆けてヤマザクラが見頃を迎えています。
七分咲き(平年4月10日頃)
ソメイヨシノも概ね散りはじめる4月10日頃より、仁和寺では本格的に遅咲きの御室桜の季節がはじまります。
仁和寺境内ではこのころ、ヤマザクラが見頃を迎えています。
見頃(平年4月11日~15日頃)
そして、4月半ばになると遅咲きの御室桜が見頃を迎えます。
仁和寺の五重塔をバックにした姿が仁和寺の御室桜の定番構図です。
五重塔と御室桜の構図が見られるのは、御室桜エリアの南西端です。
雨天などでぬかるんでいるときはかなり滑りやすいので、ご注意ください。
仁和寺の五重塔は、伽藍復興時の1644年(寛永21年)の再建です。
何と、東寺の五重塔と同じ年です。東寺の京都では、北と南で巨大な五重塔の造営工事が行われていたのです。
五重塔を造れる職人や資材の取り合いで大変だったことでしょう。
仁和寺五重塔の高さは36.18メートルです。東寺の54.8メートルには及びませんが、同時期に再建されただけあって、逓減率の小さな屋根など、よく似た形をしています。
仁和寺の御室桜は背丈が低いため、普通の桜のように見上げる形にはなりません。目線の高さに桜が咲き誇ります。
こんなに近くでたくさんの桜を見られるスポットは、他にはありません。
その分、雨天時には傘をさしたまま入るのははばかられます。花を傷つけないように気を配りましょう。
散りはじめ(平年4月16日~20日頃)
4月も20日前後になると、さすがに遅咲きの仁和寺の御室桜も散りはじめます。
このころ、仁和寺境内では緑の桜として知られる御衣黄(ギョイコウ)が見頃を迎えます。
ちょうど仁和寺で御室桜が散り始める頃、仁和寺の奥にある原谷苑の遅咲きの八重紅枝垂桜が見頃を迎えています。
ある意味では仁和寺に匹敵する美しい桜を楽しめるので、是非行ってみてください。
仁和寺の御室桜の根元の周囲には、黄色いカンサイタンポポが咲いています。
よく見る外来種のセイヨウタンポポとは異なる関西在来種のタンポポです。
終わり(平年4月21日~)
4月も下旬になると、さすがに遅咲きの仁和寺の御室桜も終わりを迎えます。
御衣黄などのサトザクラはまだ部分的に見頃ですが、それもやがて終わりを迎えます。
仁和寺が一年で最も賑やかになる御室桜のシーズンも終わりです。
また来年を期待しましょう。
新緑シーズン
御室桜シーズン中からゴールデンウィークごろにかかえて、仁和寺は新緑が美しい時期を迎えます。
御室桜が終わるとあれだけにぎわった仁和寺境内も閑散とします。
しかし、輝くようなみずみずしい新緑をゆっくりと味わえる穴場の時期です。
御室桜シーズンだけでなく、その後の新緑シーズンにもぜひ仁和寺を訪れてください。
仁和寺について
皇族が住職を務める門跡寺院の筆頭
宇多法皇が初代住職
仁和寺(にんなじ)は、仁和4年(888年)に宇多天皇によって創建されました。
譲位して出家した宇多法皇は、仁和寺で落飾(らくしょく)し、仁和寺の第一世となりました。
以来、仁和寺は皇族が代々住職を務める門跡寺院となりました。
門跡寺院は仁和寺だけではありませんが、最初の門跡寺院である仁和寺は、門跡寺院の筆頭とされました。
「御室御所」と言われるようになった仁和寺
寺内に設けられた住職の僧房は「御室(おむろ)」と敬称され、仁和寺は「御室御所」と称されました。
1867年に第三十世の仁和寺宮嘉彰親王(のちに小松宮彰仁親王)が還俗し、明治新政府の軍事総裁となりました。
皇族が住職を務める門跡寺院としての仁和寺の歴史は明治維新とともに終わりましたが、今も真言宗御室派の総本山として、高い格式を誇ります。
仁和寺を総本山とする真言宗御室派は末寺700ヶ寺以上を擁し、古義真言宗でも高野山真言宗と真言宗醍醐派に次ぐ規模です。
末寺には、金剛寺、葛井寺、道明寺(以上大阪府)、久米寺(奈良県)、神呪寺(兵庫県)、屋島寺(香川県)、明通寺(福井県)など著名な寺院が含まれます。
寺院らしくない宮殿風の金堂
御所の紫宸殿が移築された金堂
門跡寺院として隆盛を極めた仁和寺ですが、応仁2年(1468年)に応仁の乱で全焼し、しばらく荒廃したまま再建されませんでした。
17世紀前半に徳川幕府の支援により、ようやく本格的な仁和寺復興が始まりました。
重要文化財の五重塔や観音堂、中門、二王門、鐘楼、経蔵、御影堂はいずれも江戸時代の仁和寺復興時に建立されたものです。
本堂にあたる金堂(国宝)は、もともと慶長18年(1613年)に内裏の正殿である紫宸殿(ししんでん)として建立されたのです。寛永17年(1640年)に後水尾院より下賜され、金堂として移築したものです。移築当時でもまだ築30年程度だったことになります。
もともと紫宸殿であったため、寺院建築でありながら寝殿造(しんでんづくり)という珍しい建物です。
移築時に檜皮葺を瓦葺に変えるなどの変更も行われていますが、今も仁和寺の金堂は雅な宮殿風を今も色濃く残しているのが特徴です。
ロケ地としても頻出の仁和寺
仁和寺境内の南西部には、歴代の門跡の住居でもあった御殿と庭園があります。
宸殿(しんでん)を中心に白書院と黒書院、霊明殿が並び、遼廓亭(りょうかくてい)、飛濤亭(ひとうてい)の2つのお茶室があります。
雰囲気たっぷりの仁和寺の境内や建物は、時代劇や歴史ドラマのロケ地としてもよく使用されます。
近年では「るろうに剣心」「本能寺ホテル」「大奥」などのロケが仁和寺で行われました。
「レジェンド&バタフライ」では、仁和寺宸殿が安土城の本丸御殿として使われました。
国指定名勝となった仁和寺御所庭園
2021年に国の名勝に指定
2021年3月26日には、庭園が「仁和寺御所庭園」として国指定名勝となりました。
御殿と庭園をあわせて「御殿」と呼んでいましたが、2021年6月19日から「御所庭園」と改められました。
2021年から約10年かけて建物や庭園の修復工事が行われます。
あわせて仁和寺御所庭園の拝観料も500円から800円に改められました。
「桜守」をはぐくんだ仁和寺
京都の造園業者の多くは、仁和寺近隣の宇多野や山越にあります。
これらの造園業者の多くは、もともと仁和寺の庭師として代々使えてきました。
明治以降は仁和寺以外の造園も手掛けるようになりました。代表格は、「桜守」の佐野藤右衛門を生んだ植藤(うえとう)造園です。
佐野家は代々仁和寺に仕えて農作業を行っていましたが、12代目から植木屋を本業とするようになりました。
14代目、15代目と当代の16代目佐野藤右衛門は、「桜守」ともいわれるくらい有名です。
造園業のかたわら日本中を行脚し、桜の保全活動や新種の発見などを行ってきました。
明治以降に花開いた京都の造園文化は、仁和寺がはぐくんできたのです。
仁和寺の名勝庭園のメンテンナンス費用を捻出するため、2023年1月にはクラウドファンディングも実施されました。
200万円の目標に対して270万円が集まりました。
今後も仁和寺の名勝庭園を維持していくために、クラウドファンディングが定期的に実施される予定です。
関心がある方は、ぜひ一度調べてみてください。
拝観情報
御室花まつり期間
開催期間 | 2024年3月23日(土)~5月6日(月祝) |
拝観時間 | 8:30~17:30(受付は17:00) |
拝観料 | 御室花まつり 500円 霊宝館 500円 御室花まつり・御所庭園共通券 1,100円 |
TEL | 075-461-1155 |
住所 | 京都市右京区御室大内33 |
アクセス | 嵐電「御室仁和寺」より3分 |
公式ホームページ:世界遺産 真言宗御室派総本山 仁和寺
仁和寺の最寄り駅は、嵐電(京福電鉄)北野線の御室仁和寺駅です。
1925年の開通当初は御室駅という名称でしたが、2007年に御室仁和寺駅と改称され、仁和寺の最寄り駅であることがわかりやすくなりました。
おわりに
ソメイヨシノの開花時期も毎年変動しますが、各社の開花予想を見ればいつ見頃かはだいたいわかります。
しかし、同じように開花時期が変動する仁和寺の御室桜は、情報収集に努めない限り、いつ見頃なのかはわからないでしょう。
MKタクシーの観光ドライバーであれば、仁和寺の御室桜をはじめ、いろいろな桜の見頃がいつであるかを把握しています。
MKの観光貸切タクシーなら、京都の春を心行くまで楽しむことができます。
観光・おもてなしのプロといっしょに一味ちがう京都旅行を体験してみませんか?
全員業務集会での仁和寺の方による講話
1993年10月1日のMKタクシー国道十条営業所における全員業務集会では、真言宗御室派管長の吉田裕信様にご講話いただきました。
1996年1月16日のMKタクシー伏見営業所における全員業務集会では、真言宗御室派教学部長の高松龍暉様にご講話いただきました。
1999年2月10日のMKタクシー上賀茂営業所における全員業務集会では、真言宗御室派管長の堀智範様にご講話いただきました。
2001年4月2日のMKタクシー上賀茂営業所における全員業務集会では、真言宗御室派教学部長の三池孝尚様にご講話いただきました。
2003年2月18日のMKタクシー上賀茂営業所における全員業務集会では、真言宗御室派教学部長の宮本光研様にご講話いただきました。
2004年7月1日のMKタクシー西五条営業所における全員業務集会では、真言宗御室派管長の佐藤令宜様にご講話いただきました。
2006年2月7日のMKタクシー上賀茂営業所における全員業務集会では、真言宗御室派教学部長の生石和宏様にご講話いただきました。
2006年10月2日のMKタクシー上賀茂営業所における全員業務集会では、真言宗御室派教学部長の上田秀宏様にご講話いただきました。
2007年2月1日のMKタクシー山科営業所における全員業務集会では、真言宗御室派宗務総長の立部祐道様にご講話いただきました。
2007年5月9日のMKタクシー山科営業所における全員業務集会では、真言宗御室派教学部長の沖田定信様にご講話いただきました。