自給自足の山里から【175】「平成の『八つ墓村』事件が、とうとう起こる」|MK新聞連載記事
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MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、縄文百姓の大森昌也さんらによる「自給自足の山里から」を、1998年12月16日~2016年6月1日まで連載しました。
MK新聞2013年9月16日号の掲載記事です。
大森昌也さんの執筆です。
平成の「八つ墓村」事件が、とうとう起こる
とうとう、恐れていた事が起こった。参議院選挙の7月21日から22日にかけて8軒14人の山村で、1軒の63歳の男が残り7軒のうち4軒5人(71~80歳)を、頭や顔を何度も殴打し、殺害した。
平成の「八つ墓村」事件(75年前、岡山で30人を2時間余で惨殺した「津山事件」)と騒がれる。
事件が起こったのは、中国山地の西、山口県。駅から車で1時間の山村。携帯は繋がらない、限界集落である。戦前は鉱山で栄え、戦後は林業、椎茸栽培。平家落人伝説が語り継がれる。
ちなみに、我が山村は中国山地の東、兵庫。車で駅から30分、携帯は繋がらない。戦前は鉱山、戦後は炭焼き、カイコ、牛飼い。平家落人伝説あり。50年前は40軒250人が居たが、元の住人は今では7軒8人である。
「よほど、いじめられたんやなぁ」
「よほど、いじめられた人やなぁ。村の者は、身勝手やからなぁ」と、近所の者は言う。恨みを晴らすかのような執拗な攻撃。警察にも、「いじめられている」と相談している。
マスコミは、「平成の八つ墓村」、「キルドとハイドの二面性を持つ男が、その残忍な一面で事件を起こした」、「平家落人伝説の“祟り”」などと書きたてる。ビートたけしは、「人数が少ないとドンドン煮詰まって、人の意見に同調しない奴は、爪弾きにされてしまう。小心者はグッと我慢。最後の最後に耐えきれなくなって、とんでもない行動をする」と分析する。
「二面性の男」「小心者」などと、個人の性格(らしきもの)に、事件の因を求め、委ねていくやり方は、今日の崩壊前夜の社会の姿、本質を覆い隠し、事故を慰め、これの責を問うことはない。
山村は瀕死。うばすて山である
今、列島日本の源の山村は、金の欲で山奥まで杉松が植林され、かつ放棄。巨大な黒い森の化け物となり、山村を襲う。都市活動による異常気象が、異常な集中豪雨を生み、山村は土石・倒木流によって飲み込まれる(今回の山口、秋田、岩手ら)。
50年ぶりに我が村を訪れた元教員は、「教え子がいて、よく訪れた。それはもう、羨ましく明るく、人々は親切で桃源郷のようだった。それが、これ! 何?! 暗く、人はいなくて、荒れて! 」と、ただただ、びっくり仰天!
山村されど都市である。棚田は杉松林になり、米作りせず、山にも入らず、生活ぶりは都市と変わらない。
「孫はトイレが臭いとか、虫が嫌いだとか寄りつかん。子は忙しいと帰って来ん。私でこの家も終わり」と老いし村人は嘆き、諦め、絶望。平穏に村と共に死んでいく事を望む。
子どものいない世界である。“大きな家に、おばあさんひとり”。研修にやってきたパプアニューギニアの青年は、ただ涙、涙す。
誰かが言ったが、「山村は、現代のうばすて山である」。
経済効率による都市化社会にあって、激変した山村の“風景”は人々の心の“風景”にも激変。絶望とともに、人と人の結び付きを弱くし、いつしか排除・差別の敵対様相すら帯びていく。そして、人としてわきまえる倫理なんか、どこかに飛んでいく。民主主義の多数決の名のもとに。
恨みを晴らした彼は、山で何を思う?
さて、63歳の彼は、中学を卒業して都会にでて職人として働く30年ぶりに親の看護で帰郷。激変した村にびっくり涙したか?
老いた村の者は「方言は忘れているし、田舎の人間とはまるで違う人間になっていた」なんて、人ごとのように言うが、自分たちの子も同じである。さらに、「都会帰りは生意気」と申す。
彼は村人に対し“田舎者”と揶揄・非難する。田舎・山村を出て、都会の論理思考がとりつき、悲劇が起こり、自己崩壊へ。
田舎・山村は、もともと、金・貨幣がなくても生活してきた。ないほうが、はるかに平穏で豊かなくらし。それが、金・貨幣によって、ごっそり人も物も風景も都市に持っていかれ、気付いたら金なくして生きられなくなり、都市と同じ排他的で差別的な自己本位の者になり、死の中に捨てられていく。
恨みをはらした? 彼は、数日間故郷の山に在った。その間、何を想う。籠の行商を営んでいた両親を想っていたであろう。また、敵を間違えたことを恨む? 「死刑」になっても村は蘇らない。
人としての倫理―山村の自然を子・孫らに!
祖先からの山村の自然・資源を守り育て、子・孫らに手渡していく、人として当然の生活上の倫理が、今、崩壊している。そして、今回の事件。起こるべくして起こった。
75年前は、中国侵略戦争の最中に起きる。かつてのように、さらに戦争は拡大・深化して自ら滅びていくことを予言しているのか。
私はこの30年、縄文百姓として、山村の再生に取り組む。放棄された棚田に水を入れ田にし、杉松の植えついた田を、一本一本切り倒し、畑・果樹園にしていく。山に入って炭焼きする。50年前の桃源郷にまでは、気の遠くなる作業である。
幸い、2人の子は同じ村で百姓。他に若い二家族も自立百姓を志す。若者9人に9人の幼い子と、娘たちと分校に通った子が帰り、赤ん坊を産み、10人の幼子の村に。「ここに希望がある」と5人の死者と63歳の彼に伝えたい。再び、こんな惨劇が起こらないために!
あ~す農場
兵庫県朝来市和田山町朝日767
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1998年12月16日号~2016年6月1日号
大森昌也さん他「自給自足の山里より」(208回連載)
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