エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【369】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【369】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2019年1月1日号の掲載記事です。

 

本だけ眺めて暮らしたい

「人生一〇〇年時代」なんて誰が言い出したか知らないが(って、ネットで調べれば海外の学者の著書が元ネタってすぐにわかるのだけれど)、政府与党や官僚がこのキャンペーンのヘッドコピーをマスメディアの口にのぼらせることによって国民に浸透させようとする理由は想像がつく。
そう、イメージ操作。

年金の受給開始年齢を引き上げても心理的な抵抗が薄れる社会的ムードを熟成するため。新たな選択肢を設けるだけとしながら、どうせ従来の給付水準を相対的に引き下げ、実質的に年齢を引き上げていくのだろう。
労働市場における「人手不足」(この言葉も検討の余地あり)を背景に高齢者を動員しようという狙いもあるだろう。「人生一〇〇年時代」の生き方として社会参加や健康維持などを念頭に、それが本人の「充実人生」のためであるという絵を勝手に描いて。
広告を基盤とするマスメディアはもちろん同調する。「人生一〇〇年時代のマネーの備え」とか「一〇〇年時代の趣味悠々」とか「の健康」「の終活」など、不安や欲望や自己啓発コンプレックスをつつくのに、もってこいのキーワードだ(では、NHKがこの言葉を好んで使う理由は?)。
そもそも、言葉とは裏腹に一〇〇歳以上の高齢者数は二〇一八年現在、まだ七万人(厚生労働省の研究機関による)だそうだ。ただ、今後急激に増加し二〇五〇年(三〇年以上も先!)で五十三万人の予測だという。
過去の一〇〇人単位と比較して七万人を相対的に「少なくない」と認識し、さらに社会的には今から「非常事態」に備える必要があるとしても、現在まだ七万人という情報を抜きに、誰もが、また自分も既に一〇〇歳までの人生を手にしているかのように、今「あおられる」のはナゼか。

加えて、これまた日本のマスメディアが好んで取り上げる「平均年齢」もまたイメージ操作に利用されているようだ。
平均寿命とはゼロ歳児の平均余命のこと。二〇一七年の簡易生命表で男性八一・〇九歳、女性八七・二六歳という場合、今年生まれた人が平均してその歳まで生きるという予測であって、例えば六十二年前に生まれた男性が平均してあと約十九年、女性が二十五年生きるというわけではない。
六十二年前の昭和三十年の男性の平均寿命は六三・六〇だから、平均的には寿命に近づいていると言える。統計記録上。六十二歳の人の平均余命は、今生きている六十二歳の人の余命であって、当然だが六十二年前に生まれた人のなかには既に死んだ人も多数いる。
つまり今、平均寿命が男性八一・〇九歳、女性八七・二六歳だから、いやいや人生一〇〇年、年金受給開始年齢が五年ぐらい引き上げられてもしかたがないとか、何とか元は取れそうだと六十二歳の男性が思っているとしたら、イメージ操作に洗脳されている。実は、六十五歳受給開始ですら年金を手にするまでに彼らは死んでしまうのだ。「平均して」。

誤ったイメージを植えつける言葉を聞かされ続けることで、変に意欲に火をつけられたり、不安を掻き立てられたりするのではなく、自らのペースで、自らのアタマ(程度、偏向も含め)でものを考え、心おだやかに、きげんよく日々暮らしていきたいものだ。
年の初めに。

 

MK新聞について

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

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MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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