バレエ振付師モーリス・ベシャールさんを悼んで〈下〉|MK新聞連載記事

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バレエ振付師モーリス・ベシャールさんを悼んで〈下〉|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏よりの寄稿記事を掲載しています。
バレエ振付師モーリス・ベシャールさんを悼んでの記事です。
MK新聞2008年2月1日号の掲載記事です。

去る2007年11月22日、フランスのバレエの振付家、モーリス・ベジャールさんが80歳で逝去されました。
ご冥福を祈るとともに、2000年に本項に掲載された記事を再録いたします。

京都賞を受賞したモーリス・ベシャールさん

ベジャールさん(1927年生まれ)の二冊目の自伝『モーリス・ベジャール回想録 誰の人生か?』(前田允(ただし)訳。1999年7月、劇書房)には「小自伝」(1972年執筆)が含まれている。
実はベジャールさんの自伝Ⅰ、Ⅱのうち最初に読んだのがこの「小自伝」だった。
それには、生まれがコーカサスの村で、父はある王子の羊の群れの番人だったとある。
「エーッ!」と私は思った。どの年譜にも生まれはフランスのマルセイユとあるのに。
続いて作曲家ワグナーとの出会い、ワグナーの家で作家のノヴァーリスや画家のギュスターブ・モローなどに会ったことについて書いているのだが、そもそもワグナーは十九世紀末に死んだ人物だ。
そこで鈍な私もやっと気がつく。「これは想像の産物、内的なイメージの膨張なのだ」と。

実はこれこそがベジャールさんの創造エネルギーの根源であるらしい。
忠臣蔵を素材とした『ザ・カブキ』も現代の東京の街角の喧騒から始まっていた。
1987年に初演された『レニングラードの想い出』は、会うはずもないビョートル大帝、チャイコフスキー、レーニンが出会い、しかも皆ヴェルサーチの衣装だった。
彼にとってイメージこそが現実なのだ。
ある日、本拠地があるスイスの稽古場近くにあるアパートで山本常朝(じようちよう)の『葉隠』を読み、鉛筆で下線を引く。
「人は私が確かにアパートにいると思うだろう。だが、この記述は私にとって至極非現実的なものだ。現実にはアジアの仏寺の別棟にいて、山本常朝の草庵から出てきたところだ」(自伝Ⅱ 17ページ)。
因みに山本常朝は彼の「友人、兄弟、師」だという(同 15ページ)。
あるいは、オッフェンバックの『ホフマン物語』を上演した時は、ホフマンとしばしば「夕食を共にした。彼がそこにいたということに私は確信を持っている」(同 145ページ)。

つまり、ベジャールさんは今あることよりも、何かに成ることの方が重要なのだ。
自分が振付家を選んだことについてもこう述べている。
「演出家は、俳優よりも面白い。俳優は一つの役しか演じない。演出家は何にでもなれる」(自伝Ⅰ 24ページ)。
「振付をする時、私は男女両性になる」(同 248ページ)

私は舞踊のためだけに生きる、と言い切るベジャールさんは、メキシコのアステカの司祭たちの精神に同化するため「現実のあらゆる思考を排除し」その祭儀を自分のなかに再生するため、落日を浴びたアステカの神殿前で踊ることを願う。
あるいはエジプトの真昼のスフィンクスの前で。しかも「これらの場所では、知的であることも、教養があることも、何の役にも立たない」のだ(自伝Ⅰ 259ページ。傍点、加藤)

優れた創業経営者が常住坐臥経営について考えるように、ベジャールさんも常に創作の緊張のなかにある。
「緊張を感じていない時は病気だ。心から休みが欲しいと思う時は病気にかかっていた」という。
では、芸術のために私生活を犠牲にするのか?
「何も犠牲にすることはない。私生活を芸術のために犠牲にしていると思うのは、間違っている。実際は、私生活よりも芸術を選んだだけのことだ。自分で定めた目標を達成するためには必要なことをするだろう。
こういう行為のなかに私は苦行を感じない。欲しいものを得るためには代償を払わねばならない」

こうして、モーリス・ベジャールはドン・ジュアン(ファン)となる。
「われわれは近づきえない完全を求めていて、自分でもそれを自覚している。しかし、それでもまだそれをつかもうと馬鹿げた希望を抱いている。結局、創造者はドン・ジュアンだ。理想の女性など存在しないと知っているのに、探し続ける。追い求めることが同時に喜び、失望、新たな追求の動機になる」(『ベジャール 再生への変貌』122ページ。竜見知音(かずね)訳)
つまり、それは終わりのないドン・ジュアンである。それにピリオドを打つのは死だけだ。
「私のバレエは、死が私に語りかけるものを伝えているのだ」(自伝Ⅱ 101ページ)
音楽はテープではなく生演奏、指揮者や演奏家たちは舞台の踊り手たちを意識しながら演奏をして、音楽と舞台が影響しあい、しかも会場のどこかでベジャールさんが見つめている、そんなベジャール芸術との出会いを体験したいものだと切に願う。

文献『モーリス・ベジャール自伝 他者の人生のなかでの一瞬…』(前田允訳、1982年、劇書房)『モーリス・ベジャール回想録 誰の人生か?』(同訳。1999年7月、劇書房) 『ザ・カブキ』(新書館、1986年) 『ベジャール 再生への変貌』(竜見知音訳、東京音楽社、1990年)

 

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フリージャーナリスト・加藤勝美氏について

ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。

MK新聞への連載記事

1985年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1985年11月7日号~1995年9月10日号 「関西おんな智人抄」(204回連載)
1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)

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