世界自然遺産 マングローブ原生林 ―湾曲するメヒルギの並木道|MK新聞連載記事
目次
MKタクシーの車内広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤 勝美氏ご紹介いただいたジャーナリストの記事を隔月で掲載しております。
今回はMK新聞2023年2月1日号、3月1日号に掲載された張間 隆蔵氏の世界自然遺産 奄美大島のマングローブ原生林についてです。
マングローブ原生林 ―湾曲するメヒルギの並木道
断崖絶壁の展望台
世界自然遺産に認定されて、国道横の歩道脇、草茫々の小さな展望台に新しく標識板が設けられた。
奄美群島国立公園
特別保護地区
環境省
マングローブ原生林
依然あった“ヒルギ群生地”という標示が消えて、ところどころ英字が押しはされている。
このあたり、奄美大島本島を北から南へ縦断する国道58号線(奄美空港近辺~瀬戸内町古仁屋(こにや)港)南部の、住用(すみよう)川西仲間から役(やく)勝(かち)川国(こく)路(じ)橋に至る断崖絶壁の高台カーブに位置している。
近くに“マングローブ原生林遊歩道入口”という看板があり、斜面険しい急坂を手すりに頼りながら下へ下へと降りていくと、原生林が真近に見える桟橋までの細い道が水際沿いにつづいている。桟橋下付近のごろごろした岩石を見るとマングローブ原生林がなかった遠い時代には、そのあたりは海流が押しよせる波打際だったことを彷彿させる。
晴れた日に国道を背にして断崖絶壁の展望台に立ってみると、マングローブ原生林が眼下に広がってはるか遠くの太平洋側に対向するタキノハナヤマ(482m)山系の斜面にまで地続きしている常緑の大草原が眺められる。
汽水域の日常性
山系の裏側に太平洋住用湾があって、月の太陽の引力関係で毎日約12時間25分ごとに海面が干満昇降する潮汐(ちょうせき)の減少があり、黒潮の潮流が6時間ごとに往還しつつ湾内を出入りするのである。
満潮時が近づくと潮流はあたかも連通管の水平則に従うように、城之崎やトビラ島を後(しり)目にゆっくりと山裾沿いに山間(やんま)港に侵入し、その先の広くまあるい遠浅の海やってくる。このあたりでいつも合流を終えている住用川と役勝川両岸浅瀬、沿岸部、干潟、三角州などの泥状地に向かって海からの潮流は速度を上げていく。
そうこうしているうちにあたり一面海水と淡水の入り混ざった低塩分の“汽水域”が日常のように形成され、潮流の勢いに押されながら汽水の流れは川昇りしていくのである。遠浅の海からの目線であらためて住用役場までの風景を眺めなおすと、住用が住用村の時代がら擂(す)り鉢(ばち)状の盆地と準(なぞら)えられてきたことが分かる。河川と同じ海抜の手狭な底地。それを囲む山々は高さこそ平凡だが急峻多雨の土地柄、豪雨でなくても村中がすぐさまバケツ状態となってしまう。しかし考えを変えれば淡水が常に豊かであって生活の上でも汽水域の条件としても恵まれているとも考えられる。
マングローブ原生林の隘路
潮流と2つの河川の合流で造り出された汽水の流れは原生林の中心と目される白い砂州に来ると3つの流れに分流する。住用川三角州のマングローブを侵しながら西仲間付近まで北上していく流れ。
役勝川土手裏の原生林を侵しつつ国路橋あたりまで遡行する西向きの流れ。そして最後に遊歩道桟橋を突きあたりとする100m程のマングローブ原生林並木道に入っていく流れである。ここは曰(いわ)くつきで、大雨洪水時に川の上流からやってくる怒涛の濁流に押され、行き場を失った海からの潮流がたまらず泥地のやわらかい隘路を潜るように掘り進んでいって、その両岸沿いに長い年月とともに並木道ができ上っていったという説が伝えられているが定かではない。マングローブ原生林ではこういう隠れた並木道が6ヵ所確認されている。(因みに観光用で便宜的に吹聴されている原生林全体の広さは東京ドーム13個分といわれている。)
ヒルギという名の植物群
マングローブ原生林は“汽水域”の泥状地に群生する植物の総称といわれている。もともとは地球規模の海流潮流から派生する海洋系植物図版上の規定概念で、実態として奄美の汽水域に生きているのはヒルギ(「漂(ひる)木(ぎ)」すなわち、漂流漂着して生える木)という和名の樹木群であり、種や属ごとに居並んで帯状群落構造(ゾウネーション)を形成して営んでいる。ヒルギ群生地と名指しされてきた所以はそこにある。
奄美で現認されているヒルギはメヒルギとオヒルギで、これらに沖縄八重山諸島のヤエヤマヒルギを加えた3種3属が南西諸島に自生しているとされている。
淡水系植物群
ヒルギ以外にもたくさんの植物が繁茂している。スオウノキ、サガリバナ、シャリンバイ、ヒカゲヘゴ。タラノキ、クチナシモドキ、シマシラキ、ハゼノキ、サネン、アセビ、ブーゲンビル、ヒルガオ、イグサ、ススキ、リュウキュウマツ、ハマフヨウ、ツワブキ、いくら挙げても切りがない。
これらをマングローブ原生林の淡水系植物群と仕分けすることはできる。出自はともかく多くは周囲周辺の急峻な山々の山林原野から来ている。山林原野斜面の土は豪雨のたびに沢道脇から河川下流へ押し流され、川床の両岸に少しずつ堆積されて層を重ね、やがて土手(自然堤)と化していく。下流の土手が終わるところに干潟が発生するのである。強風に吹かれて山林原野斜面からさまざまな種子が川の土手に飛び交いタンポポの綿毛の用に着地する。土手にも植物にも遠く長い年月の累積が加担されていることは言うまでもない。海風や洪水の一過的な塩害による脱水症に耐えられる種類が集まっているかもしれないが、根元から定常的に汽水域に浸る場所を領分としているものではない。言わば山林原野斜面が川面の土手(自然堤)へ移動再生されただけのことであり、それ以上のことがあるわけではない。
棲み分け線
土手を等高的に抉って汽水域の淡水系とヒルギ群を縦に押し分け棲み分け線とするのは塩分による枯れ死という冷厳な事実である。
塩田の塩尻では海水の塩分は海水1㎏につき35gが定説である。海水に川の淡水が混ざって低塩分化されたはずの汽水域の汽水でも淡水系植物群には一定期間根元を浸しつづけると塩害脱水で枯れ死する。汽水域でも低塩分化はあるが塩が消えてなくなるわけではないことをあらためて突きつけられる。ヒルギにとっても塩分は少ないに越したことはないはずではないか。
ヒルギの基本組織である維管束(師部・木部)の塩分濃度は海水の1%以下といわれている。これで単純計算してみるとヒルギの体内塩分濃度は限りなくゼロ度に向かっていることが分かる。
亜熱帯の強い太陽光による乾燥で体内水分の減少すなわち塩分濃度上昇に対しては、葉の表皮細胞を数層に発達させ、表面をワックス成分で厚く被覆している。あるいは葉に上がってきた各種イオンを葉から逃がし、また塩分を葉に貯蔵して排出する塩分腺を表皮に備えている。
汽水域の泥状土は常に汽水にさらされ、有機物の分解が遅いため酸素吸収根の酸欠による根腐れが起こりやすい。そうでなくても樹の根元は泥をつかまえにくく流されやすい不安定さにさらされている。表皮層に細胞間隔が広く空いた通気組織を形成する空気根に見られるように、ヒルギの根元に関する支柱根、呼吸根、地中根、膝曲根、板根などの多彩でレトリックな組み合わせはありとあらゆる外の環界に対する応力を兼ね備えていると同時に、内的環界である帯状群落構造と関係づけられて生きていることが窺えるのである。
進化する適応力
ゾウネーションの林に入ってヒルギを見ると外側から見えるほど凭(もた)れ合った密集感はなく、清潔感さえ感じられ、それぞれの単体の独自性が一定の間隔で保たれている。台風暴風や洪水濁流の膂力(りょりょく)を単体のみならず構成全体の中心で受け止め和らげている。光に対しても林の中は欝蒼(うっそう)ともしていないし開けっ広(ぴろ)げの明るさでもない穏やかさがある。林全体が南に向いて樹齢層順に整然と並んでいるかと思えば、根の太さを見比べると年代差、成長差が見られる。板根と板根とが対的に連理して根元だけ合体してさらに樹齢をかさねようとしている。根元が安定していかないと1本の巨木だけでは自らの体重で根元から自倒しかねないからである。
生物はその生活環境に最もよく適応するために、単細胞からしだいに多細胞で複雑な生物に変化してきた、という古典の一説を想起させるというべきか。
ヒルギは胎生種子
種属を問わずヒルギは胎生種子で生まれてくる。春3月になると雌雄両性の小さい花が咲きはじめ、花の中の雌(めし)べの基部にある子房内の卵形果実に複数個の種子がつくられる準備がされるが、種子に成長するのは1個だけである。樹上にある間に果実の中で種子は発芽して幼植物となる。ここが胎生と呼ばれるところである。幼植物の胚軸は急速に成長し、果皮を突き破って1本の幼木として下方へ20㎝くらいまで伸びていく。根、茎、子葉など器官的準備が終る6月頃に親木から離れて地上に落下する。水面を立ったまま浮遊して汽水域の泥地を目指して漂流する。
オヒルギとメヒルギ
雌雄両性の花が咲くのだから雌雄別々の樹木があるのではないが、現行の和名では外形だけから男らしい女らしいとしてオヒルギ・メヒルギと呼ぶ慣行となっている。ヤエヤマヒルギは種子の形状からみてメヒルギの同族と考えられる。
種子だけをみればオヒルギは直立する葉巻き型棒状で、メヒルギはサヤエンドウ型の細い棒状だが微妙に湾曲している。オヒルギには樹木としても豪放(ごうほう)磊落(らいらく)な南洋型の風情がつきまとい、直立落下した葉巻き型種子はそのまま泥地に突き刺さり発芽生育するといった真(まこと)しやかな伝説がいまも残されている。そう言われてみるとそうかなといった程度のものだが、その反対にイメルギの種子の微妙な湾曲ぶりについての観察記はいまだに皆無に等しいほどである。男尊女卑時代の名残りかもしれない“女らしい”でメヒルギを囃(はや)す髪飾り説もあるが、湾曲は無視されている。
自然な水平志向
断崖下遊歩道桟橋前から100mほどつづくマングローブ原生林吹き抜け並木道で枝葉を差し伸べ合って風洞をつくり出したメヒルギ群は帯状群落構造(ゾウネーション)の精華と呼んでいいものである。そのメヒルギの胎生種子は直立せずに微妙に湾曲している。湾曲は弓型と言いかえてもよい。この形状だけをみれば潮流や風波の水平方向の圧力を立ったままくるくると受け流し、尖った根の先から泥地に入り込んで根付こうとする動作に向いていることは確かである。吹き抜けの並木道に生きる親木に似ていないことはない。
生まれたばかりの胎生種子と樹齢数百年になろうかという親木とは水平志向では似通っている。形状はどうだろう。並木に関係なくポプラ、杉、フクギなどは空に向かって一辺倒に伸びていく。オヒルギも同じで泥地でもまっすぐ10メートルくらいは伸びる。しかしメヒルギはそうではない。泥状地を生きて繁茂をかさねるためには根元の連理する安定が不可欠でそれこそ空へ伸びていく時間は限られているのであある。そのうえで自然な水平志向に命ぜられて水路をはさんだ向かい側の樹木に枝葉を差し出すのである。潮の道は風の道。風が吹き抜けるその時のメヒルギの根元、幹、枝葉が物腰やわらかく一体化する形が湾曲を描き出しているのである。
子が母体内である程度発育し親と同じ形の個体で生まれる、といった胎生に関する初歩的常識はひとつの普遍なのかもしれない。
【参考文献】
『マングローブ入門』中村武久・仲須賀常雄(著)(めこん出版)
『朝日百科 植物の世界 第4巻』(朝日新聞社)
『沖縄大百科事典』(沖縄タイムス社)
■張間 隆蔵(はりま りゅうぞう)
自然遺産奄美住用(すみよう)マングローブ原生林ガイド(マングローブ茶屋所属)。戦時下米軍大阪大空襲から逃げるべく両親が疎開した先の鳥取県西伯郡の片田舎に1945(昭和20)年1月生まれる。終戦後、焼野原の大阪市此花区の実家に戻って家族生活再開。1967(昭和42)年2月、大阪市立大学文学部処分退学。翌1968(昭和43)年より東京にて商社勤務。その傍ら日本近代史諸学を研鑽。同人誌「出立」を主宰して『審問』などを発表。2000(平成12)年より奄美本島住用村に移住し、マングローブ踏査研究に従事。琉球弧沖縄に関心を寄せる。
MK新聞について
「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。
ホームページから最新号、バックナンバーを閲覧可能です。
フリージャーナリスト・加藤勝美氏について
ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。
MK新聞への連載記事
1985年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1985年11月7日号~1995年9月10日号 「関西おんな智人抄」(204回連載)
1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)