アメリカ反戦帰還兵が語る戦争体験「戦争は金持ちをさらに金持ちにする」|MK新聞連載記事

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アメリカ反戦帰還兵が語る戦争体験「戦争は金持ちをさらに金持ちにする」|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、ジャーナリストの加藤勝美氏による連載記事を掲載しています。
MK新聞2018年12月1日号の掲載記事です。

 

 

アメリカ反戦帰還兵が語る戦争体験「戦争は金持ちをさらに金持ちにする」

今年2018年の10月16日、西宮市岡田山の神戸女学院大学でヴェトナム戦争、イラク戦争にそれぞれ従軍した元アメリカ兵2人の「二つの戦争の帰還兵(ヴェテランズ)が送るメッセージ」と題したスピーチが行われた。
これは1985年に結成された国際平和団体VFP(ヴェテランズ・フォー・ピース)と提携して、同大学の文学部総合文化学科准教授・景山佳代子さんの授業の一環であり、それが一般にも公開されて、教室は学生と市民でいっぱいになった。
通訳がレイチェル・クラークさん(生まれ育ちは日本で、アメリカ在住・米国市民)。

はじめに、ネイサン・ルイスさんが次のように挨拶した。
コンニチワ まず平和を愛するアメリカの市民とVFPを代表して、日本全国に行われた大空襲とヒロシマ、ナガサキヘの原爆投下に対して心からお詫びいたします。
そして戦後、現在に至るまで沖縄に米軍が駐留していることに心からお詫びいたします。
これから戦争で亡くなった一般市民、兵士のために黙祷をささげます。(黙祷一分)

 

ウソは戦争の最強の武器 マイク・ヘイスティ(Mike Hastie)さん

私はヴェトナム戦争帰還兵で、衛生兵でした。よく私が口にすることですが、ウソは戦争にとって最も強力な武器です。
そのウソの裏にある真実をお話しします。
1967年3月16日、ベトナムではソンミ事件と呼ばれる凄惨な攻撃がありました。
1969年12月発行の『ライフ』誌にその写真があり、歴史的に価値があります。
そして戦争中、同じような事件が他にも多く続いていました。

銃口を向けられた一般市民(ソンミ事件、出典:『LIFE』1969年12月5日号)

銃口を向けられた一般市民(ソンミ事件、出典:『LIFE』1969年12月5日号)

1945年生まれの私は日本に駐留する職業軍人の家族として横浜に着きました。
父は戦闘技術者で第二次大戦当時、アルジェリアにおりました。
日本における父の部隊は地表図を作っていました。
小型の爆撃機B25の機体を真っ白に塗り(地上から見たときにわからないようにするためのカモフラージュ)武器を取り払った跡に高性能のカメラをつけ、レーダーに引っかからないように超低空飛行で朝鮮半島、中国の上空を飛んで地上を撮影しました(これは明らかに国際法違反行為です。また、現在のように衛星撮影などという技術のなかった頃に行われたトップシークレット作戦でした)。
つまり、朝鮮戦争はいきなり勃発したのではなく、入念に計画を練って、アメリカ政府は準備していたのです。
1970年と71年に私はヴェトナムにおり、アメリカ兵たちはいつも「なぜ僕らはここにいるんだ」と自問し、使っていた救援用ヘリに抗議運動の一つとして「WHY」とペイントをしました。そして、私は軍が急速に内部崩壊していくのを見ました。
ヘロイン中毒者がどんどん増え、殺人や自殺もありました。

全てを焼き尽くすため兵士は火を煽っていた(ソンミ事件、出典:『LIFE』1969年12月5日号)

全てを焼き尽くすため兵士は火を煽っていた(ソンミ事件、出典:『LIFE』1969年12月5日号)

今手にしているジッポライターはタバコに火をつけるだけでなく、家の焼き討ちにも使われました。
写真はGIジョーという軍服姿の人形ですが、小さい時からこれで遊んでいて、戦争は敵兵を殺すものという印象を持つようになりますが、まさか武器を持たない一般市民を殺すことになるとは全く思ってはいなかったでしょう。
和平交渉をするには、敵兵を殺すだけでなく、一般市民を殺す。
祖国を防衛しようとする意志を挫くのです。
ヒロシマ、ナガサキの原爆も標的は一般市民でした。あれは人類史上最悪の戦争犯罪です。

ソンミ村を襲撃するアメリカ軍(出典:『LIFE』1969年12月5日号)

ソンミ村を襲撃するアメリカ軍(出典:『LIFE』1969年12月5日号)

ソンミ村では四時間余りで市民504人を虐殺し、この灌漑用水路には170人が投げ込まれました。
米軍の指揮下で韓国軍は虐殺を行いました。
もしも日本の自衛隊が集団的自衛権を行使してアメリカとともに戦争に参加した場合、殺戮に加担することになるかもしれません。
日本国憲法第九条はみなさんの大事な大事な宝物です。
ハーさんという女性に今年の3月、ソンミ事件50周年という節目にこの村で会いました。
用水路に投げ込まれた生き残りで、まだ生きている間に死体が彼女の上に積みあがるように投げ込まれて生き残ったのでした。
また、キューさんという女性は、ソンミ事件でご家族五人を殺されました。
17年間ソンミ事件の戦跡ガイドをなさっており、事件について自分の経験を語りながら、号泣しました。
アメリカにいるアメリカ人が絶対に見ることのない光景です。

年老いた男性は歩けないほどに震えていた。カメラマンが去った直後銃声が響いた。(ソンミ事件、出典:『LIFE』1969年12月5日号)

年老いた男性は歩けないほどに震えていた。カメラマンが去った直後銃声が響いた。(ソンミ事件、出典:『LIFE』1969年12月5日号)

 

自由、民主主義とは関係のない戦争

あるアメリカ兵も衛生兵として従軍、戦争中にうつになり、自殺を試みました。
彼はヴェトナムに二回派遣されて(陸上軍としてジャングルにいる間に)枯葉剤を浴びてしまい、結局それが原因で二年余り前にがんで亡くなりました。
また別の兵士はM16で頭を撃ち抜き、上官を殺す場合もありました。
兵士たちは良心が傷つき、退役軍人病院では強い神経系の薬を投与されます。
現在、平均して毎日22人の元米兵が自殺をしています。22×365(8,030人)、戦地で戦闘で亡くなる人たちよりはるかに多いのです。
私がヴェトナムにいる間、たまらない思いでいたのは、戦争のすべては政府のウソで固められたものだということ、自由、民主主義とは一切関係がないということに気づいたことです。
戦争の目的はただ一つ、企業利益です。
WARとはWealthy are richer豊かな者はより豊かに、なのです。
私がヴェトナムから帰還した時、それまで持っていた価値観が完全に崩壊しました。
ヴェトナム戦争中、凄惨な殺戮がない日はありませんでした。
私は自殺歴があり、二度パニック発作で病院に担ぎ込まれた経験もあります。以上です。

 

イラクで反戦感情高まる ネイサン・ルイス(Nathan Lewis)さん

ニューヨーク州北部出身のイラク帰還兵です。
故郷はリンゴの木が多く、乳製品の産地でもあります。大家族で、私が初めて軍人の道を選びました。
町の公立学校には軍のリクルーターたちがよく来ます。
男子たちは小さなころから戦争ごっこをよくやり、戦争映画もよく見、軍のパレードもあります。
高卒後、陸軍に入隊、訓練を始めた二日目が2001年の9・11の日でした。
2003年、米軍がイラクに侵攻した時の部隊におりました。
当時20歳、イラクで米軍とは何か、アメリカとは何か、考え方がガラッと変わりました。
兵士たちはイラク人に強い差別意識があり、非人間化し、人間以下の扱いをしていました。
暴力が常に現地人に向けられていました。食料、水を与えず、寝ることも許さず、拷問をしました。
ですから、アブグレイブ刑務所から拷問シーンの写真がリークした時も別段驚きませんでした。
その中で反戦感情が高まり、退役後すぐに故郷に戻り、そこで大学に入りましたが、とにかく戦争のことを忘れようとしました。
心の中は怒りでいっぱいで、深酒をし、家族や友人との関係も悪くなっていきました。
その頃、マイクのようなヴェトナム戦争の経験者たちと出会う機会があり、自分の心が自分だけのものではないことを知りました。
当時、あまり知られていないアメリカの歴史の真実を深く掘り下げるようになり、戦争反対を唱える兵士たちがかなり前からいたことがわかりました。

 

メディアが伝えない声

そして、兵士たちがグループを作って、アートを通して自分たちのメッセージを共有し、伝えていく活動も始まったそうです。
人の命を奪うことは簡単にできることではありません。
一度それを冒してしまうと、一生、その悔いを引きずり続けます。今でも怒りを持っている人たちがたくさんいますが、2003年から始められた戦争がいまだに続いているからです。
この声をメディアはなかなか伝えてくれません。そのため社会から孤立していく。
そういう兵士たちと一緒にVFPや『コンバット・ペーパー』を作るプロジェクトによって引きこもっていく兵士たちを助けるため、軍国主義、負の文化をゆっくりと、かつ確実に変えていく原動力になることを信じて芸術活動を続けています。
米軍は非常に大きなマシーンです。大量殺戮をし、貧しい人たちからお金を巻き上げて、効率的に金持ちに届くシステムなのです。

アメリカでは軍に入って初めて大学に行けたり、就職できたり、医療保険を得ることができるのです。
子どもの時代から戦争が私たちの中に普通に存在し、リクルーターはかっこいい軍服を着て、軍に入ると給料も貰え、外国にも行けると甘い言葉をかけてきます。
しかし、人を撃ち殺し、自分が死ぬかもしれないこと、一生障がいを持って暮らすことは言わない。
この勧誘のためCMが様々な媒体を通して目に入る。電車にも広告がある。
これだけ大量の宣伝をしても、軍が欲しいだけの人が集まるわけではないのです。以上です。

(2018年10月25日記)

付記 この日の取材に際しては娘の海老原麻文(まふみ)の協力を得た。

 

マイク・ヘイスティ(Mike Hastie)

1969年米国陸軍入隊。
広範囲に渡る医療の特訓を受けた後、臨床専門衛生医として1970年ヴェトナムへ派遣される。
ヴェトナム駐留中、米国によるヴェトナム戦争介入が急速に崩壊していくのを経験する。
戦争に伴う死や怪我だけではなく、米国兵の間で行われた殺人や自殺、ヘロイン中毒の著しい蔓延も目撃。
1970~71年にはヴェトナム戦争が嘘であるという考えは米兵の間では一般的になった。
嘘の為に死ぬことはなく、家へ帰りたいということだけが我々の望んでいたことだった。
嘘は戦争にとって最も有力な武器である。簡単に言えば、戦争とは「裕福な者がより裕福になる」ためのものなのだ。
https://www.counterpunch.org/2017/03/21/my-lai-massacre-49-years-later/
(「ソンミ事件」についてカウンターパンチ誌に掲載されたマイクの論文)

 

ネイサン・ルイス(Nathan Lewis)

反核活動家。芸術家としても活動する。
米国陸軍兵として2003年にイラクへ派遣された経験を持つ。
2006年に「戦争に反対するイラク帰還兵の会」に入会し、初の現役軍人によるフォート・ドラム支部の設立を助けた。
紙すきアーティストや作家(執筆家)として、退役軍人や現役軍人に技術を教える。
ニューヨーク州イサカ市近郊でブックアート・スタジオを営み、退役軍人の間で盛り上がりつつある芸術運動に貢献中。
https://soundcloud.com/user-34480327/episode-six-celebrating-10-years-of-combat-paper-interviews-and-perspectives-1
https://www.combatpaper.org/
http://warriorwriters.org/artists/nate.html

 

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フリージャーナリスト・加藤勝美氏について

ジャーナリスト。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。

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1985年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1985年11月7日号~1995年9月10日号 「関西おんな智人抄」(204回連載)
1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)

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