自給自足の山里から【177】|MK新聞連載記事

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自給自足の山里から【177】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、縄文百姓の大森昌也さんらによる「自給自足の山里から」を、1998年12月16日~2016年6月1日まで連載しました。
MK新聞2013年11月1日号の掲載記事です。

大森昌也さんの執筆です。

都会から捨てられた猫、空家に住み子を残す

秋、収穫・実りの季節。真夏を思わせる暑さ。トマト、ゴーヤ、とうがんらが例年にない出来栄え。今だに収穫できる。体もこれらの野菜を求めるが、変な感じ。
台風26号の来る前に、四家族での結いで大方の稲刈り、脱穀を済ます。
稲刈りしていると、いつもひょっこりノラ猫がやってくる。この初夏、都会から捨てられた猫で、ブクブクふとり、モタモタして、「ここで生きていけるだろうか」と息子のげんは心配していたが、どっこい、今ではスリムになり、キビン。稲刈った田をとびはねるイナゴを追いかけ食べている。空家に住む。
赤い柿をくわえて、黒いカラスが、青い空。やがて、カァ~カァ~と一群。あっという間に、柿たちやられる。
秋の夕暮れは早い。夕闇を、キーン・キーンと鹿、コーン・コーンとキツネら、つきやぶる。
息子のケンタ家の猫が、子を産む。もっぱらノラ子とのうわさ。空家に住み、子孫を残す。都会を追われたが、人間と共存し自立して生き、「山村の再生を!」願うノラである。

「帝銀事件」平沢元死刑囚の養子・武彦さん死去

秋の夕暮れとともに、外での百姓仕事を終え、家に入る。電話が鳴る。「新聞読んだ?」と妹。「うちは、新聞とってない」と言うと、「武彦さんが、昨日(10月1日)」死んだ」と。「えっ!」と、もうびっくり。
武彦さんとは、平沢(森川)武彦君のこと。彼は、犠牲者12人の戦後最大の大量毒殺数の帝銀事件(注)で、犯人とされた平沢貞道さん(享年95歳)の養子である。再審請求人である。
マスコミは伝える。「『帝銀事件』平沢元死刑囚の養子、武彦さん死亡か、自宅で病死か」の見出しで「知人が、武彦さん(54)と数週間連絡がとれなかったため、警視庁杉並署員と武彦さんの自宅を訪れ、寝室のベッド脇で死亡している男性を見つけた。死後数週間が経過していると見られる。武彦さんは一人暮らし」(読売)、「養子の武彦さんの死亡が確認されると、再審請求の継続は難しくなる見通しです」(TBS)と。

「私は『迷惑な養子』」と自嘲

武彦さんは、昨年2月28日、睡眠薬や抗うつ剤300錠を飲んで、救急車で運ばれたことがあり、心配していた。若干のカンパや我が農場の生産物を送って、励ます。
昨12月には、お母さんの澄子さん(87)が亡くなったと、武彦さんから電報届く。
以来、一人暮らし。月1度位電話あり。娘たちも電話に出る。「とにかく、よく体を動かし、元気になったら遊びに来て」と話す。
秋、百姓は忙しく、電話ないのは元気な証拠なんて、勝手に思っていた。残念、無念である。
武彦さんは「私は『迷惑な養子』なのです」と自嘲しながら語る。
「私を支えた源は、数少ない平沢の親族の温かい励まし。しかし、現実は、遺族の大半がこの救援運動を迷惑がっていたのです。ある親族からの『何か目的があるんじゃないの』とか、『今後一切かかわりを持たないでくれ』とまで言われました。よかれと思っていた私の思いは、空回りしたのです。」
「人生に後悔しているの?」の質問に…。
「とんでもない。平沢の思い、父の思い、この理不尽な事件が権力で間に葬られたらたまらない。私が米寿の時、帝銀事件百周年です。がんばりますよ。結婚だって、諦めていません」(取材、小林俊之)と。
平沢貞道さんの6人の子どもは、嫌がらせ、迫害を避けるため籍を抜く。貞道さんの死後も「再審」請求のため、武彦さんは養子になり、今第19次請求。25年間続けてきた。
また、武彦さんは画家としての平沢貞道さんの「再審」を行ってきた。貞道さんは、日本画家の大家の横山大観に師事し、「大瞕」の雅号を授けられた画家である。ところが、「平沢という男は知らぬ」と、画家としての「死刑」宣告す。全国をとびまわって、死刑囚ということで表に出ない作品を探して、展示会など開く。獄中でも描く。その2枚が私の手元にある。

「平沢貞道さんを救う会」を結成した森川哲郎さん

武彦さんの父親は新聞記者・作家の森川哲郎さん(故人)。私の母とは満州(中国北東部)で出会う。母は、「森川さんのお父さんはハルピンで日本人会の代表で引き上げ行動していたが、中共軍によって、言われなき罪で逮捕され、公開処刑にされたという。
森川さんは、父親のえん罪のこともあり、取材のなか、平沢さんの無実を確信。62年に、「平沢貞道さんを救う会」を結成。自民党大野副総裁、松本清張、大島渚らも会員だった。
哲郎さんの母親の初野さんは、私の母に「もう哲郎は金にならんことばかりして」とこぼしていたという。
森川さんは、貞道さんが有罪の決め手となった自白調書が検事による偽造、さらに、真犯人は千葉県下ですでに死亡した医師で、人相といい、筆跡といい、犯人そっくり、など明らかにする。が、権力は。65年3月、再審査請求の証人に、偽証を強要したとして逮捕し、1年半の実刑を下す。裁判史上にない、全くの証拠も何もない「魔女狩り」である。82年12月に死去。武彦さんが、貞道さんの養子になるとの決意を知り、「布団をかぶり、号泣した」哲郎さんは、今、何思う。

(注)今から65年前、1948年1月、東京豊島区の帝国銀行で防疫班員を装った男が、役員16名に青酸化合物を飲ませ、12名殺す。犯人は、現金を持ち去り、逃げる。7ヵ月後、画家の平沢貞道さんが逮捕される。無実を訴えながら、87年、八王寺医療刑務所で亡くなる。獄死から今年で25年。

 

あ~す農場

兵庫県朝来市和田山町朝日767

 

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MK新聞への「あ~す農場」の連載記事

1998年12月16日号~2016年6月1日号
大森昌也さん他「自給自足の山里より」(208回連載)

2017年1月1日号~2022年12月1日号
大森梨沙子さん「葉根たより」(72回連載)

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