世界一への挑戦!MKの整備士スキーヤーが子どもと挑む最高峰!
モーグルスキーヤー エムケイ自動車 鈴木亮整備士
アスリートとしては異例の27歳から始めたモーグル。
2002年国体出場を果たした後、「30歳を過ぎて、働きながらどれだけやれるか」と、一級整備士の資格を生かしてMKに入社したのが2003年。
2005年に夢だった全日本選手権初出場を果たし、33歳で迎えた2006年から2年連続で世界大会(ヨーロッパカップ)に出場。
その後も全日本選手権18年連続出場と記録を伸ばし、52歳を迎え、なおトップスキーヤーとして活躍するMKの鈴木亮(あきら)選手。
自身の夢を叶えてきた鈴木選手が、「次の夢を見つけた」と教えてくれました。
鈴木亮翔選手・鈴木翔真選手 ― 2人の子どもとともに
きっかけは、長男・亮翔くんと次男・翔真くん。
現在小学校3年生の亮翔くんが1年生の時に全校生徒の前で語った将来の夢。
「モーグル選手になりたい―」。
近所の知り合いの方が動画に撮って鈴木選手に見せてくれたと言います。
1歳8ヵ月で初めてスキー板をつけて滑り、4歳でバク転、5歳でバク宙、6歳で雪上でのバックフリップ(スキー板を履いて後方宙返り)ができるようになりました。
文字で書けば簡単にできたように見えてしまいますが、これも毎日のトレーニングの積み重ね。
「足が速くなりたい」から親子で毎朝5kmを走るようになり、コロナ禍で外出もままならなかった期間には自宅に体操器具一式をそろえ、身体の基礎となるトレーニングを積み重ねてきました。
「何が正解かわからないけど、3~8歳頃までの“プレゴールデンエイジ”に運動神経が飛躍的に伸びると学び、いろんなことに取り組んできました」。
人生で自分の登りたい山を見つけろ。その山には家族全員で登る
亮翔くんが幼稚園卒園の時に鈴木さんが話したこと。
「子どもたちには『人生で自分の登りたい山を見つけろ』と言いました。『できるだけ高い山を目指せ』とも。登りたい山が見つかれば人生の半分は決まったようなもの。あとの半分はその山を登るためにあります。『その山には家族全員で登るぞ』と伝えました」。
まるでそれに答えるかのように亮翔くんが語った「モーグル選手になりたい」という夢。
たとえ自身の現役生活と引き換えになったとしても「残りの人生を賭けた次の夢」と覚悟を決め、子どもたちの専属コーチになることを決断。
雪のない京都から世界一を目指す鈴木家の挑戦が始まりました。
■インスタグラムには1千万回再生の動画も
鈴木兄弟のインスタグラムにはこれまでの成長記録も投稿されています。
(MK新聞 2024年11月1日付935号に掲載 ※次回につづく)