早咲きの「おかめ桜」とは?京都・出町柳の長徳寺で人気急上昇中の桜
目次
例年3月半ばに見頃を迎えて話題となる、早咲きのオカメ桜(おかめ桜)。
濃い紫紅色の花を下向きにつけ、遠くからでも目立つ桜です。
京都では、出町柳の長徳寺のおかめ桜が有名ですが、他にもおかめ桜を見られるスポットがいくつかあります。
2024年は3月上旬から咲き始め、早々に見頃となりました。
オカメ桜(おかめ桜)とは
オカメ桜(おかめ桜)はどんな桜?
「オカメ」か「オカメ桜」か「おかめ桜」か
一般に「おかめ桜」または「オカメ桜」と呼称されますが、正式な品種の和名は「オカメ」です。
あまりソメイヨシノ桜(染井吉野桜)とは言わないように、品種名を○○桜という呼び方をすることはありません。
しかし、オカメは不思議と「桜」をつけて「おかめざくら」と呼ぶのがしっくりきます。
ひらかな表記の「おかめ桜」とカタカナ表記の「オカメ桜」のパターンがあります。
多くの桜の品種は、漢字表記またはひらがな表記の和名がありますが、例外的にオカメは和名もカタカナです。
後述のとおり、日本で生まれた品種ではないことが、カタカナ表記の理由です。
「おかめ桜」は品種名でなく桜の固有名詞として使われる場合もあります。
桜の品種名としては、「オカメ」あるいは「オカメ桜」と書く方が正確ですし、誤解される可能性は少ないです。
しかし、「おかめ桜」の方が字面として自然なため、正確さが要求されない場面では「おかめ桜」と表記されることの方が多いです。
本稿では、区別が必要な場合をのぞき、原則として「おかめ桜」と表記します。
イギリス生まれの桜
おかめ桜は、桜の園芸品種のひとつです。
桜は日本原産の花ですが、おかめ桜が誕生したのは、日本から遠く離れた地です。
おかめ桜は、1947年にイギリスで誕生しました。今から70数年前に生まれた比較的新しい桜の園芸品種です。
著名な桜研究家であったイングラム氏によって作出され、日本に里帰りしてきました。
イングラム氏は、おかめ桜の他にも秋咲きの桜であるアーコレードも作るなど、今の日本の桜にも大きく影響を与えています。
「おかめ」は美人の代名詞??
おかめ桜という名前は、「おかめのような桜」という意味ですが、由来は日本の美人をイメージしているそうです。
たしかに、「おかめ」は古くからは福を呼ぶ顔であり、美人の代名詞として使われてきました。
しかし、江戸時代ごろからは逆に不美人の代名詞としても使われるようになり、近代以降は通常は不美人を意味します。
少なくともイングラム氏がおかめ桜と命名した1947年には、「おかめのような・・・」というのは、女性に対する褒め言葉ではなかったはずです。
そのあたりの用法の違いも、おかめ桜が正式にはオカメとカタカナ表記される理由なのかもしれません。
河津桜に次いで咲く早咲きの桜
京都では、おかめ桜は例年3月中旬に見頃を迎えます。
早咲きの桜としては、寒桜(カンザクラ)や河津桜(カワヅザクラ)などに次いで早く開花します。
おかめ桜の樹形は広卵状をしており、あまり大きく成長しないのも特徴です。
そのため、個人宅のお庭に植える桜としても人気が出つつあります。
おかめ桜(オカメ桜)ではない千本釈迦堂の「阿亀桜」
京都では、千本釈迦堂にも同じ読みの「阿亀桜(おかめざくら)」があります。
千本釈迦堂の阿亀桜は、「おかめ伝説」で知られる阿亀(おかめ)さんに由来する固有名詞です。
阿亀さんは、知恵で夫の危機を救い、夫の名誉を守るために自害しました。
この伝説が事実なのか、あるいは阿亀さんが実在したのかは不明です。
今も千本釈迦堂にあるおかめ塚はいわゆるおかめ顔をしています。
伝説自体には桜は出てこないので、後世に千本釈迦堂境内の名桜におかめにちなんだ名前を付けたのでしょう。
阿亀桜の歴史は案外浅いかもしれません。
千本釈迦堂の阿亀桜は、桜の種類としては、エドヒガン(江戸彼岸)の枝垂桜です。
阿亀桜もおかめ桜(オカメ桜)ほどではありませんが、ソメイヨシノよりもやや早く開花します。
京都市中心部最古の本堂の前で、美しい樹形の花を咲かせます。
単に「おかめざくら」と言った場合、千本釈迦堂と長徳寺のどちらをさすのかわかりにくい場合が多いです。
少し前までは、京都で「おかめざくら」と言ったら千本釈迦堂の阿亀桜を指す方が多かった気がします。
しかし最近は、おかめざくらと言えば、長徳寺に代表される品種としてのおかめ桜(オカメ桜)を指すことの方が多くなっています。
おかめ桜(オカメ桜)の両親であるカンヒザクラ(寒緋桜)とマメザクラ(豆桜)
おかめ桜(オカメ桜)は、桜の自生種であるカンヒザクラとマメザクラの種間雑種です。
両親であるカンヒザクラとマメザクラを簡単に紹介します。
どちらも京都では比較的珍しい桜です。
カンヒザクラ(寒緋桜)
カンヒザクラ(寒緋桜)は、台湾南部から中国南部にかえて自生するサクラの野生種です。
日本でも、石垣島などで自生している群落がありますが、人間が持ち込んだものが逸出して野生化したものと考えられています。
日本でよく見る桜の中でも一目で識別できる特徴があります。早咲き、花が下向きに開花する、花が濃紅色など。
一見しただけでは、桜とは気づかないかもしれません。
カンヒザクラは、いろいろな早咲きの桜の園芸品種の片親となっています。
オオシマザクラ(大島桜)との交雑種であるカワヅザクラ(河津桜)のほか、マメザクラ(豆桜)との交雑種であるオカメ桜、ヤマザクラ(山桜)との交雑種であるカンザクラ(寒桜)、シナノミザクラ(支那実桜)との交雑種である啓翁桜(けいおうざくら)、天城吉野(あまぎよしの)との交雑種である陽光などが知られます。
ソメイヨシノが開花しない沖縄では、カンヒザクラが桜前線の基準木になっています。
かつては、緋色をした寒桜という意味でヒカンザクラ(緋寒桜)と呼ぶのが一般的でした。
気象庁では今もヒカンザクラと呼んでいます。
しかし、エドヒガン(江戸彼岸)の別名であるヒガンザクラ(彼岸桜)との混同しやすいため、一般的にはカンヒザクラ(寒緋桜)と呼ばれるようになりました。
今はもうカンヒザクラが正式名称と言ってよいでしょう。
おかめ桜の特徴である濃紅色の花色と、早い開花期、花が下向きに開く点は、カンヒザクラから引き継いだものです。
観賞価値という意味では他の桜と比べるとやや劣るカンヒザクラを美しく品種改良したのがオカメ桜であると言っても、そう間違いではありません。
カンヒザクラは本来は沖縄以南に分布する亜熱帯性の桜ですが、京都でもきちんと手入れをすれば育ちます。
探せば個人宅を含めて結構いろんなところでカンヒザクラが植えられています。
今のところ、京都では名前が付けられるような立派なカンヒザクラはありません。
マメザクラ(豆桜)
マメザクラは富士、箱根などを中心とした本州中部に分布するサクラです。
富士山の周囲でよく見られることから、フジザクラ(富士桜)とも呼ばれます。
花の大きさも、樹の高さも桜の仲間としては小さめなのが名前の由来です。
京都を含めて本州西部では、萼筒(がくとう)が非常に長い変種であるキンキマメザクラ(近畿豆桜)が分布します。京都周辺の山野でも自生しています。
カンヒザクラの親はキンキマメザクラではなく、マメザクラとされています。
京都では、百万遍知恩寺のふじ桜が有名です。
ふじ桜という固有名詞が与えられているわけではなく、マメザクラの別名であるフジザクラに由来します。
他にも京都でマメザクラと思われる桜を見かけることはありますが、著名な桜はありません。
秋咲きの桜である、十月桜(ジュウガツザクラ)や冬桜(フユザクラ)の片親となっていますが、マメザクラを片親とする桜の園芸品種はそれほど多くはありません。
それなりに有名なのはウミネコ(海猫)くらいです。ウミネコもオカメ桜と同じくイングラム氏によって生み出された桜です。
おかめ桜を作出したイングラム氏
桜に魅了された桜研究者
おかめ桜(オカメ桜)を作出したのは、前述のとおりイギリスのイングラム氏です。
日本の桜の歴史に名を残す、イギリスの桜研究者コリングウッド・イングラム(Collingwood “Cherry” Ingram)。
1880年に生まれたイングラムは、1902年に21歳で日本を初めて訪れたました。
日本の文化と芸術に魅了され、中でも日本の桜に強い関心を持ちました。
1926年に再び日本を訪れたイングラムは、桜=ソメイヨシノ一色に塗りつぶされた状況に驚きました。
絶滅の危機に瀕していた日本の多彩な桜の品種を収集し、イギリスで保存することを決意しました。
日本全国を回って桜を保存する啓蒙活動を行うとともに、珍しい桜の品種収集を行いました。
日本の桜を救ったイングラム
イングラムが集めた多彩な品種により、イギリスのイングラム邸は桜園と言われるようになりました。
イングラムは、桜の収集だけではなく、人工交配によって新しい品種の作出にも乗り出しました。
アーコレードのほかにも、カンヒザクラ(寒緋桜)とマメザクラ(豆桜)の交配種であるオカメ桜や、オオシマザクラ(大島桜)とマメザクラ(豆桜)の交配種の海猫(ウミネコ)などが、日本でも近年人気が高まっています。
古い書籍に記録はあるものの、実物がないため日本では既に絶滅した品種とされていた太白(タイハク)が、イングラムのコレクションから再発見され、日本へと里帰りしました。
今では太白はサトザクラの代表品種のひとつとして、京都に限らず全国いろいろなところで見ることができます。
ソメイヨシノ(染井吉野)一色に塗り替えられ、消えていこうとする日本の多彩な桜を救った恩人として日本でも広く敬愛されています。
世界的な桜研究者として”チェリー”イングラム(Collingwood “Cherry” Ingram)と敬称されるようになりました。
イングラムは、1981年に満100歳の長寿を全うして亡くなりました。
今もイギリスのイングラム邸では、多彩な日本の桜を見ることができます。
オカメ桜を見るときには、日本の桜を救ったイングラムにも思いを馳せてみましょう。
参考文献:阿部菜穂子「チェリー・イングラム:日本の桜を救ったイギリス人」
出町柳・長徳寺のおかめ桜
長徳寺とは
砂川の三軒寺のひとつ
長徳寺は、南隣の常林寺、正定院(しょうじょういん)とともに「砂川の三軒寺」と称される浄土宗の寺院です。
今も長徳寺の南には常林寺と正定院が並びます。いずれも通常は非公開寺院です。
初秋の萩のシーズンのみ、常林寺が一般公開されます。
常林寺は「萩の寺」とも言われる京都でも屈指の萩スポットです。
長徳寺でおかめ桜が見頃の時期は境内に萩の姿は見当たりませんが、9月下旬ごろには境内中が紅白の萩で埋め尽くされます。
萩のシーズンが終わると、萩は根元から剪定されます。
おかめ桜の時期は株しかありませんが、桜シーズンを過ぎるとまたぐんぐん伸び始めます。
南端の正定院はかつては長徳寺と常林寺と少し離れていましたが、今出川通りの開通に伴い少し北に移転しました。
長徳寺と常林寺がいずれも西側(鴨川側)を向いているのに対し、正定院は南側(今出川通川)を向いています。
山城国大絵図でも描かれているとおり、正定院の南には法性寺というお寺もあります。
正定院との間に今出川通が開通してやや離れていますが、今もあります。
法性寺だけ浄土宗ではなく日蓮宗なので、「砂川の三軒寺」のくくりには入らなかったのでしょう。
砂川とは、かつて三箇寺の東側を流れていた川です。今も東側にある南北の蛇行した小道が砂川の名残です。
高野川から上高野あたりで分流した農業用水の下流部で太田川とも言います。一乗寺や田中の田畑を潤しています。
今も暗渠となって鴨川に再び合流しています。かつてはその名のとおり、鴨川の河原の砂地を流れていたのでしょう。
砂川跡の延長線上には、鴨川に暗渠合流部があります。賀茂大橋から東岸を150mほど下ったあたりです。
長徳寺について
豊臣政権でフィリピン貿易を担当し、マニラ侵攻計画を進言したともいう武将で茶人の長谷川宗仁(そうにん)が慶長10年(1605年)に長徳寺を開きました。
長谷川宗仁の名が最も有名なのは、本能寺の変直後です。本能寺で織田信長が討たれたのを知った長谷川宗仁は、ただちに親交のあった羽柴秀吉に使いを送ります。
京都から届いた速報で本能寺の変を知った羽柴秀吉のその後の中国大返しは良く知られています。長谷川宗仁はまさに歴史を動かしたのです。
長谷川宗仁は1万石を領する大名でもあり、子孫は代々交代寄合に列しました。長徳寺の境内には長谷川宗仁の墓があります。
長徳寺は創建当初は裏寺町にありましたが、火災で焼失後に延焼防止のための建物密集地からの寺院移転の一環として、寛文11年(1672年)に常林寺とともに現在地へと移転しました。
鴨川改修工事によって寛文9年(1670年)に「寛文新堤」が完成し、鴨川東岸が居住空間として利用可能になったことも関係します。
1918年8月10日の夜に数百名の群衆が目の前の出町橋付近に集結し、事態を収拾するために軍隊が出動しました。いわゆる「米騒動」です。
全国が騒乱状態へとなった米騒動ですが、軍隊まで出動する騒動へと発展したのは、長徳寺のあたりが初めてです。
長徳寺のおかめ桜と向かい合う一にある北向地蔵尊は、かつて百済王の念持仏だったのが飛鳥時代に長徳寺へと渡来したものである、という伝承があります。
長徳寺の目の前は、高野川と賀茂川が合流して鴨川となる通称「デルタ」です。
地元の住民や学生たちの憩いの場です。
近くにある京大、同志社、府立大、工繊、府立医大の学生ならいろんな思いでが詰まった場所でしょう。
対岸から見ると、左端の三角屋根がふたつ並ぶ建物が長徳寺です。
中央の宝形造(方形造)の建物が常林寺、右端の民家の裏の大屋根が正定院です。
奥に見える山は大文字山(如意ヶ嶽)です。
長徳寺の墓地には、幕末に鷹司家の諸大夫として尊王攘夷運動に参加した小林良典の墓があります。
幕府に捕らえられた小林良典は、八丈島へ流される途中で亡くなりました。
長徳寺のすぐ北側のタクシーのりば等の空き地は、戦時強制疎開によってできました。
戦前までは叡電出町柳駅前にあった阿闍梨餅本舗満月も強制疎開により、400メートルほど東へと移転を余儀なくされました。
戦後も返却されることなく、街路広場として再整備されました。
1935年から長徳寺の住職をつとめた坪井俊映(しゅんえい)師は法然上人や浄土三部経などの研究者としても知られ、1994年には大本山の金戒光明寺の第73世法主に就任し、2007年から2010年に95歳で亡くなるまでは総本山知恩院の第87世門跡をつとめていました。
拝観情報
拝観 | 非公開 |
住所 | 京都市左京区田中下柳町34-1 |
アクセス | 京阪「出町柳」より1分 |
オカメ桜は門前なので、川端通から見学可能です。
西洞院上長者のもうひとつの「長徳寺」
「長徳寺」と言えば、おかめ桜で有名な出町柳のお寺を指しますが、京都にはもうひとつ長徳寺があります。
京都府庁の北で京都ブライトンホテルのすぐ西側にも同じ長徳寺というお寺があります。
グーグルマップでは、「真宗大谷派 長徳寺 (オカメ桜ありません)」というスポット名なので、実際におかめ桜の長徳寺と間違って訪れる人もいるのでしょう。
浄土宗の長徳寺に対してこちらは浄土真宗のお寺です。
通常非公開の寺院ですが、門前にふたつの石碑があるので、ごく簡単に紹介しておきます。
まずは「会津藩洋学所跡」の石碑です。
元治元年(1864年)に、会津藩の山本覚馬が長徳寺内に洋学所を開きました。
すぐ南に会津藩主の松平容保の京都守護職の上屋敷(現京都府庁)があったのとも関係があるでしょう。
もうひとつは「茶家山田宗徧出生之寺」という石碑です。
千宗旦の高弟として「宗旦四天王」の一人としてのちに宗徧流を興した山田宗徧(そうへん)は、この長徳寺で生まれました。
宗徧自身も長徳寺の住職となりましたが、のちに還俗して茶道の道へと進んだのです。
関心がある方は、桜は咲いていませんが西洞院上長者の長徳寺も訪れてみてください。
長徳寺のおかめ桜
川端通のすぐ東側にある長徳寺の桜シーズンは、例年3月初めのカンヒザクラからはじまります。
カンヒザクラは、おかめ桜の片親にあたる早咲きの桜です。
長徳寺のおかめ桜は、ソメイヨシノより半月以上早い、例年3月10日頃から開花しはじめます。
2024年は3月上旬には見頃を迎えるなど、年によって変動もかなり大きめです。
ソメイヨシノの開花が観測史上最速を記録した2021年は、2月中からおかめ桜が開花しはじめていました。
2021年と比べると半月の遅れです。
新聞等でも、長徳寺のおかめ桜の開花はニュースとしてよく取り上げられます。
長徳寺のお寺自体は通常非公開です。
しかし、長徳寺のおかめ桜は門前に植えられているため、誰でも見ることができます。
ただし、長徳寺の門前はお寺の駐車場になっており、チェーンで立ち入り禁止になっていることもあります。
チェーンがあるだけなので、無視して入っている人も少なくありませんが、マナーは守りましょう。
ほんの10年ほど前まで、長徳寺のおかめ桜は知る人ぞ知る桜でした。
2010年代も後半ごろから早春の早咲きの桜として注目を集めるようになり、最近では長徳寺のおかめ桜といえば、開花期には平日でも朝から10人以上の人が集まる人気ぶりです。
コロナ禍前の2019年のピーク時に試しに数えてみたところ、何と36人もいたことがあります。長徳寺のような小さなお寺の門前としては、異例のことです。
もともと長徳寺のおかめ桜は門前の1本だけでしたが、今はおかめ桜が3本にまで増えています。
長徳寺のおかめ桜のすぐ前には京都市バスのバス停「出町柳駅前」があります。
バス待ちのサラリーマンがスマホでぱしゃりとしている光景も良く見かけます。
着物姿の外国人観光客の姿も見かけることもあります。
日本でも旅行ガイドブックには載らないような長徳寺のおかめ桜ですが、外国人も含めて知る人ぞ知る存在でした。
不思議な光景を楽しめる長徳寺のおかめ桜
上のおかめ桜の写真は、一見すると普通の写真ですが、よく見ると「長徳寺」の文字が反転しています。
実は、向い側にある北向地蔵尊の窓ガラスに映った桜です。
ガラスへの映り込みを使って面白い写真を撮れることもあります。
長徳寺のおかめ桜は、こんな写真が撮れるところも人気の秘密かもしれません。
数羽のメジロが長徳寺のおかめ桜へと蜜を吸いに集まっています。
花の中心部の赤みが濃くなってきており、そろそろピークは越えつつあるようです。
長徳寺のおかめ桜には、メジロだけではなく、スズメもよく見かけます。
足下を見ると、地面がピンクに染まっています。散りはじめの時期ならではの楽しみ方です。
桜は開花しているときだけでなく、散るときまで美しいのが魅力のひとつ。
やや小ぶりな花を咲かせるおかめ桜は、散ったときの姿もまた魅力的です。
京都のソメイヨシノの平年開花日は3月28日です。
京都でソメイヨシノが開花するころには、長徳寺のおかめ桜はもう半ば散りかけています。
しかし、散りつつあるおかめ桜はは、花に濃紅色の萼が混じり、花だけのときより味わい深い眺めを楽しめます。
4月に入ると、長徳寺のおかめ桜もいよいよ終了です。
2018年の台風21号により、大きな枝が折れる被害を受けましたが、2019年もいつものように見事に開花しました。
出町柳駅は、叡山電気鉄道平坦線平坦線の始発駅として、1925年に開業しました。
1931年には京都市電今出川線が開通し、加茂大橋停留所との乗り換え駅として廃止される1976年まで賑わいました。
1942年に京福電気鉄道叡山本線となり、1986年に叡山電鉄叡山本線となりました。
1989年には京阪の鴨東線(おうとうせん)が三条から出町柳まで延伸され地下駅が開業しました。
鯖街道の終着地として知られる出町商店街は、鴨川を挟んだ西側に位置します。
京都でおかめ桜を見られるスポット4選
京都でおかめ桜(オカメ桜)が見られるのは、出町柳の長徳寺だけではありません。
長徳寺以外の京都でおかめ桜を見られるスポットを4ヶ所紹介します。
① 京都府立植物園〈左京区〉
京都府立植物園のおかめ桜
京都府立植物園には、様々な品種の桜が園内各所に植えられています。
広大な園内の半木神社(なからぎじんじゃ)南側にある桜苑と、北山門前の桜品種見本園におかめ桜があります。
桜苑では、一角にある秋冬咲きの桜を集めたコーナーの開花よりも遅いですが、桜苑の大半を占めるソメイヨシノや八重紅枝垂桜よりも半月ほど早く開花します。
梅も同時期にピークを迎えています。
園内には多彩な桜が開花し、寒桜(カンザクラ)や河津桜(カワヅザクラ)、椿寒桜(ツバキカンザクラ)、修善寺寒桜(シュゼンジカンザクラ)がおかめ桜よりも先に開花します。
おかめ桜と同じころに、寒緋桜(カンヒザクラ)、支那実桜(シナノミザクラ)なども開花します。
おかめ桜でけではなく、たくさんの早咲きの桜たちが見られるのも、京都府立植物園ならではの楽しみです。
北山門前の桜品種見本園では、同時に雪柳(ユキヤナギ)も見頃を迎えます。
純白の雪柳に紫紅色のおかめ桜が映えます。
京都府立植物園について
1924年に開園した日本を代表する京都の植物園です。京都府民の休日のお出かけ定番スポットです。
広い敷地をぶらぶら歩けば、植物が約12,000種。
桜や梅、つばき、花しょうぶ、あじさいなど昔から親しまれてきた植物のほか、バラ園など左右対称の造形美が楽しめる洋風庭園など変化に富んでいます。
熱帯の植物が見られる温室もあります(別途入館料が必要です)。
入園情報
休園日 | 12月28日~1月4日 |
入園時間 | 9:00~17:00(受付終了は16:00) |
拝観料 | 一般 :200円 高校生 :150円 中学生以下:無料 |
TEL | 075-701-0141 |
住所 | 京都市左京区下鴨半木町 |
アクセス | 地下鉄「北山」よりすぐ |
公式ホームページ:京都府立植物園
② 賀茂大橋西詰〈上京区〉
賀茂大橋西詰のおかめ桜
京都で最も有名な長徳寺のおかめ桜から、鴨川を隔てた賀茂大橋の西詰のやや下流側の河川敷に、2本のおかめ桜があります。
長徳寺にはおかめ桜目当てで人が集まりますが、鴨川河川敷のおかめ桜は訪れる人も稀です。
「おかめ桜」との表記があるわけではありませんが、花の色や形、咲き方などの特徴から明らかにおかめ桜です。
長徳寺のおかめ桜と同じ遺伝子を持っているはずですが、日照条件や土壌が異なるのか、長徳寺のおかめ桜と比べて開花はやや遅めです。
おかめ桜が散り始めると、北側にある枝垂桜が開花しはじめます。
おかめ桜が開花する場所は、ちょうど北村美術館の真裏(東側)にあたります。
北村美術館は、古美術や茶道具を中心としたミュージアムです。
林業などの実業家として活躍し、茶人としても知られた北村謹次郎氏のコレクションをもとに1977年に開館しました。33点もの重要文化財を所蔵しています。
2024年の桜シーズンは、 春季茶道具取合展 「蒼の空」が3月9日(土)から6月9日(日)まで開催されています。
北村美術館:北村美術館
賀茂大橋について
今出川通に架かる賀茂大橋は、1931年に架橋されました。
同時に京都市電今出川線が延長され、銀閣寺道から北野白梅町までを結んでいましたが、1976年に廃止されました。
賀茂大橋のすぐ上流部にある賀茂川と高野川の合流点は、通称「デルタ」と呼ばれています。
近隣住民や、京大生、同大生などの憩いの場として親しまれています。
③ 百万遍知恩寺(ひゃくまんべんちおんじ)〈左京区〉
百万遍知恩寺のおかめ桜
長徳寺から東へ10分ほど歩いた、百万遍知恩寺でもおかめ桜があります。
東大路通とを結ぶ西門を出てすぐのところに、一本のおかめ桜が開花しています。
百万遍知恩寺の早咲き桜といえば、おかめ桜ではなく本堂前で開花する「ふじ桜」の方がよく知られています。
固有名詞っぽい名前の桜ですが、富士桜とは豆桜(マメザクラ)の別名です。おかめ桜の片親でもあります。
富士山のあたりで多く自生しているのがフジザクラという別名の由来です。
マメザクラというと白いイメージですが、野生種だけあって個体差の幅が大きいのでしょう。
百万遍知恩寺について
京都にある浄土宗四本山の一角です。
元弘元年(1331年)に善阿空円が7日間で百万遍念仏を唱えて疫病退散の効験があったため、「百万遍」という寺号を賜りました。
京都内で度々移転をくり返しましたが、寛文2年(1662年)に現在地へと定まりました。
「百万遍」というのは通称で、長らく正式名称は知恩寺でした。2019年から正式に百万遍知恩寺という寺号になりました。
毎月15日には、450以上のお店がでる「手づくり市」が境内で開催されることでも知られています。
拝観情報
拝観時間 | 9:00~17:00 |
拝観料 | 境内自由 |
TEL | 075-781-9171 |
住所 | 京都市左京区田中門前町103 |
アクセス | 京阪「出町柳」より10分 |
公式ホームページ:浄土宗大本山百萬遍知恩寺 | ようこそ、浄土宗大本山百萬遍知恩寺へ
④ 知恩院前(華頂道)〈東山区〉
知恩院前のおかめ桜
知恩院前の華頂道には、街路樹として河津桜(カワヅザクラ)が植えられているのは知る人ぞ知ることですが、そのうちでももっとも東(知恩院側)の1本は、河津桜ではなくおかめ桜です。
どちらも早咲きの桜であり、片親がカンヒザクラ(寒緋桜)なので見た目も似ています。
おかめ桜と知った上で植えられたのか、間違って混ざってしまっていたのかは気になるところです。
知恩院前について
東大路と知恩院を結ぶ華頂通の両側には、かつて知恩院の塔頭群がずらりとならんでしました。
今もの一部が京都華頂大学・短大、華頂女子高校、浄土宗宗務庁になった以外は、塔頭群が残っています。
見学情報
アクセス | 地下鉄「東山」より10分 京阪「祇園四条」より10分 |
おわりに
ソメイヨシノに先駆けて3月半ばに開花し、毎年話題になるのがおかめ桜です。
京都では、出町柳の長徳寺が有名です。
あまり見かけない品種の桜ですが、最近では個人のお庭なんかでも見かけることもあります。
今後も、京都にはおかめ桜の名所が誕生していくのではないでしょうか。
MKタクシーの観光ドライバーであれば、まだガイドブックにも載らないような新しい名所の情報も引き出しにたくさん入っています。
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