水俣病を告発しつづけた 故・原田正純さんを悼む〈下〉|MK新聞連載記事

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水俣病を告発しつづけた 故・原田正純さんを悼む〈下〉|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏よりの寄稿記事を掲載しています。
水俣病を告発しつづけた 故・原田正純さんを悼む記事です。
MK新聞2012年9月16日号の掲載記事です。

2012年6月12日、水俣病問題の先頭を走り続けた医師・原田正純氏が、急性骨髄性白血病で亡くなられました。77歳でした。
本紙では1999年8月、原田さんの大阪公演をもとにフリージャーナリスト・加藤勝美氏が執筆した記事を掲載いたしました。
追悼のため、同記事を掲載いたします。(編集部)

差別があるところに公害が生じる

九州の有明海で“第三水俣病”が発見されたのが1971年8月だが、それから3年後の1974年秋、今度はカナダに水俣病が発生したらしいという知らせが原田さんのもとに届いた。
翌年、国際環境調査団が結成され、原田さん(1934年、鹿児島県生まれ)や宇井純さんら九人がオンタリオ州ケノラ市周辺に住むカナダ・インディアンの居留置を訪れた。
ここでは1968年から69年頃に水鳥、熊、ミンク、獺(かわうそ)などが姿を消し、鷹が奇妙な飛び方をした。
発病した猫の病理組織によって水俣病が確認され、この地区の魚を与えた猫はすべて水俣病になった。
「インディアンの長い髪の毛の水銀値を測ると夏に伸びた部分は冬に伸びた部分よりも高いんです」。
つまり、魚を食べている時期の髪の水銀値が高いということだ。
原田さんたちはカナダ水俣病の発見と研究はカナダの研究者によって完成されるべきだと考え、必要なデータを渡して帰国したが、カナダ側の最終報告は「水俣病は発生していない」というものだった。
患者のさまざまな症状は頚椎症、パーキンソン病とされた。

原田さんが初めてこのケノラを訪れたとき目についたのは、昼間から酔っぱらい、汚れた髪を乱して空ろな瞳で街角や木の下に座っているインディアンたちの姿だった。
警察の係官は「水俣にもアルコール中毒が多いか?」「犯罪と水銀汚染との関係はどうか?」と原田さんに聞いた。
彼らは白人と接触するまではアルコールを知らなかった。
「伝統的文化や生活様式が外部からの力で破壊されるのも公害。彼らは希望も目的もなくアルコールに溺れる。公害が起こって差別が生じるのではなく、差別があるところに公害が生じることを知りました」。

このほか、中国の吉林・上海、ボンベイ、インドネシア(ジャカルタ湾)、フィリピン、アメリカのニューメキシコ、アドリア海、イラク、デンマーク、ニュージーランド、南米のベネズエラ、アマゾン河、サルバドルなど世界各地で水俣病が発生している。
フィンランドの老夫婦の場合、パルプを消毒するため使われた水銀を魚経由で食べ、髪の毛の水銀量が異常に高くなったが、政府は水俣病とはしなかった。
「われわれが訪ねたとき、『熊本大学の水俣病の研究書は大変立派なもので、あれを見本にして判定した』と言われました。
症状の激しい急性激症の病像が世界中に水俣病像として定着し、それを根拠にフィンランドの水俣病も否定されてしまった」と、原田さんは無念と反省の思いも込めて語る。

ところで、妊婦は汚染を受けると毒物は胎盤を通って胎児に移行するため、母親の症状は軽くなる。
メチル水銀、PCB、ダイオキシンなどでそれは証明されている。
ある胎児性患者の母親は原田さんにこう話したことがある。
「私も重症になっていたら、子どもの面倒を誰が見てくれたでしょう。神はこの子どもを見るよう私に力を与えてくださったのです」。
原田さんは自分の子どもが生まれたとき、臍帯(さいたい)中のメチル水銀値を測定することで過去の汚染状態がわかるのではないかと考え、患者の家族の協力で百個近くの臍帯を集めることが出来た。
その結果、水俣地区の住民のそれは非常に高く、時期も環境汚染と平行していた。
「子宮は環境です。環境を汚染することは子宮を汚染することなんです」

原田さんが55歳になった1989年、その著書『水俣が映す世界』は大佛次郎賞を受賞し、クリニックも開設した“いい年“だったが、胃ガンが発見されて手術を受け、命拾いをした年でもあった。
この手術以後、原田さんは命の有限を悟り、年の初めに仕事の優先順位をつけ、漫然と生きることを戒めるようになったという。
(水俣を出発点とした世界各地の公害病の調査などの足跡と数多くの著書を考えると、原田さんがそれまで”漫然と“生きてきたとはとても思えないのだが)。

今も日本の各地でさまざまな公害問題が起き続けているが、原田さんから見ると、国の対応は水俣から学んでおらず、進歩もしていない。
「水俣病という事件は根が深い。これを通して他の問題が見えてきます」。

参考文献 原田正純著『水俣病』(岩波新書、1972年)、『水俣病は終っていない』(同、1985年)、『水俣が映す世界』(日本評論社、1989年)、『この道は』(熊本日日新聞社、1995年)など多数。

〈1999年8月16日付507号MK新聞「風の行方№4」より再録。記事中の記録は当時のものです〉

 

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フリージャーナリスト・加藤勝美氏について

ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。

MK新聞への連載記事

1985年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1985年11月7日号~1995年9月10日号 「関西おんな智人抄」(204回連載)
1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)

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