エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【361】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2018年5月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めて暮らしたい
『プレバト』というテレビ番組がある。その中心的な人気コーナーが「俳句の才能査定ランキング」。そのコンセプトが興味深い。
それは、毒舌(というキャラクター設定)の先生が、今をときめく売れっ子芸能人やベテランのタレント(本来、才能ある人という意味)、大御所俳優、著名作家ら、出演者の大部分をありきたりな句をつくる“凡人”だと容赦なく断定するというものだ。
俳句には月並(つきなみ)俳句という用語があるが、ここでも、凡人が「よく使いたがる」言葉や連想、比喩、発想を陳腐だと切り捨てる。
その指摘は決して辛口ではなく適切なもので、それだけに“才能あり”と判定された出演者は大喜びし、視聴者から感心され(芸人の意外な一面を発見する)、“才能なし”に選ばれた出演者はズッコケて、視聴者に笑われる(大物ほどおもしろい)。
それだけで、バラエティ番組としては成立するのだが、しかし、この企画のキモはやはり“凡人”だろう。
凡人的な〈表現〉は「可もなく不可もなし」ではなく、不可、未熟だと、はっきり明確に世間(視聴者)に意識させるところが、お遊びながら実は痛烈な社会風刺になっている。
というのは、昨今、世の中には凡人の言葉があふれているからだ。
特に「人生の応援歌」あるいは「背中を押してくれる」的なJポップや日本語ラップの歌詞はその手のものが大流行りのようだ。演歌は昔から酒、別れ、ときて、涙、であるように。
また、各種募集告知や求人広告のポスター、チラシ、菓子箱の中の商品説明の栞、さらにはラーメン屋の壁にまで、あらゆるところでメッセージのような標語のような「ポエム」が踊る(この番組なら、俳句でこのような擬人化の「踊る」は凡人が「すぐに使いたがる」表現と指摘されるだろう)。
凡人の表現者が増えている。
逆に言えば、平凡な作品を好む(そうでないとわからない)受け手、つまり需要が増えている。だから、凡庸な表現を供給する者も増える(そういう人が適者生存する)。
具体的でユニークな表現が多様な読み取り方をされるのではなく、誰にでも当てはまる抽象的でありふれた言葉が好まれ、共有される。
良い悪いを言っているのではない。そうゆう傾向が進んでいるように感じられる。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)