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「サハラの歳月」砂漠を愛した女性作家・三毛の初期作品集を読む|MK新聞掲載記事

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MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞の2020年9月1日号掲載の、書籍の感想・書評記事です。

三毛著・妹尾加代訳『サハラの歳月』(2019年12月 石風社刊行 2,300+税)を読む。
著者:岩佐 昌暲(九州大学名誉教授)

 

三毛著・妹尾加代訳『サハラの歳月』-砂漠を愛した女性作家の初期作品集を読む

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初めに本書『サハラの歳月』の著者・三毛(サンマオ)(または、サンマオ)について書こう。
三毛という作家の名を知る日本人はそれほど多くあるまい。
本名は陳懋平、後に懋の字の複雑を嫌って、陳平に改名。1943年日中戦争のさなか重慶に生まれた。
父はクリスチャンで弁護士。1948年末、一家は国民党政権の台湾撤退に伴い台湾に移住した。

三毛は中学2年の時以後不登校になり、教育は両親から受け、また絵画なども学んだ。
1967年スペインに留学、この時まだ16歳だったホセと知り合う。8歳も年上の三毛に一目ぼれしたのだという。
三毛はその後、ドイツで学び、アメリカで働く。このアメリカ時代に『国家地理雑誌』でサハラ砂漠の写真を見て「前世を追憶するような郷愁」を感じ砂漠への憧れを抱く。
1973年に再びスペインに。翌年、西サハラの砂漠に行き、先に行って彼女を待ってリン鉱山で働いていたホセと結婚する。
三毛はスペインの植民地首都があった小さな町・アイウンに暮らし、ホセは往復100kmの郊外の鉱山に単身赴任だった。
この時期、ホセとの砂漠生活に取材した散文「中国飯店」(本書では「砂漠の中のレストラン」)を執筆、台湾の新聞「聯合報」文芸欄に掲載され、以後、砂漠を題材にした散文を続々と書くことになる。
1975年西サハラの領有権をめぐってモロッコ、モーリタニア、それに独立を求めるサハラの先住民(サハラウィ)の武装組織が宗主国スペインと対立しサハラ社会は混乱する。
スペインは領有権を手放して西サハラから撤退、三毛も対岸のカナリア諸島に移って定住し、執筆活動に入った。
1976年それまでの作品をまとめ『サハラの物語』の題名で出版、初版出版からわずか一ヵ月半で第4版を出すほどのベストセラーとなった。
1979年潜水作業の技術者だったホセが潜水中の事故で亡くなった。三毛の嘆きは深く、81年カナリア諸島を引き払い台湾に帰った。
その後、大学で創作を教授しながら執筆活動に従事、1991年1月、入院中の病院で自死する。享年47歳だった。

本書は、2011年刊行の『サハラの歳月』(台湾皇冠出版社)の全訳である。
原書は処女作『サハラの物語』の全作品と翌年出版された『哀哭のラクダ』の一部を編集整理したものだが、訳者は原書を、もとになった単行本の構成を活かし、サハラでの生活記たる第Ⅰ部(サハラの物語)と、回想的、物語的な文集の第Ⅱ部(哀哭のラクダ)に分けている。
第Ⅰ部の1編「砂漠の中のレストラン」は、作者が新婚の夫ホセのために中華料理を作って食べさせる話である。
台湾の母が送ってきた春雨のような食材で妻が作るありふれた家庭料理にホセは夢中になり(ホセに至っては「ビフテキはまずい。春雨が食べたい」とまで言い出す)、やがて会社の同僚が招かれ、噂を聞きつけた上司までが招待してくれと懇願するまでになる。
それがユーモラスな筆致で書かれている。
この文章が今に続く三毛ブームの発端になるわけだが、それはなぜだろう。
45年も前の台湾では、西洋人と結婚し、砂漠にすむ同胞女性の生活はそれだけで興味を引いただろう。
だが、ぼくは三毛の生き方が当時国際的に孤立していた台湾人の民族的自尊心や愛国心を励まし、国内的にも独裁政権の戒厳令下で阻まれていた自由な生活への憧れを刺激したこともあるだろうと思う。

本書は要約的に言えば、三毛とホセの暮らしと先住民サハラウィの生活風俗を砂漠の美しさ、恐ろしさを背景に描いたものである。
読者の多くがサハラの民俗や砂漠の風土にも強い関心を寄せていること想像に難くない。
三毛もその関心に応えようとしている。「向こう三軒両隣」はその代表的な作品だ。
それは「わが隣人たちは、外見はいずれもひどく不潔なだらしのないサハラウィだ」という一文から始まる。
彼らはスペイン政府の補助金をもらい、職業をもち、安定した所得があり、貧しくはない。
だが衛生観念に乏しく、不潔で、いやな臭いを発散させ、三毛から見れば最低限の礼儀も知らず、子供たちへのしつけも教育もしていない。
最も三毛たちを困惑させるのはその所有観念で、自分の持たないものはくれと要求していい。
自分になく人にあるものは借りてよく、借りたら自分の所有にしていい、と言わんばかりである。
「毎朝九時前後からこの家には途切れることなく子供たちがやって来て物を欲しがった」。
三毛は「彼らに渡さないと悪いような気がして」求められる物を渡すが「いったん渡したら当然もどってこない」。
もし彼らに渡すのを断るとだれもが腹を立てて言う。
「あんたは私の誇りを傷つけた」。サハラウィは皆非常に誇り高かった。
三毛は皮肉交じりに書いている。サハラウィは皆非常に誇り高かったから「彼らの誇りを傷つける気になれず、やはり物を貸さざるを得なかった」。
だが、そういう生活を彼女は楽しみ、隣人たちに感謝さえする。
なぜなら「私の砂漠での日々は彼らによって、さまざまに彩られ、およそ寂しさの味などしらない」からだ。

第Ⅱ部は、1977年に出版された作品集『哀哭のラクダ』に収められた作品を主体に編集されている巻末に「聾唖の奴隷」「サバ軍曹」「哀哭のラクダ」を置いて本書を終えたのは、この3編を「とても感動的」と言い、目次に「好」と書き入れて訳者に送ってくれた三毛の意志に従ったものだ。
最後にこのうちの2編を紹介する。
「サバ軍曹」はサハラに駐留するスペイン軍の一下士官・サバ軍曹の死の物語。
サバの部隊(砂漠軍団)は16年前砂漠のオアシスに宿営中、先住のサハラウエィと水を巡って争いになり、ある晩襲撃されて軍曹以外は皆殺しにされてしまう。
その中には彼の弟もいた。それ以後、彼はサハラウィを憎み、恨んでいる。
ある日の朝、サバは車で通りかかった空き地で子供たちが爆発物の仕掛けられた小箱で遊んでいるのをみつけ、起爆装置の働く寸前、箱に覆いかぶさって爆死する。
彼はここに埋葬され、砂漠は「彼の永遠の故郷となった」。
サバ軍曹のような人が「自らの生命を投げうってその死と引き換えに、長年かたきと恨んできたサハラウィの子供の生命を救った。なぜ?」三毛はそう問うが答えは書かれていない。
だが彼女の答えは明らかだ。人間に対する、個人的な憎悪を超越した尊重、それがサバ軍曹にとっさの行動をとらせた。
無論軍曹が論理的、理性的にそう考えたわけではあるまい。
軍曹の日ごろの言動を裏切る最後の行動に、ヒューマニズムの発露を見て、それを称揚するためだったと思う。
ぼくはそこに三毛の人間性への信頼を読む。

「哀哭のラクダ」は散文と言うより小説的な構成で書かれている。
バシリはサハラ独立戦線のリーダーで、ゲリラ部隊の隊長である。三毛の友人シャイダが彼の妻だということは誰も知らない。
モロッコのデモ隊が迫り、テロが頻発し、町の空気が緊迫しはじめたある日の夜、三毛は突然訪ねてきたバシリとシャイダを匿う。
翌朝、2人を送り出した三毛は、バシリが味方に密告されて見つかり殺されたことを知る。
密告したのはシャイダだというデマも流されている。シャイダは捕まって「民衆裁判」にかけられる。
三毛はシャイダのために釈明すべく、刑場に急ぐが、裁判なぞはなく、男が「こいつを犯してから殺す。こいつはカトリックだから、やっても罪にはならない」と宣告しシャイダに襲い掛かかるのを目にする。
その時バシリの弟のルアがピストルを片手に飛び込んできた。
銃声が聞こえ、群衆が悲鳴をあげて散ったあとの刑場にはシャイダとルアの死体が転がり、三毛はラクダの悲鳴が大空に満ち雷鳴のように襲い掛かるのを聞く。
凄惨な物語である。
それまでの作品で三毛もサハラ社会の不条理を描写してはいるが、それに批判的な言葉を呟くのみで、不条理な現実をも受け入れるという姿勢だった。
この作品には、はっきりした抗議の声が聞き取れる。
その声は大声で叫ばれているわけではない。目の前で展開される悲劇が哀傷に満ちた風景のなかに響き渡るラクダの悲鳴によって示されるだけである。
それは砂漠独立のために闘う戦士を味方たるべきサハラウィが密告して殺害するという愚昧への弾劾の悲鳴であり、こうした不条理への抗議の声だとぼくは読んだ。

1976年に刊行され『サハラの物語』は「初版出版からわずか1ヶ月半あまりの間に4版を出した」。
その後も三毛の作品の人気は衰えることなく、全作品あわせて中国語圏を中心に現在まで1,000万部を超える大ベストセラーとなった。
その理由はさまざまだろうが、時代によって変遷があり、初期の砂漠とそこに生きる民への好奇心、外国人と結婚した同胞の砂漠生活への興味といったことから、三毛の自由な生き方、そのヒューマニズム、あるいは表現を含む文学そのものへの関心へと愛読の理由が拡がってきているように思う。
だが実はそれこそが三毛の初期からの文学的姿勢、主題だった。
各国語への翻訳が進行中だというのも、三毛の文学的姿勢・主題が理解されつつあることを物語るだろう。
訳者の努力によって、われわれも世界に広がる三毛の読者の列に加わることができるようになったことを喜びたい。

岩佐 昌暲(まさあき)

1942年島根県生まれ。
1972年大阪市立大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。
1973~78年北京第二外国語学院教員、1980年九州大学助教授、教授を経て、2005年~13年熊本学園大学教授。
九州大学名誉教授。
中国現代文学専攻。研究の重点は中国現代詩、文革時期の文学、郭沫若文学など。
主な著書に『中国少数民族の言語』(光生館、1983年)、『文革期の文学』(花書院、2004年)、『八○年代中国の内景―その文学と社会』(同学社、2005年)、『中国現代詩史研究』汲古書院、2012年)、編著に『紅衛兵詩選』(劉福春と共編、中国書店、2001年)、『中国現代文学と九州―異国・青春・戦争』(九州大学出版会、2005年)、同中国語版(南京師範大学出版社、2011年)、『郭沫若の世界』(花書院、2010年)、翻訳に盧瑋鑾『香港文学散歩』(九州大学比較社会文化学府、2005年)、謝冕『中国現代詩の歩み』(中国書店、2012年)、洪子誠『中国当代文学史』(東方書店、2013年)など

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