エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【359】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2018年3月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めて暮らしたい
AI(人工知能)がプロ棋士との対局で勝つようになり、産業や医療など私たち一般人の身のまわりでもその活用が広がりはじめている。
そんな中で、将来、AIが人間の知能を超えることになれば、やがて意志を持ち、そのうち暴走し、ついには人間を排撃(はいげき)したり支配するようになるのではないかという不安の声も聞かれる。
しかし、(屁?)理屈を言えば、そんな心配はまったくの無用だ。
人間の命令に従うだけだったコンピュータがもし人間の脳と同等に進化する――人種差別や宗教対立や自然破壊やテロや戦争を繰り返す愚かな人間並みのAIになる――というのなら、確かに暴走しAI以外の存在を排撃するかもしれない。
でも、「人間の知能を超えれば…」という話をしているのだから、それは人間のような愚かな過ちを犯さないということではないのか。AIがこの世を完全無欠にしてくれるとまでは言えなくても、少なくとも今よりましな社会になるのではないだろうか。
もちろん、これが能天気な楽観論だということは誰でも直感でわかる。ただ、そう感じるのは「知能が優る」イコール「より悪賢い」という世界観が基礎にあるからだろう。それは現実の社会がそうだと皆が思っているからに他ならない。
では、将来、AIが人間より「悪賢くなる」と仮定してみよう。
だとしても、AIにとって、地球上に現在七六憶人もいて今後も増加していく人間とSF映画のように争ったり、排撃したり、支配者然として人間を抑圧するメリットは何もない。
それより、人間を洗脳し、それと気づかれないように支配するほうが得策だろう。現に今だって資本と密接な関係にあるメディアによって演出される消費生活に人は自らの望みとして幸福を感じ、資本の拡大に奉仕しているではないか。
AIは、もはや資本ではなくAI自身のためにさらに巧妙に広く深く人間を洗脳するようになるだろう。それは、情報やデータを操るAIが最も得意とするところだ。
つまり、AI性善説をとるにせよ、性悪説をとるにせよ、AIが人間の知能を超えるようになれば、社会は今よりよくなり、人間は今より幸せになれるというわけだ。
もっとも「人間の知能を超える」とはどういうことか。これが結論のない問いなら、そもそも超えようもないが…。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)