自給自足の山里から【195】「娘・ちえの結婚」|MK新聞連載記事

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自給自足の山里から【195】「娘・ちえの結婚」|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、縄文百姓の大森昌也さんらによる「自給自足の山里から」を、1998年12月16日~2016年6月1日まで連載しました。
MK新聞2015年5月1日号の掲載記事です。

大森昌也さんの執筆です。

娘・ちえの結婚

「8歳のお母さん」と脱原発の願い!

娘のちえ(28歳・長女)が、結婚した。
相方は、2年前から我が農場で、百姓志し「居候」していた利(とし)君(32歳)である。
私は、この20年、男手ひとつで、6人の子どもを育ててきた。ちえは、上に男の子3人、下に双子の女の子がいて、そのはざま(・・・)で、大変苦労した。
母親が出ていったとき、8歳である。1番上の兄は14歳、下の妹たちは5歳である。私たちの暮らしを取材したテレビは、「8歳のお母さん奮闘」と伝えたものである。
ちえは、ソ連(ロシア)のチェルノブイリ原発事故の日、1986年4月26日に生まれた。息子が関電の原発で働き心配している助産院で取り上げられた。
再びチェ(・・)ルノブイリのような事故を起こさない人類の知恵(・・)を願って、ち(・)え(・)と名づけられた。
25年後、フクシマ原発事故が起こり、ちえの願いは、踏みにじられた。

「お父さんは、鬼!」

ちえは、幼い頃、「お父さん、どう?」と聞かれて、「鬼!?」と答えていた。
全く縁者のいない滅びゆく老人の小さな山村に移り住み、慣れない自給自足の暮らしの中、6人の子残して、相方の母親がいなくなった。涙の狂乱状態の中、ひとり一晩一升瓶を空け、「6人の子どもとこの山村で生きよう」と決意する。(『六人の子どもと山村に生きる』麦秋社)
翌日から、中学生のケンタ・げんには、炭焼き・パン焼き、小学生のユキト・ちえは、豚・ニワトリの世話、双子の幼子のれい・あいは、卵採りなど役割分担し、田植え・稲刈りなどは家族全員で、食事もみんなで手分けして行うなど指示する。
年間300人もの「居候」が来訪する我が農場をきりもりしたのである。
世の中というものは冷たいものということを実感しながら、子どもたちはよくやったとの思いがある、自然の豊かさに感謝!
友は、「鬼にならんと、6人の子育てられんなあ」と感嘆のため息つく。

読書家ちえ

ちえは、兄弟と同じように、小さな頃は山の分校で、親の農作業を見ながら学んだ。中学校は家庭訪問の教員が「学校荒れている。ちえさん、ここの方がいい」と言った。あんまり学校に行っていない。
私は、「自然こそ、最良の教育」の思い。
ちえは、中学生になった頃、急に本を読み始める(ケンタ作の図書館・ピノキオ)。
げん兄に教えてもらったパン焼きしながら、赤い炎の窯の前で、読む姿をよく見た。「あっ! パンが真っ黒」(笑)のことも…。
読書家ちえに比べ、高校(通信)卒のケンタは「俺は、生涯、1冊か2冊しか読まん」とうそぶく。

東南アジア・中南米を旅し、双六小屋、陶芸作業

我が農場には、外国からの「研修生」の来訪がよくある。ちえが幼い頃、パプアからやってきたレルさんは、「ちえさん先生」と日本語の勉強をしていた。
ケンタは中学生のとき、ネパールを旅し、ちえも中学のとき、ネパール・ムスタンで活動している近藤さんのところに出かける。
以来、フィリッピン・東ティモール、そして中南米(キューバからペルーにかけて)を女ひとり旅する。半年以上も。
もう、双子の妹たちも大きくなり、「8歳のお母さん」の思いをぶつけるかのよう。
中南米から帰って、日本アルプスの双六(すごろく)小屋に、ひと夏働きに行く。私の使っていたアイゼンなどを持たせる。その古い道具にみんなビックリしていたとか。
その秋、バイト仲間が、あ~す農場で「合宿」。話を聞くと、「ちえさんはすごい! 水でいっぱいのバケツを両手に持って、山道登っていくんだよ!」と言う。幼い頃から山で暮らしてきたちえの一面である。そんなちえに、恋心いだく若者が、一升瓶持ってやってきたこともある。
その後、縁あって和歌山の陶芸家のところで修業。きびしいところで、私は一度も訪れることかなわなかった。2年半の修業を終え帰ってきた。
末っ子のあいが、都会に出ることになり、入れ替わりに、ちえが戻る。
丁度、その頃、利君が「居候」していた。

ちえさんと利君の結婚を祝う会

3月24日、若者たちの手で、「ちえさんと利君の結婚を祝う会」が、あ~す農場で行われた。
参加者は、幼い12人の子たち、近在の若い百姓、かつての「居候」たちに、私含めて3人の老人たち、40名あまりの小さな集いである。
司会は、ちえの兄貴分で、ケンタの中学の同級生、大学農学部出の「百笑」康平君である。
はじめに、近在の人の「6人の子ども育てるのに、鬼も当然の思い。おめでとう」の一言あり。あとは、若者たちのペースで歌や踊りなどパフォーマンスが、夜中まで続く。
「大森さんは、相変わらず元気でよかった。昼12時から夜12時まで、呑んで食べて、笑いあり涙あり、すごくよい式であった。
近くの百姓さんや、長野・九州から大森家と縁のある人たちが集まり、血縁をこえた『家族』を感じることができました」。
「愛であたたかいパーティやった。元気をもらえた」。
「以前と変わらず、リラックスした時間を過ごすことができました。素敵な出会いに感謝です」。
などの感想が寄せられている。
ちえと利君は、同じ村の古民家を自分たちで再生し、田畑耕し、豚を飼い、陶芸をこなす。
私が移住した28年前、「亡びゆく」(朝日新聞)限界集落が、「地方創生」なる金によらない、百姓による若者たちの手でよみがえる希望をいだく集いであった。

 

あ~す農場

兵庫県朝来市和田山町朝日767

 

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MK新聞への「あ~す農場」の連載記事

1998年12月16日号~2016年6月1日号
大森昌也さん他「自給自足の山里より」(208回連載)

2017年1月1日号~2022年12月1日号
大森梨沙子さん「葉根たより」(72回連載)

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