自給自足の山里から【128】「時は弥生、暮らしは縄文」|MK新聞連載記事

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自給自足の山里から【128】「時は弥生、暮らしは縄文」|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、縄文百姓の大森昌也さんらによる「自給自足の山里から」を、1998年12月16日~2016年6月1日まで連載しました。
MK新聞2009年9月16日号の掲載記事です。

大森昌也さんの執筆です。

時は弥生、暮らしは縄文

なんとも因果なこと

梅雨明けが8月にずれこみ、あっという間に秋の風が吹く。軽やかに揺れる稲穂。実りが心配。山の栗・柿らも不安気である。
雨が降り続き、床下まで土砂、農場内も6ヵ所崩れ、我が下戸部落の道も7ヵ所崩れる。
古老は「杉桧を植えろといたるところに植えた。けど放置。山は荒れ、土石流が村や町を襲う。なんとも因果なことよ」とおっしゃる。
人間の成ったこと、ただただおそれ、おののく以外にないのだろうか。
来訪中の「百姓体験居候」たちと、体験のひとつとして、崩れた石垣を組み直す。若者に手本を示し、やらせるが、ちっと触るだけで崩れる。結局、私ひとりで重い石を動かして組む。大小の石が互いに組み合っている姿は美しい。
山村では、いたるところに、見事な美しい石垣を拝見。一方で無残に崩れた姿も。古の人は、どんな感慨でいることだろう。

身勝手、わがままな人

友人らから、「猪鹿だけでなく、土石流に襲われる所やから、皆んなやっていけんで、出ていったんや。もう、ええかげんで、そんなところ出な。苦労多くて報いなしや」とか「大森のすぐ近くでヘリコプター落ちたけど、この便利な現代でもなかなか見つからなかった。それだけ、森林は密林になっているんや。人々は、山に、なんの価値もないとあきらめている。森林と心中せんでもええやろ」とも。
また、「“よみがえる限界集落”(朝日新聞2006・12・31)なんておだてられているが、今の時代どうあがいても山村の再生、再興なんて無理、夢や。分校再開したり、道をよくしたり、被害のごとに直したり、全くの税金のムダ遣い。田舎暮らしはええかもしれんが、身勝手なわがまま」と散々である。
なんでも、ロシアのベラルーシ共和国のベトカに放射能に汚染され、「住んではいけない村」があるが、そこに国の指示に従わず残って生活している者は「サマショール(わがままな人)と言われているという。

時は弥生、暮らしは縄文

そんなわがままな私は、縄文百姓と称している。京都の仲尾宏(大学職員)さんから、「水田耕作、金属器使用は、弥生の典型ではないでしょうか」との便り(小言)が届く。
全くおっしゃるとおり。でも私の住む「但馬(兵庫北部)の弥生遺跡から、大量のカキやシジミの貝殻、鹿猪の獣骨、黒ダイの魚等の遺物が出る。『時は弥生、暮らしは縄文』という構図が浮かび上ってくる」(兵庫県史)。
『時は現代、暮らしは縄文』というわけにはいかないが、但馬の山村に四半世紀暮らし百姓やってきて、縄文は息づいていると感じる。

さて、農場の前の水田は、不耕作でお米作っている。石包丁は使ってないが、鎌と鍬の農作業。鹿猪を狩猟し、蜂蜜、山菜、山の実など採集し、ヨキ、ノコで木切り割、炭やき薪づくりし、カマドを使う。
豚山羊鶏たちがいて、豚糞でバイオガス、脱原発の水力発電の電灯、テレビはある。奈良本英佑(大学教授)さんは、「おもしろい生活をされていますね」とおっしゃる。
朝夕の太陽、夜の月、星々、山々の神々に日々感謝し、ほっとする世界がある。
「もう地獄の入口の門が、ギギギと音を立てて開き始めているような実感がある」「国家にも人の絆にも頼ることのない覚悟を決めなければならない」(五木寛之さん)時代。画家の岡本太郎さん、哲学者の梅原猛さんの感性、思想を活かす縄文百姓に幸あれ!

山村のブラク(被差別部落)に学ぶ

私は、山村のブラク(被差別部落)のお年寄りから縄文百姓を学んだ。縄文遺跡の村。
青春を賭けての都市、労働への疑問から、「機械労働に依らないで、自給自足の暮らしをしたい」と山村に移住。鎌と鍬だけで水田作り、ワラビ・ゼンマイ・シイタケ・松茸ら採り、川で魚、山で鹿猪狩猟し、鋸と鎌使い、竹とツルで山羊小屋作りなど教えられる。
“ブラクの民は、農業できるほどの農地占有せず「学問」上では、農民にも労働者にも分類”されず『雑の者』と。雑の者こそ百姓!
「この列島に住みついた祖先の信仰・価値観がブラクに凝縮」(横井清さん)を知る。

ホームスクーリング

「山村の生活は狭く、豊かさを欠いている。向上心がない」から、「生きがいを育てる学力」を育てる学校教育がされてきた。結果、山村から若者出て、都会栄え山村は滅びゆく。
山村の生活は、広大な山々に抱かれ、豊かな自然の恵みに満ち、日々、年々いわばまあ同じことの繰り返しに、感謝の念こそ“生きがい”。
今、我が農場を訪ねる若者たちは、幼い頃からの学校教育によって、都市・労働礼讃を洗脳され、家庭・学校・職場でいじめられ、心身ともにキズつき病んでいる。対症療法で治る様子はない。根底からの療法が求められている。
京セラの稲盛さんは、「生活態度を一変し、経済至上主義を捨てるべき」と言う。さしずめ今日の生活、経済至上主義を生み育てた学校教育そのものを捨て去る必要がある。捨て去った後に未来があると言えるのでは。

我が孫のつくし(5歳)は、ホームスクーリング・アンスクーリングファミリーを志す。
母親のりさ子は「私が以前から感じていた不自然さは、その通りなのだ。子と自らの感性を信じてやりきっていいのだと親がふっきれると子どももイキイキし、家事からのら仕事を助け合い、尊重し合えるようになってきた」と言う。

あ~す農場

〒669-5238

兵庫県朝来市和田山町朝日767

 

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MK新聞への「あ~す農場」の連載記事

1998年12月16日号~2016年6月1日号
大森昌也さん他「自給自足の山里より」(208回連載)

2017年1月1日号~2022年12月1日号
大森梨沙子さん「葉根たより」(72回連載)

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