2026年の午年に訪ねたい京都府久御山町「玉田神社」の魅力と火鎮伝説
2026年の午年に訪ねたいのが、京都府久御山町の「玉田神社」。玉田神社には火鎮伝説にまつわる名馬「火鎮(ひしずめ)」の伝説が伝わり、周囲に平安時代に朝廷直轄の牧場「御牧」が置かれるなど、馬にいろんなゆかりのある神社です。見た目は小ぢんまりとした地元の神社ですが、いろんな工夫でたびたびSNSで話題の神社です。見どころがたくさんあり、訪れるたびに変わっているので、何度でも訪れたい神社です。
本記事では玉田神社と馬のゆかりや、玉田神社の魅了を解説します。ぜひ2026年の午年には玉田神社を訪れてください。
玉田神社について
玉田神社の概要
玉田神社への入り口 2025年12月7日 撮影:MKタクシー
御牧郷の産土
玉田神社は、京都府久世郡久御山町森宮東1番地にある神社です。
久御山町北部の御牧郷八カ村(東一口・西一口・森・釘貫・相島・中島・坊之池・江之口)の産土神である由緒ある神社です。
かつての巨椋池の西側に広がる田園地帯に位置し、「玉田の森」と呼ばれる小さな森に鎮座しています。
東へ1kmの位置には2003年に久御山ジャンクションが完成し、イオンモール久御山がオープンするなど、近隣は交通の結節点として大きく変貌しました。
玉田神社の二の鳥居と向こう側に見える境内 2025年12月7日 撮影:MKタクシー
珍しい四間社流造の本殿
玉田神社の本殿は、「四間社流造(しけんしゃながれづくり)」という珍しい建築様式です。一般的な神社本殿は、間口が一間・三間・五間など奇数の「間」で造られることが多いですが、玉田神社の本殿は間口四間の偶数間で造られています。
全国的にも例が少なく、玉田神社の建築上の大きな特色です。
奥が玉田神社の本殿 2025年9月21日 撮影:MKタクシー
玉田神社本殿は、天正14年(1586年)に付近の御牧城主・御牧勘兵衛尉尚秀を願主として再建されたものです。
その後江戸時代の寛永元年(1624年)には「板倉侍従伊賀守源朝臣高勝」によって修理が行われたことが棟札からわかります。
元はやはり偶数の八間社だったのを、度重なる修繕費用の工面に苦慮して1863年(文久3年)に四間社に改築されました。
なお、板倉伊賀守といえば同時代に京都所司代を務めた板倉伊賀守勝重ですが、板倉家に「高勝」という人物は玉田神社関連でしか見当たらず正体は不明です。
ただ「侍従伊賀守」と記載されていることからも、限りなく板倉勝重の誤植であろうと考えられます。
玉田神社の秋季例大祭で拝殿に安置された神輿 2025年9月21日 撮影:MKタクシー
四間社流造なのは、祭神が応神天皇、武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)の四柱のためです。
前の二柱は石清水八幡宮、後の二柱は春日大社より勧請した神様です。
歴史的・建築的価値が評価され、2018年3月27日には四間社流造の本殿に加えて、境内の末社である市杵社(いちきしゃ)、参道に建つ一の鳥居・二の鳥居が国登録有形文化財に登録されました。
国登録有形文化財に指定された玉田神社の一の鳥居 2023年7月8日 撮影:MKタクシー
創建・由緒・歴史
創建の伝承
玉田神社に伝わる「日本最初方除八社大明神略記」によれば、玉田神社の創建は奈良時代にさかのぼり、平城京に遷都された和銅3年(710年)に元明天皇の勅願によって建立されたとされています。
平安中期に編纂された延喜式神名帳には玉田神社は記載されておらず、朝廷が管理する神社ではなく地域で祀られる神社であったと考えられています。
なお、久御山町には雙栗神社(さぐりじんじゃ)、荒見神社、室城神社が延喜式神名帳に掲載されています。荒見神社と室城神社の宮司は玉田神社の宮司が兼務しています。
ハロウィン仕様の玉田神社拝殿 2023年10月28日 撮影:MKタクシー
寛永14年(1637年)の木津川流路変更まで、玉田神社のある御牧郷の東側を木津川が流れ、北側で巨椋池に合流していました。
木津川と巨椋池の結節点には丹波津という港が置かれ、巨椋池と木津川の水運の拠点でした。
玉田神社も江戸時代より前は丹波津宮という社名でした。
玉田神社の駒札 2022年5月22日 撮影:MKタクシー
御祭神と信仰
和銅3年(710年)の創建当時は春日四神(武甕槌命、経津主命、天児屋根命、市杵嶋姫命)を祀っていましたが、平安京遷都に際して「方除(ほうよけ)」のために八幡四神(応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、武内宿禰命)も祀られました。
おそらくは文化元年(1805年)に本殿が八間社から四間社に改築される前後に今の四神(応神天皇、武内宿禰命、武甕槌命、天児屋根命)となったと思われます。
東一口にある玉田神社御旅所跡の石碑 2025年10月13日 撮影:MKタクシー
玉田の森
玉田神社のあたりは古くから「玉田の森」として知られていました。
糺の森(下鴨神社)、天使の森(五条天神宮)、藤の森(藤森神社)、久我の森(久我神社)、富の森(伏見区横大路)、涼の森(涼森神社)、栗隈の森(旦椋神社)と並んで「山城八森」と称されました。今も約2,000㎡の敷地に多くの木々が茂っています。周囲が田畑なので、遠くからも森になっているのがよくわかります。
ただ、2018年の台風21号で玉田神社も本殿が破損するなどの被害を受け、社叢も少なからぬ被害がありました。
玉田神社の「うまみくじ」 2025年3月9日 撮影:MKタクシー
玉田神社と馬
名馬「火鎮(ひしずめ)」の伝説
名馬火鎮伝説の由来を記した石碑 2025年9月21日 撮影:MKタクシー
火鎮伝説の内容
玉田神社には、奈良時代の聖武天皇の時代にまつわる名馬「火鎮(ひしずめ)」の伝説も伝えられています。
玉田神社に伝わる「御霊験名馬火鎮由来」によると、聖武天皇の命によって橘諸兄が御牧の名馬一頭を献上したところ、聖武天皇は喜んで橘諸兄を左大臣に任じました。
しかし、ある日から馬がいななき始め、3日がたったときに御所で火災が起こりました。そのときは火災は鎮火できたものの、数日後に再び馬がいななき始め、やはり3日後に御所で火災が起こりました。
馬はくつわを抜いて厩舎から飛び出し、そのまま炎の中に飛び込んでいきました。するとすぐに火災が収まり、煙の中から現れた馬は厩舎へ戻っていきました。
このことを聞いた聖武天皇は馬に神馬として「火鎮(ひしずめ)」の名を与え、再び御牧へと返しました。
名馬火鎮の碑 2025年12月7日 撮影:MKタクシー
火難除けの御利益
この伝承は玉田神社の社伝に伝わるのみで、史実かどうかは不明です。しかし、玉田神社はこの伝説に基づき「火難除け」の神としても信仰されてきました。
2020年にはこの火難除けの御利益に関連して「SNS炎上除」のお守りの授与をはじめ、話題になりました。
通常のお守りとは異なりステッカータイプで、スマホやパソコンなどに張り付けて使う形のお守りです。
MKタクシーのSNS担当者もこのSNS炎上除のお世話になってます。
玉田神社の「SNS炎上除」2022年12月22日 撮影:MKタクシー
「うまみくじ」
玉田神社ではこの火鎮伝説と後述の御牧とのかかわりから、馬の形をした「うまみくじ」を授与しています。
拝殿内ではうまみくじが「放牧」されており、社務所が閉まっていても初穂料を収めたら手に入れることができます。
玉田神社の「うまみくじ」 2023年7月8日 撮影:MKタクシー
おみくじは陶器でできた馬のなかに入っており、下から取り出すことができます。
玉田神社の境内にはおみくじを取り出したあとのうまみくじがかわいく並んでいる姿を見ることができます。
2026年の午年にはさらに人気が高まること間違いなしでしょう。
玉田神社の「うまみくじ」 2021年9月6日 撮影:MKタクシー
平安時代の牧場だった御牧郷
朝廷直轄の牧場に由来する地名
玉田神社を氏神とする御牧郷は、その名のとおり平安時代に「美豆野(みずの)の御牧」「美豆牧」と呼ばれる朝廷直轄の牧場がありました。
平安時代中期の延喜式でも「左右馬寮」の項に「山城国美豆厩畑十一町、野地五十町余」と記載されています。
牧場の具体的な位置ははっきりした位置はわかっていませんが、玉田神社から木津川の旧流路を挟んだ西側にあったと考えられています。
今も玉田神社の近くに1928年に建てられた「平安朝御牧馬寮故址」の石碑があります。
都に近く平坦な御牧が馬や牛を飼う牧場として適していたのでしょう。
「平安朝御牧馬寮故址」の石碑 2017年6月3日 撮影:MKタクシー
「美豆の御牧」を詠んだ和歌
玉田神社の境内の南端には、「美豆の御牧」を詠んだ歌碑が建てられています。そこには鎌倉時代前期の順徳天皇の「内裏名所百首」に収められたとされる次の和歌が刻まれています。
かりてほす 美豆の御牧の夏草は しげりにけりな 駒もすさめず
「美豆の御牧の夏の草は、刈って干したいほどに茂り、駒ですら草を食むことを嫌がるほどだ」という意味の歌です。
御牧が牧場にぴったりの環境であったことが伝わります。
「美豆の御牧」を詠んだ歌碑 2025年12月7日 撮影:MKタクシー
玉田神社の基本情報
| 拝観時間 | 日中随時 |
| 拝観料 | 境内自由 |
| TEL | 075-631-2183 |
| 住所 | 京都府久世郡久御山町森宮東1番地 |
| アクセス | 京阪宇治交通バス「まちの駅イオン久御山店前」より徒歩15分 |
公式ホームページ:玉田神社トップページ – 玉田神社【公式】
玉田神社のみどころ
馬にゆかりのある玉田神社でうが、馬関係以外にもたくさんの見どころがあります。
参道のカーテン
玉田神社参道のカーテン 2024年9月15日 撮影:MKタクシー
玉田神社の鳥居から拝殿へと向かう参道には、カーテンが設置されています。
季節によってカーテンの色や素材も使い分けられており、様々な姿を見ることができます。
玉田神社参道のカーテン 2025年12月7日 撮影:MKタクシー
このカーテンは「虹のカーテン」などと呼ばれることがありますが、正式名称は実は異なります。
正式名称は「ひらひらほいほい」というそうです。
玉田神社の境内は南北に細長く、南側の鳥居に面した京都府道81号線からはあまり目立ちません。
そこで、府道を通った人を引き寄せるために設置したのがこのカーテン。
玉田神社参道のカーテン 2024年5月11日 撮影:MKタクシー
意味はそのままで、「ひらひら」したカーテンで人を「ほいほい」引き寄せることです。
たしかに風でひらひらと揺れるカーテンが目に入ったら「ここは何?」となるでしょう。
上記は玉田神社の方に教えてもらいましたが、「ひらひらほいほい」で検索しても何も引っかからないので、事実かどうかは不明です(笑)。
拝殿内の装飾
クリスマス仕様の玉田神社拝殿 2025年12月1日 撮影:MKタクシー
玉田神社の拝殿内は、季節ごとにいろんな装飾が並べられています。
毎回訪れるたびに今回はどんな装飾だろうと楽しみです。
お月見仕様の玉田神社拝殿 2024年9月15日 撮影:MKタクシー
本当にいろんなグッズが楽しくにぎやかに並べられています。
前述の放牧中の「うまみくじ」もここに並んでいます。
菖蒲の節句仕様の玉田神社拝殿 2024年5月11日 撮影:MKタクシー
火鎮伝説の馬が用いられることが多いですが、メインはむしろ猫です。
玉田神社では社務所で飼われている看板猫も有名です。
ひな祭り仕様の玉田神社拝殿 2025年3月9日 撮影:MKタクシー
狛犬の装飾
阪神タイガース仕様の狛犬 2023年10月28日 撮影:MKタクシー
拝殿内の装飾のように常設ではありませんが、拝殿前の狛犬も装飾されることがあります。
2023年10月28日に訪れた際、阿形の狛犬がオリックスバファローズ仕様、吽形の狛犬が阪神タイガース仕様になっていました。
そう、この日は阪神タイガース対オリックスバファローズの日本シリーズ第1戦が行われた日です。
第7戦までもつれ込み、関西は熱狂に包まれた1週間でした。
オリックスバファローズ仕様の狛犬 2023年10月28日 撮影:MKタクシー
この日はまだ第一戦前だったのでありませんでしたが、このあとは勝敗がつくごとに狛犬の台座に花が置かれ、勝敗がわかるようになっていたそうです。
なかなか芸が細かいですね。
夢の扉
「どこでもドア」風の扉 2024年9月15日 撮影:MKタクシー
玉田神社では、拝殿前あたりに「夢の扉」が置かれています。
決してドラえもんの「どこでもドア」ではないそうですが、ドラえもんのぬいぐるみがくっついています。
バットの玉垣
バットの玉垣 2023年10月28日 撮影:MKタクシー
玉田神社の境内を囲む玉垣の北東部には、バットの形をしたものがあります。
元プロ野球選手の片岡篤史が奉納したものです。
片岡篤史は実は御牧小学校の出身で地元に恩返しとして玉田神社の修繕に協力しました。
ところで、片岡篤史が主に活躍したのは日本ハムファイターズ時代ですが、バットには阪神タイガースのロゴが刻まれています。
この玉垣が奉納される少し前の2018年まで阪神タイガースのは一軍ヘッド兼打撃コーチを務めていたことも関係あるでしょう。
おわりに
京都府久御山町の「玉田神社」は、何度訪れても楽しい神社です。拝殿の装飾は毎月のように入れ替わり、虹のカーテンも時期によって変わります。
いろんな工夫が随所にされており、今回の玉田神社はどうなっているのだろうといつも楽しみです。
2026年は午年です。馬にゆかりのある玉田神社は例年以上に賑わうことでしょう。
ぜひ2026年の午年は玉田神社を訪れてください。
MKトラベルの午年関連ツアー
MKタクシーのトラベル部門であるMKトラベルでは、2026年の新春に午年にちなんだツアーを多数販売しています。
2026年の午年はぜひMKトラベルのツアーで午年ゆかりのスポットを巡ってください。
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MKタクシーのオウンドメディアであるMKメディアの編集部。京都検定マイスターや自動車整備士、車載広報誌のMK新聞編集者、公式SNS担当者、などが所属。京都大好き!旅行大好き!歴史大好き!タクシー大好きです。


