自給自足の山里から【114】「各地の集いに招かれて」|MK新聞連載記事

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自給自足の山里から【114】「各地の集いに招かれて」|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、縄文百姓の大森昌也さんらによる「自給自足の山里から」を、1998年12月16日~2016年6月1日まで連載しました。
MK新聞2008年6月16日号の掲載記事です。

大森昌也さんの執筆です。

各地の集いに招かれて

MKに乗って読むのが楽しみ!

「大森さん、京都のクサカベといいます。MKタクシーに乗って、“自給自足の山里から”読むのを楽しみにしています。一度、集いをしたいので“話”をしてください」と電話がある。
山村の樹々は、新緑鮮やかで目を洗う。稲の苗も緑を濃くし、大きく育っていく。小川から山水を竹の樋(とい)でひいて、畦草を鎌で刈り、鍬で田の土をねって畦ぬりし水のもらない水田を一枚一枚創(つく)っていく。
我が朝日地区で米作りしているのは、あ~す農場、あさって農園、ぼちぼち、ユキトの四軒と他二軒。
移住した二十二年前は十三軒が作っていた。この間の激変にがく(・・)然。放棄された田を小作する。三十三枚の田で一町歩余で米作り。私たち四軒で三反くらいずつ管理している。いずれにせよ、放棄される田の方が多く、“山が迫りおそってくる”(鹿・猪らも)日々を実感する。

総出で手植えの田植え

さて、田植えは四家族での共同作業である。四軒大人八人(ちえはメキシコ)と「百姓体験居候」(三~七人)と、土日には都会から助っ人おじゃま虫さんらでにぎやか。
もっとも翌日は、プカプカ浮いた苗や首までつかり苦しげな苗たちでにぎやかな(?)田んぼである。植える時より流れ、見捨てられ、抑えつけられた苗を見ての植え直しは、手間とともに心身ともにこたえる。かつて、村の古老は「大森さん、都会のあの人ら早うあがってもらいねェ」と強く忠告されたものである。
私が移住した頃は、まだまわりでは手植えしていた。近在のおばあさんは、「なつかしいねェ」と嘆声をあげつつも、若者たちの手つきを凝視し苦笑い。
「国民総幸福」を提唱するブータンでは、今もみな手植えである。今世紀初の独立を闘いとった東ティモールでも村人総出で手植えやっていた。手植えを放棄した頃から、アメリカ・中国の食料植民地化はすすんだよう。
今、この但馬(たじま)で、自給自足を軸にした百姓家族は十指に余り、互いにネットワーク結んで手植えをしている。この芽が育つことを願う。
先に「集いへの招待」の電話があったが、私のつたない「にわか百姓四半世紀の経験」の話を聞きたいと申し出があり、二月には隣の一宮市で、三月には群馬の“ゆいの家”、四月は京都夜久野のあらせ宅で各々十五~三十名の集いがあった。

さて、その“話”であるが

まず、自給自足の「あ~す農場の実際」――農場外から入るのは、軽トラ等のガス代等と、電気・プロパン・家畜のエサ(JAからくず小麦)等で。農場内で電気・ガスも半分くらいは水力発電・バイオガスでまかない。
米・野菜・卵・パン・炭などつくり、余ったものを外(都会消費者)に分けて、ガソリン代など必要な現金を得る。有畜複合循環型の農で自給自足自立。
次いで「なぜ、山村・山里で自給自足?」――山国日本の源山村が滅びゆくことは、日本が滅びゆくこと。山村を再生させ、この崩壊前夜の日本を再生。それは、金、補助金や都会行政頼みではなく、自給自足・自立した百姓の手による。
また「なぜ、縄文百姓なのか?」――二十四年前、山村の被差別部落で八十歳のQさんに百姓学ぶ。その地に縄文遺跡あり、縄文以来続く百姓=縄文百姓を知る。この縄文百姓こそ自給自足自立の百姓である。
さらに、「親父の背中を見て育つ子たち」――私は、日々、田畑山で汗と泥にまみれて米野菜作り、炭・パン焼き、大工石工し、鶏豚山羊蜜蜂飼い、バイオ・水力発電に挑戦。子たちは、分校(小学四年。五・六年は冬期)には行くが、ほとんど学校に行かない。自分の出来ることを手伝い、百姓仕事は、上の子から下に伝わる。失敗、ケガしつつ、生きものの生死を日常的に接し、感じてヒトとして育つ。六人の子は、皆、この山村に残り、独立・自立し、協同してムラづくり。
都会では、親父の背中を見て子は育てられない。また、機械化農業(たとえ有機農業でも)では無理である。
私の“話”を聞いて、「自分の生き方を問われ考えさせられた」の感想、また、来訪する人もあり、夜久野の村の営農組合の方がバス一台で五月三十一日来訪される。

ああ!顔つきが変わった

都会から「百姓体験居候」の若者の来訪が絶えない。今、農場には、河野(38)、大輔(25)をはじめ、晃平(25)、西村(26)、川上(18)、ひかる(19)君らがいる。先日まで理津子(21)、竹子(30)さんらがいた。彼・彼女らはフリーター・ハケン・無職・大学休学・野宿者などである。
来訪した時、身も心も重く、表情・有様に「絶望」をただよわせる。私は、涙を禁じえない。大人としての責任を深く感じる。農場を仕切るのはあい・れい(18)である。「ああ! 疲れる! 嫌!」と愚痴る娘たちとケンカもある。
「それにしても、たくさんの若者が来て、食費も宿泊代もとらんと大丈夫?」とよく聞かれる。「まあ、出世払い」とにごす。でも山村の恵みはすごい。春は山菜がどっさり! 鶏たちも卵を産む。採ってきたもので料理して食べ、汗と泥にまみれての疲れを、五右ェ門風呂でいやし、カエルの鳴き声聞きながら寝る。一週間もすると、身も心も軽くなって、顔の表情、身体(からだ)つきも変わる。
「ああ! 顔つきが変わった! いい感じに! やはり、都会の食べ物、生活ストレスはひどいのやなぁ」と、愚痴っていたあいはうれしそう。(六月三日)

 

あ~す農場

〒669-5238

兵庫県朝来市和田山町朝日767

 

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MK新聞への「あ~す農場」の連載記事

1998年12月16日号~2016年6月1日号
大森昌也さん他「自給自足の山里より」(208回連載)

2017年1月1日号~2022年12月1日号
大森梨沙子さん「葉根たより」(72回連載)

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