喜寿のタンザニア紀行①|MK新聞連載記事

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喜寿のタンザニア紀行①|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏よりの寄稿記事を掲載しています。
喜寿のタンザニア紀行①「巨大な雑踏、溢れる生活感」です。
MK新聞2014年12月1日号の掲載記事です。

巨大な雑踏、溢れる生活感

なんでアフリカヘ?

エーッ、そんな歳でなぜアフリカヘ? と、よく驚かれた。
その頃はまだエボラ問題は起きていなかった。そして、エボラ熱の死者のことが報道され始めると、どうしてこんな時に?と、狂気の沙汰のように言う人もいた。
いや、あれは西アフリカのことであって、タンザニアは東アフリカだ、と弁解する。
しかし、日本人にとっては、アフリカのどこかが危険であれば、東とか西など関係がなくなってしまうようだ。
世界地図を開いて日本をアフリカに重ねれば、大変な距離が東と西の間にあることがわかるはずだが、そうは考えないようだ。

私がアフリカ行きを考え始めてからもう十年余りになる。
パキスタンやアフガニスタンで医療活動を展開していたペシャワール会(現地代表・中村哲)が2001年2月にパキスタンのペシャワールへのスタデイ・ツアーを行い、それに参加したときから、「次はアフリカだ」と思っていた。
ただ数々の問題を抱え込んでいるアフリカを観光する気にはなれなかった。
アフリカのどこであれ、現地の人と多少でも触れ合えるものをと考えていたのだが、今年になってようやく求めていたものにぶつかった。
10日間のうち半分は農家に宿泊するもので、兵庫県尼崎市にある代理店、㈱マイチケットの担当女性が大学でスワヒリ語を学んでいたことも参加を決めた要因の一つだった。

紛れもない大都会

8月19日 (火)夜12時前、関西空港からエミレーツ航空でアラブ首長国連邦のドバイ空港へ約11時間、翌朝5時ごろ到着して、乗り継ぎのため5時間待ち。
黒人や、服装からイスラーム教徒とわかる人たちが盛んに行き交い、若い日本人も珍しくない。
20日(水)午前11時ごろ乗継便に乗り、タンザニアのダルエスサラーム空港まで約5時問半。
3時過ぎに到着して迎えの車で市内のホテルヘ。

いきなりアフリカの大地が目の前にあるわけではなく、人と車がごった返す渋滞の埃っぽい道路をのろのろと進む。
車列の流れに逆らって、アイスクリームだろうか、小さな三輪車を押して歩く物売り。
渋滞で止まると、あちこちから物売りが近づく。気温は35度ほどのはずだが、汗も出さずにいる。
20分ほどでツインの高層ビルが現れた。紛れもない大都市だ。
人でギューギュー詰めの中、小型のバスが走り、バス停には大勢が待っている。
路上には両手の指がただれたような(ハンセン病か?)もの乞いも。
夕方、スリープインホテル着。
道路は、舗装はされているが、大都会の裏通りという感じで、人・車・屋台と放置されたゴミが犇(ひし)めき合っている。
夜、現地の旅行会社、ジャターズのカリブ(歓迎)食事会。
驚いたことにビールが10種類近くもあり、キリマンジャロ、セレンゲティ、ンドゥブ(象)など多彩で、日本のように銘柄が1種か2種だけとは大違い。
ここでこの旅行の参加者8人が勢ぞろい。
関西と関東から4人ずつで、私を除いて60前後の男性3人、大人の女性が2人、大学生の男女が2人。

木製自転車

木製自転車

「撮るなら金を払え」

翌21日(木)、全員トヨタの中古車に乗って市内見物へ。
まず国立博物館。入り口前に鉄製の大砲があり、説明書きでは第1次大戦で使用されたドイツのフィールドガン(野戦砲)だ。
内部には様々な展示があって、まず目についたのが木を刳りぬいた丸木舟。
特に珍しいものではないが、片寄(かたよせ)俊秀『ブワナ・トシの歌』(現代教養文庫)に、「丸木をくりぬいただけの不安定なカヌーを、立ち漕ぎで、見事なスピード」(84ページ)とあって、この本が最初に出版されたのが1963年だから、60年代までは実際に使われていたのだろう。
そして、思わず拍手を贈りたくなるのが木製の自転車の現物(写真)。
植民地支配者が持ち込んだものを手持ちの材料で再現したその熱意に敬服!チェーンは縄。
ただ、実際にどこをどの程度走れたか。

煮えたぎる大鍋

煮えたぎる大鍋

次に訪れた浜辺の魚市場は圧巻。
遠くから煙が見え、やがて香ばしい匂いに導かれて行った先に直径1mほどの鉄の大鍋がいくつも並んで火に焙(あぶ)られ煮えたぎっている。(写真)
魚を調理しているようだ。
そこで味付けされたものをバケツに山盛りにして売り歩く人。
通訳を兼ねて同行している大学のスワヒリ語科の3年生木原君(仮名)が買って食べさせてくれたが、甘辛くてうまい。
大きな魚は調理台で捌かれていたが、砂浜には2、3人が組になって、小魚の頭や内臓を手で捌いてそばに作った海水溜りに本体を放り込んでいる(写真)。

魚市場がある浜辺

魚市場がある浜辺

近くに寄って写真を撮っていいかと聞くと、「撮るなら金を払え」とどなられた。なんと貝殻だけを売る店もあった(写真)。
その美しさに惚れぼれするとともに、十数年前に読んだ今西錦司の『生物の世界』の一節を思い出した。
今西は、花や蝶はなぜ美しいかと問い、「アンモン貝の貝殻に刻まれた彫刻が、時代を経て、種が成長するに従い次第に緻密に繊細になって行ったというが、そこにいわば生物の世界における芸術といったようなものが考えられはしないであろうか」(講談社、学術文庫162ページ)と言う。
文化は人間だけのものではないのだ。2人の孫にといくつか買ったが、店のすぐ前の地べたで貝殻をごしごしと洗っている人もいた。
すると、貝殻を取る―洗う―売るという分業があるのだろう。

貝殻を売る店

貝殻を売る店

その後は黒檀の彫刻で有名なマコンデ村。
狭い間口の店が何十軒も並び、黒光りするマサイの家族像などが目を惹く。
次は日本でも展示会があったというティンガティンガ絵画(創始者の名前に因む)の拠点へ。
『タンザニアを知るための60章』(明石書店)によると、エナメルペイントで描かれた動物、鳥、魚、人間、シエタニ(精霊)などをデフォルメしたもので、合板、それも天井用のボードを使っていたが、今は布が主流(196ページ、金山麻美執筆)。
子どもが喜ぶような雰囲気なので、小型のボードを2枚、好きな文字を入れてくれるので孫の名前をローマ字で。
この原稿は帰国後、1ヵ月半ほど過ぎてから書き始めたものだが、巨大な雑踏とでも言いたいようなダルエスサラーム、生活のエネルギーが充満している魚市場、そして次回で触れる歴史としての奴隷制が印象に残っていることが、改めて感じられる。

 

MK新聞について

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「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
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40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

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フリージャーナリスト・加藤勝美氏について

ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。

MK新聞への連載記事

1985年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1985年11月7日号~1995年9月10日号 「関西おんな智人抄」(204回連載)
1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)

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