北京紀行② 侵略の歴史と重なる人生|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏よりの寄稿記事を掲載しています。
2016年に北京などを訪れた際の連載記事の第2回です。
MK新聞2017年3月1日号の掲載記事です。
北京紀行② 侵略の歴史と重なる人生
承徳(しょうとく)の2日目。ホテルを出て、チベット仏教のお寺、普寧寺へ。
ちょうど礼拝をしている女性がおり、日本の賽銭箱に相当するものには「功徳箱」とある。境内にはテレビなどでおなじみのマニ車がずらりと並んでいる。
ここには木造の巨大な千手千眼菩薩像があることで有名だが、高さ22mの巨像はすっぽりと建物で覆われているので、撮影できない。
撮影している写真は、前の日に北京から承徳へ向かう途中、休憩所の男子用トイレに標語「向前一小歩 文明一大歩」とともに貼ってあったもの。
五百羅漢像がびっしりと立ち並ぶ普佑寺の説明板に「日本帝国主義侵占熱河」の文字があった。
この羅漢像はもともと承徳の羅漢堂にあったが、1930年代に日本軍が承徳を占領した時に、その羅漢堂を武器庫とするために、ここ普佑寺に移したという。
日本帝国の罪はまだあった。承徳は観光地としては避暑山荘が有名だが、この山荘内にあった珠源寺の本殿・宗鏡閣全体が1761年に銅207トンを使って作られ、精巧な造りで知られていた。
しかし、日本の占領軍が11944年10月、承徳で金属献納運動を開始、住民に銅製品を供出させ、881部隊がこの本殿を解体撤去し、秘かに日本に運ばれたが、または弾薬となったとされる。
観光客としてここを訪れ、望んだのではないが、あのアジア太平洋戦争の中での日本軍の行為を認識させられることになった(掲示板の内容は岩佐昌暲先生に教えてもらった)。
昼食後は車で北京に向かうのだが、途中に万里の長城への登り口があるので立ち寄ることにした。
入場券には「金山嶺長城」、「国家AAAA級旅游景区」と記されている。
一行5人のうち4人までが年寄りだから、ロープウェイに乗る。乗り場に向かうと数人の女性が長城の写真集を手にして寄ってくる。
岩佐先生によると、近くの農村の人らしい。かなりしつこい。
帰国してから図書館で見つけた内海寛子著『万里の長城 6000km、世界初踏査記』(草の根出版会、2001~2年)には、面白いエピソードがあった。
ある場所では、目の前にTVアンテナがあったり煙突から煙が出ていたり、ぽっかり空いている穴をのぞくと食糧庫であったり。
そこの住民には長城は「世界文化遺産」ではなく、生活の場なのだ。
大学出の通訳は「歴史では食べられません」。また、内海一行が泊まったホテルのTVは、ドラマも娯楽番組のゲームも抗日がテーマで、人相のよくない俳優は日本人、ダーツの的はヒトラーと東条英機、同じものが1ヵ月続いたという(上巻95ページ)。
急な狭い石段をすり抜けるようにしながら、登り下りを繰り返して“万里”のほんのちょっぴりを体験して、車で北京市内へ向かう頃には雨が降り始め、市内に入ると煌めくネオンの輝きに包まれ、車の洪水の真っただ中。
運転手さんは抜け道に詳しいベテランらしいのだが、大渋滞を避けるはずの抜け道も、延々と続く“長城”のような不法駐車に阻まれて、行きつ戻りつを繰り返し、ようやくのことでホテルに辿り着いたが、ホテルの前も延々と駐車の列が続いていた。
高層ビルが建てられても、駐車スペースは設置されないらしく、公道は無政府的に増え続ける車に埋め尽くされていた。
翌10月21日、中国の3日目、私の希望で「中国人民抗日戦争記念館」へ。
中国の指導者が自国の歴史を国民にどのように伝えようとしているのかを知りたかったためだ。
入ると、場内を埋める小・中学生らしい一団の多さに驚いてしまった。
展示を見始めてすぐ目についたのが、「王道楽土大満州國」という大石碑の写真。
左隅に写っている人間と比べると、この石碑の大きさが分かる。続いて「日本侵佔東北眞相畫刊」「好日特刊」「反日特刊」など、雑誌の写真。
この「東北」とは「満州」を指す。続いて、1936年7月から39年度の抗日軍(第一軍から十一軍)の指導者の氏名がずらり。
そして「國聯調査團報告書」の中国語版。これは1931年9月、日本の関東軍が中国への侵略(満州事変)を始め、翌年3月、「満州国」を作り、中国の提訴で国際連盟がリットン調査団を派遣、その報告が日本の立場を非難したことで、日本が国際連盟を脱退することにつながった歴史的文書。
入口の正面には抗日軍兵士たちの金色の群像が威圧する表情で立ち並び、迫力がある。
ここを出てからかねてからの“念願”の盧溝橋(ろこうきょう)へ。というのは、「盧溝橋事件」の日付は1937(昭和12)年7月7日で、筆者が生まれたのがその3日後の10日。
いつからかは覚えていないが、「俺の人生は中国侵略の歴史と重なる」という意識を持つようになっていた。
この記念館の入場券の表側には「北京市愛国主義教育基地」と印刷され、裏面には中英日の3ヵ国語で橋の説明がある。中国語では「“七・七”事変 中国人民抗日戦争的序幕」とある。
「金山嶺長城に登る」岩佐昌暲
長城は
ここでは まだ 緑を失った荒々しい自然に親和し
辺境防衛に駆り出された兵士の幻影と
一体になって
烈しい北風を受け容れている
劣化した瓦礫を積んだ壁と
中国地方の黄色い土が
構成する
満目蕭條の悲涼の風景は
笑いさざめき賑やかに シャッターを切る
兵士の後裔、共和国公民たる観光客と 彼らの
〈中国の夢〉を
拒んでいる
(2016年10月)
注1:「公民」は2004年3月公布の共和国憲法で、「法律の前ではすべて一律平等」とされ、言論・出版・示威や国家機関と公務員を批判する権利を有する。
注2:〈中国の夢〉(チャイナ・ドリーム)は2012年11月の中国共産党18期全国大会で、習近平が提起したもので、「国家富強・民族振興・人民幸福」3つの実現がその内容。
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フリージャーナリスト・加藤勝美氏について
ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。
MK新聞への連載記事
1985年以来、35年間にわたってMK新聞に各種記事を連載中です。
1985年11月7日号~1995年9月10日号 「関西おんな智人抄」(204回連載)
1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)