自給自足の山里から【137】「ウソかもしれない世界を旅して」|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、縄文百姓の大森昌也さんらによる「自給自足の山里から」を、1998年12月16日~2016年6月1日まで連載しました。
MK新聞2010年7月1日号の掲載記事です。
大森れいさんの執筆です。
ウソかもしれない世界を旅して
1年あまり、中南米の小国エルサルバドルのアルメニアという村で出会ったあるおばあちゃんと一緒に市場で靴や服を売る生活を送っていた。
1年半ぶりの5月10日、伊丹空港に着いた時、見慣れない風景を見ながら、うちは深くため息を吐いた「あぁ何で、帰ってきたんだろ」って。そんな風に思わせる祖国って何なんだろ。もし家族や友人、山村の自然がなければこの国には帰ってこなかったと思うし、エルサルでずっと生活していた。海外に出ても日本という国の良いところなんて見えなかったよ。
メルカド(市場)のいつも笑っているおばあちゃん
エルサルのおばあちゃんのことをうちはアブエラと呼んでいる。アブエラはうちの友人のおばあちゃんだった。彼女と出会ったのは市場メルカド。アブエラは中国品の安い靴や服を都市で集めてきてメルカドで売っている。
必死になって客寄せしている彼女の姿がステキだった。アブエラは優しくて、気が短くて、すぐ怒りやすくて、冗談の大好きなおばあちゃん、少しお父さんに似てる。
私は彼女が大好きになり、彼女は私のことを孫のようにかわいがってくれた。アブエラの家で暮らし始めた頃は、この国がどんな状態なのかうちは全く何も分かっていなかった。言葉にしても、スペイン語、日本語もしゃべれず2ヵ月間くらい言葉を失い赤ちゃんのように覚えていくしかなかった。食べ物にしても薬づけのものには慣れてなくて、熱を出したりアトピーになったりしてよく倒れた。そのたびにアブエラはいつも看病してくれた。
苦しくて、辛いこともたくさんあった。えもアブエラやアブエラの孫たちにはいつも一生懸命、笑かしてくれた。何言ってんのか分かんないし、もういいよと投げやりになってる自分がいた。でもそれでも、毎日毎日同じことで笑っている彼らが大好きだった。私の大好きな友達のジョミィ(14歳)は会うといつも私に言う。「笑ってよれい」「生きた顔しなよ」。いつも冗談を言って笑い飛ばす。彼女もアブエラの孫。そして一緒に住んでいるのがネルソン(18歳)とカルロス(20歳)。彼らとはもう兄弟みたいなもの。彼らは母親に小さい頃に捨てられ、父親は8年前に亡くなっていた。それからずっとアブエラと暮らしている。
朝6時にネルソンと私はメルカドへ行き、台を並べ靴をおいていく。7時にはネルソンは学校へ行ってしまい、そこへカルロスが来て、アブエラに起こされぶつぶつ文句を言いながら、音楽を聞き、マイペースに靴を並べている。
アブエラが来ると朝ごはんを食べて、客寄せする。「Que busca Joven? Que le damos?」「お兄さん何をお探しですか?」(しっかり相手の手つかんで)。メルカドでは客が全く来ない日は1日おしゃべりで終わることもある。
食堂の娘ファティマ(11歳)がこっちへ向かってくる。「れい!」「そこで頭を鉄砲で撃ち抜かれて死んでる人、見た! 行く?」ひとさしゆびを額に当てて彼女は言った。アブエラが「趣味悪いね」と言う。「行かない」と私。「私も行かない」とファティマ。「ここにいたって、そこ、黒ビニール入れて運ぶから見えるよ」とアブエラ。ここへ来て2ヵ月がたつのに平和ボケしてる自分がイヤだった。この村で毎日のように発砲音が聞こえてくるのに、花火でもしてるんだと思っていた自分の鈍感さに悲しくなる。いつもアブエラが言ってた。「外は昼でも夜でも1人で歩いちゃだめだ!」。少しこの国にある暴力知っていくことで恐怖も覚えた。
内戦が終わったが暴力(ギャング)
ある日の夜8時頃、いつもどおり外のハンモックで寝ているアブエラ、うちは1人でスペイン語の勉強していたその時、銃声が始まった。アブエラは血相を変えてハンモックから飛び降りて「中へ入れ」と言うと戸を閉め、電気を消して私の横で神に祈っている。私はそっと外を見てみると、若い子たちが走り、逃げ回っているのが見えた。アブエラは1980年から12年続いた内戦の中生きてきた人だ。
内戦前は幼いことからコーヒー農場で働かされ、手が血だらけになってもコーヒーを取っていたということも話してくれた。孫たちに話してもケータイいじってるだけで時代が違うと話も聞かない。今、エルサルは内戦が終わっても、ギャングの組織がある限り、銃に怯えて生きる生活は何も変わらない。
そんな暴力のある環境の中で、ギャングの中で生きる若者も、ギャングに怯えて生活する人々も本気で生きている。毎日笑って生きている。私を笑かしてくれた。夜はいつもベッドに家族が集まり、おしゃべりする。そんな時銃声が聞こえるとみんなの顔に笑顔が消える。「上の方で発砲したみたい」とカルロス。「俺日本に行きたいな、銃の出回ってない国やろ。みんなで日本に住もうよ。アブエラ」「日本に行っても私らにできることは乞食くらいだよ」とアブエラ。
カルロスはある日発砲するのを目の前で見てから、ショックを受けて神経的にもやられていて、夜中いきなり呼吸が苦しくなったり、ケイレンが起きたり、戸が少しでも開いていると不安になったりする。みんなが心配してる中、彼はいつも笑い飛ばして言う。「なぁ、笑うことって健康にいいんだって日本人が言ってたよ」。
旅して見つけたひとつの愛情
村の中では若い子が行方不明になったり、子どもがギャングに入ったりと治安は悪くなる一方だ。農民は1日働いて4ドルという安い賃金なのだから。
偶然、人と人が出会うことがあるのだろうか。エルサルの私が生活していた村にはたくさんの大切な友達がいる。会いたい人たちがいる。アブエラがいる。カルロス、ネルソン、ジョミィがいる。私が彼らと過ごした日々を「良い体験だった」なんて安い言葉で終わらせたくない。私が旅して見つけたたったひとつの愛情なんだ。
ウソかもしれない世界が私たちの後ろで動いてる、そんな映画みたいな話が私たちの社会の中渦巻いている、それが世界なんだ。
※注①
2008年11月~2010年5月
※注2
面積は九州の約半分、人口685万人。エルサルバドルとはスペイン語で「救世主」を意味するが、独裁や弾圧、内戦、大地震などが繰り返されるような歴史をもつ。
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