自給自足の山里から【204】「21年ぶりの再会」|MK新聞連載記事
目次
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、縄文百姓の大森昌也さんらによる「自給自足の山里から」を、1998年12月16日~2016年6月1日まで連載しました。
MK新聞2016年2月1日号の掲載記事です。
大森昌也さんの執筆です。
21年ぶりの再会
医者見放す末期ガン!余命は?
今年の正月は、あ~す農場で、6人の子ども、6人の孫たち、近くの百姓仲間と過ごした。
さて、来年はどうなるやら。
昨年4月に、左目下が腫れ、「ハチに刺された」との近在の医者診断以来、たらい回しにされ6月に「上顎(じょうがく)ガン」と。
8月に手術、9月末に退院。10月下旬再発して入院し、「放射能治療」受けるが、半ば途中で「これ以上やってもムダ」「退院して、地元で緩和ケア受けてください」と医者見放す。
「余命は?」と聞くも答えず。
昨年末30日に帰ると早速、ケアマネジャー、医者、看護師、「ダスキン」ら待ち受ける。全く気が滅入った。
一方、近くの百姓たちは「手術・抗ガン剤・放射能の3大近代治療を経験して見放されたんだから、原点に還って治療しよう」と励ましてくれ、「“奇跡の生還”の情報」と鍼灸(しんきゅう)師ほかいろんな民間療法を紹介してくれた。本当にうれしかった!
「奇跡を起こすぞ!」
21年ぶりに見舞いの娘たちの母親の涙
そんな中、久しぶりに会う人の見舞い。娘のれい・あい(26歳の双子)とともにひっそりとやってきてたたずむ初老の女性。
ベッドの上の私の顔をのぞき込み、「子どもたちをいい子に育ててくれてありがとう」と涙をポロポロ。
私もちょっと涙した。娘たちの母親である。
思えば21年ぶりだった。「変わってないわ」と言った。まあ、私とちがって元気な様子に安心する。
ブラク(被差別部落)のNの恐喝
21年前といえば、その頃、あ~す農場を開いて10年余り。3反(30アール)の田畑耕し、石窯を築いて天然酵母のパンを焼き、豚・山羊・ミツバチ・トリたちを飼って、「百姓体験居候」も受け入れていた。
私は、村の六さんから炭木を譲ってもらい、朝、弁当を持って山に入り、炭焼き三昧の日々だった。
そんなある日、六さんの家に呼ばれた。行くと、一升瓶を抱えた同じ町内のブラクの者・Nが「こりゃあ! 盗っ人!」といきなりわめいた。
六さんは、困りきった表情である。どうも、六さんの紹介の炭木に関して、境を越して3本切り込んだと責任を問い詰められているらしい。
私は「切り込んでいない」と言うと、「警察を呼ぶ」と脅す。
しばらくして、移住時以来お世話になっている総代さんをNの家に呼びつけ、私も呼び出された。
「総代も承知している。念書を書け! 罰金30万円を払え」と言う。心優しき総代は、疲れ弱りきって困惑状態である。
これ以上、村人、総代さんらに迷惑をかけられない。
理不尽だが…念書を書き、30万円を払った。
苦労人のマスコミの知人の力で「解決」
悔しくて、日々、寝られなかった。なんとかこの非を糺(ただ)せないものか、と。
後輩の弁護士に話すが役に立たず。Nの親戚という知人が「“話”をしたろ」と動くが、「奴は“俺は裏の町長だ”と逆ねじを食わせてきた。モンスターだ!」と…。
マスコミにも働きかけるが皆さんは全く取り上げようともせず、触れなかった。
そんな中、苦労して、マスコミの仕事に就いた知人が「これは恐喝だ!」と取材を始め、警察も(中では半々だったとか)動いた。
そして、年末近くなって、私たち夫婦が警察に呼ばれ、行くとNがいた。
警察官は「このままじゃ“事件”にせにゃならん」とNに言うと、「わかりました」と手にした念書を破り、ストーブで燃やし、30万円も返した。
あっけない「解決」であった。
精神が錯乱状態の中つれあい出ていく
晩秋から3か月に及ぶ、Nの“恐喝”は、このサベツを助長し煽るもので、なんとか心ある人たちに暴走を止めるよう協力・助力を求めたが、知らぬ顔。
むしろ、聞こえてくるのは「私も同じような目に会った。子々孫々忘れず伝えていく」なんて声。
ブラクサベツを深く沈殿させ、増幅する現実に、精神的にショックを受け、うつ状態になった。
寒いある日には、夕刻、山に入り、昔の墓地の前でボーっと立っているのを発見されたりした。
私は、子どもたちのこと、つれあいの心労、農場のことにも目が届かず、
周りの人たちにも理解してもらえず、あ~す農場は崩壊寸前であった。
「解決」した日の翌日頃、つれあいは「私は出ていく。子どもたちをよろしく」と言った。
私はただぼーっと“話”を聞くだけで、駅まで送った。
帰ってくると、子どもたちは寝ていた。
一人ひとりの寝顔を見ながら、ふと我に返った。
「これからどうしよう!」 一升ビンを取り出し、一晩空になるまで飲みながら、「明日から、子どもたちと、あ~す農場を切り盛りしていこう」と覚悟した。
若き縄文百姓に幸あれ!
早いもので、当時14歳だった第一子のケンタは35歳、結婚して3人の親に、長女のちえも昨春結婚し、それぞれ同じ村で百姓をしている。
滅びゆかんとしたこの村は、子どもたち、孫たちでよみがえる。
多いときは、年間300人もの「百姓体験居候」を受け入れてきた子どもたちに感謝! 縄文百姓に幸あれ!!
「私たちの伝統を伝えるのは、若い世代である。ダライ・ラマ制度を残すかどうかは重要なことではない」。(ダライ・ラマ14世)
あ~す農場
兵庫県朝来市和田山町朝日767
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大森昌也さん他「自給自足の山里より」(208回連載)
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