北京紀行⑤ 中国革命「長征」の行方|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏よりの寄稿記事を掲載しています。
2016年に北京などを訪れた際の連載記事の最終回です。
MK新聞2017年6月1日号の掲載記事です。
北京紀行⑤ 中国革命「長征」の行方
2016年10月22日、北京の魯迅記念館で魯迅と対面し、藤野先生、ハンガリーの革命詩人・ペティーフ・シャンドール、中国革命の姿を世界に伝えたアグネス・スメドレーを偲んだ後、午後に、これも私の希望で地下鉄に乗ることになった。
その後の予定の都合で1区間(3元)だけだったが、日本のラッシュ時を思わせる混み具合だった。
そして思わず「エーッ!」と声が出たのは、乗車前に空港の手荷物検査と同じような機械で鞄などをチェックすることだった。
地下鉄全駅でこれをやっていることになり、きわめて短絡的感想だが、テロだけでなく、国民を信用していないのだと思った。
モンゴル、チベット、ウイグルなど少数民族への恐れもあるのだろう。
その後、郭沫若(かくまつじゃく)記念館へ。
その名はよく知っているけれども、どういう人であったかは何も知らないと言っていい。
朝日新聞社の『現代人物事典』『朝日人物事典』によると、1891年、四川省生まれ、文学者・歴史学者・政治家。
1914年、日本に留学、2年後、東京聖路加病院で日本人看護婦と恋に落ち、岡山で同棲、18年九州大学医学部入学、23年に日本人妻と3人の子を連れて帰国、28年、中国共産党入党、翌年妻子と日本に亡命(西園寺一晃記)とあって、日本と大変深いつながりがある。
それだけではない。私の中国行きに同行してくれた岩佐昌暲(まさあき)さんは何を隠そう、現在、日本郭沫若研究会の会長であり、九大で1980年から2005年まで教鞭をとり、現代中国文学研究者として中国でもよく知られた存在であり、自身が編集する『郭沫若研究会法』は既に17号を数える(japankakuken@gmail.com)。
次に訪れたのは岩佐さんの中国の友人が紹介してくれた文化会館。
ここで初めてというべきか、反米的シンボルを目にした。
キューバでアメリカ帝国主義と戦ったあのチェ・ゲバラの日本でもおなじみの肖像だ。
館長によると、年間予算は3億元と潤沢、小劇場的な催しは館長の裁量に任されているが、大規模で大衆的なものは届け出が必要という。
淀みなく語る館長は自信に溢れ、活力が漲(みなぎ)っていた。習近平中国の秩序維持に貢献する“苦悩なき知識人”というべきか。誤解かもしれないが。
この日は北京滞在最後の夜となる。承徳行きのきっかけとなった故大森昌也君の妹、野口和子さんと相談をし、われわれに楽しい日々を過ごさせてくれた岩佐、伊藤夫妻に感謝の念を表すべく、野口さんと私の2人でこの日の夕食をごちそうすることにした。
夫妻が選んでくれた店は「孔乙己」。魯迅の有名な短編の題名そのままである。
主人公が飲み屋で選ぶつまみの一つが茴香豆なのだが、その豆が料理の最初に出てきた。
一口味わってうーんと唸るまどの深みのある旨さで、これだけでこの店の料理のレヴェルを推し量れると思った。
帰国後、私の負担分を野口さんが請求することになっていたが、すでに半年も経って音沙汰なしなので、野口さんがすべて負担したことになる。謝謝というべきか。
感心したのは、店に来る前に町の果物店で伊藤さんが買った大きな瓜を店に持ち込んで、それを切り分けてくれるように頼むことができたことだ。
また滞在2日目だったか、レストランで岩佐さんが瓶ごと買った老酒の残りを持ち込むことを許す店もあることにも私はいたく感心した。
翌23日は帰国の日。午前中に有名な観光地、圓明園へ行くことになった。
中に“廃墟”があり、「廃墟が好き」という大森あいさんの希望だった。
天気もよく、日曜日で賑(にぎ)わっており、客のほとんどが中国人。
「服装が格段によくなっている」とは岩佐さんの感想。
入ってすぐの場所に巨大な液晶画面があって、習近平が唱える「社会主義核心価値観」が映し出され、その“無粋さ”は地下鉄の荷物検査と重なる。
実は同じものを旅の第1日目の承徳で町なかの壁に見ている(写真)。これは北京言語大学の正面玄関にも掲げられており、恐らく至る所にあるものだろう。
この無粋さとは裏腹に、垂れ下がる柳(?)の豊かな緑と船を浮かべた水面が醸し出す風情は実に心地よいものだった。
そして“廃墟”は柵で囲まれ、人々の賑わいもあり、廃墟が醸すある種の空無感は無い。
ただ、その近くにヴィクトル・ユゴーの石像があり、思わず足を止めた。
なぜここにユゴーが? 地面に銘板があり、伊藤さんが読んでくれた。
ここは清朝の離宮で、1860年のアロー戦争(第二次阿片戦争)の時、英仏軍の破壊と略奪を受け、ユゴー(1802~85)が抗議の声を挙げた、その記念という。
カメラマン志望の大森あいさんは、プロ仕様の望遠付きのカメラで1日目から風景やわれわれをたくさん撮影していたが、残念なことにまだ1枚も目にする機会がない。
ところで、園内の土産物店で2人の孫への土産を買って、フッと顔を上げるとあのスティーヴ・ジョブズの顔写真が目に飛び込んできた。
ナンデヤ! 彼の伝記本の表紙らしいが、小中学校では目指すべき人間像として称揚されているという。
この稿を書く直前の今年4月、ペシャワール会の取材で博多へ行った折、岩佐、伊藤夫妻を表敬訪問したのだが、そこで『九州日中平和友好会』(TEL/FAX:092-715-2554)会報74号を見せてくれ、密山市訪問記には、中学校の会議室にビル・ゲイツの顔写真があったと記している。
ここで思い出すのは、関空から北京へ来る機内で見た新聞の一つ『参考消息』16年10月18日号の「世界視野下的中国長征⑥」の記事。
1934年10月から36年10月にわたって蒋介石の国民党軍に追われるようにして、多数の犠牲者を出しながら紅軍が1万2,500㌔の大移動を行ったことは、私などにはすでに遠い昔のことように思えていたのだが、⑥という数字が示すように、連載記事によって「長征」の意味を国民に説き続け
ているのは、“今は過渡期、問題があっても我慢しろ”という呼びかけではないのか。
しかし、思うのは2008年に「国家政権転覆扇動罪」を宣告されて服役している、2010年度のノーベル平和賞を受賞した劉暁波(りゅう ぎょうは)の「愛国の本質とは、人民に独裁政権を愛し、独裁政党を愛し、独裁者を愛するように求める」ものという激越な批判だ(劉『最後の審判を生き延びて』岩波書店、2011)。
いずれこの長征の記事と劉暁波の言をともに携えて、スメドレーとニム・ウェールズが訪れた革命の“聖地”延安を訪れたい。
前号で紹介した2人の女性の伝記は、自立した女性の生き方を追い求めてきた伊藤さんに贈呈するのがふさわしいと思っている。
それで、今回の中国行きのピリオドとなる。(2017年5月1日記)
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フリージャーナリスト・加藤勝美氏について
ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。
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1985年11月7日号~1995年9月10日号 「関西おんな智人抄」(204回連載)
1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)