自給自足の山里から【99】「『お尻』は『切る』―東ティモール報告」|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、縄文百姓の大森昌也さんらによる「自給自足の山里から」を、1998年12月16日~2016年6月1日まで連載しました。
MK新聞2007年3月16日号の掲載記事です。
大森ちえさんの執筆です。
「お尻」は「切る」―東ティモール報告
今年の山村の春は早い。ふきのとうは、頼りなく黄色の花咲かせ、畑には、戸惑う白菜・人参・大根・蕪(かぶ)・三つ葉ら、田んぼは、草々緑濃く、白・紫・赤などの花混ぜ微笑む。梅の花咲き、桜芽吹く。ニワトリ・アイガモたちも茶・白の卵を産み出す。狙うのは黒いカラス。
それにしても、みんなもうひとつ元気がない。春の息吹きが感じられない。例年のような雪のない山々は、生命を育む恵みの水が少なくなり、山村に生きるものへの不安を抱かせる。
本(注①)・新聞(注②)を読んで、来訪者続く。テレビ朝日、『フェネック』(雑誌)等の取材もある。3月4日には、フジテレビで、昼「我ら百姓家族・5」が放映される。
あい・れい(17歳双子)が応接に追われる。
皆さんは、自分の健康が気になっても、山国日本の源・山村の健康状態にはあまり関心がない。「65歳以上人口が50%を超え、社会的共同生活の維持が困難とされる『限界集落』が、兵庫県内で二百ヵ所に上る」と神戸新聞は伝える。我が朝日地区も、この二十年で、戸数・人口ともに半減する。
今、我ら新住民が、村の人口の半数(十五人)を超す。また、旧住民の半数以上が八十歳超す。
2月9日に、げん(24)・りさ子(26)に、第二子が生まれ、つくし(2)は兄となる。
ケンタ(27)・好美(24)に、第一子が、2月15日に誕生す。ともに男子。大森家は、12人になった。
「私のいない間に二人も生まれた」と言うちえ(20)は、昨春“暴動”が起きた東ティモールに、2月4日から二週間行く。以下はその報告である。
大きさは、四国くらい、人口100万人、赤道近く亜熱帯、日本と同じ緯度で時差ない。
現地固有の言語テトウン語で「太陽(ロロ)が昇ってくる(サエ)ティモール」東ティモールに行った。
強い風と日射しの首都ディリ空港に降り立つ。お父さん・ケンタ兄貴が行った昨春二月にはなかった難民キャンプが広がる。ただ見ることしかできない。
雨が降ると衛生状態が悪くなるという。東ティモール日本文化センターの高橋さんが出迎えてくれた。
その日の夕食は、パパイヤの花・葉の料理だった。初めて食べる。少し苦い。パパイヤはマラリアに効くという。苦ければ苦いほど良い。
次の日朝早く出発し、第二の都市バウカウ(水の街)へ、海沿いを車は走る。村を走ると村人が手を振る、子どもたちも笑顔で手を振る。風が心地いい。
初めて見る風景に心はおどるが、山側の木々はポツリポツリで赤い肌が見える。フィリピンで見たハゲ山を思い出していた。十時頃着く。
市場では、キャベツやトマト、カンクウなどなど。赤いバナナは大きく、ひとつ食べれば、お腹いっぱいだ!
ディリと全く違って緑多く、豊かなところだと思った。水の街というだけある。政治危機により15万人が難民になった。半数の人々が地方に帰ったためバウカウの人口も4万5千人から6万人となった。新しい家を建てる姿も見られる。
バウカウから山の方へ、ビケケ方面への途中、トウモロコシと落花生の産地を通り山道を行く。道沿いに自然のように畑がある。本当に自然農法と呼べる。動物も人も自然だった。心が豊かになっていく。
バウカウから二時間でロイフーに着く。キャッサバ農園を見る。キャッサバ以外に二十種類ほどの野菜などが混作。畑を案内してくれるのはいいが、みんな、野菜の中にすぐ消える。これはすごい! ゲリラたちはこうやって戦ってきたのだろうと思った。
私たちが泊まるところの前に険しい山がある。そこでゲリラは戦っていたと聞く。
ロイフーへの途中、1942年から45年の三年半、日本軍が占領したときに作ったという防空壕があった。穴は深く、広かった。日本が侵略した証拠である。
宿をお世話になった家で、朝食べたキャッサバで作ったケーキとプリンはおいしかった! 初めて、ティモールの台所に立った。キャッサバは収穫して五日で傷むので乾燥させている。
それを棒でたたき、粉にする。石を三つ置いただけのかまどにフライパンを置き、焼いて、チヂミとあげ菓子を作った。子どもとおばあさんが食べてくれた。よかった、ほっとした。
別れてバウカウに戻る途中、水田が広がる。高橋さんは、前に来た時よりどんどん回復していると言う。アメリカがベトナム戦争で使った兵器を援助し、それでインドネシアは、1975年11月27日独立宣言したわずか10日後、12月7日に軍事侵略した。24年後撤退の時、水路など破壊していった。
田んぼの畦を作っている少年たち、水牛(カラティモール)を追い水田にしていく姿は、すごい迫力だった。山村に人がいるということは、こういうことなんだと初めて知った。
昼食に、魚がおいしい店に行く。テトウン語で、魚は、トラブルメーカーと言う。これはすぐ覚えた(笑い)。孤児院に泊まり、食事にへちまを切っていると、日本語で何と言うのと聞かれ「切る」と答えると、大笑い! 後で聞くと、テトウン語で「おしり」。魚は何と言うのと聞かれ、ちょっと考えたけど「魚」と答えた。ほら、大笑い!
空から滝のような雨が降り、大地を打つ。子どもたちが雨の中を走り回る。笑いがいっぱい。雨が降ると自然と、人の表情を豊かにする。ここは、今は雨期なのに、二ヵ月も雨が降ってなかった。世界人口の二割の先進国民が八割超えるエネルギーを消費していると本で読んだことがある。他国からエネルギーだけでなく雨まで奪っている私たち。そんな暮らしを豊かだと思わない。(つづく)
注①『自給自足の山里から』大森昌也著(北斗出版/税込1,680円)
注②朝日新聞(2006年12月31日朝刊「環境ルネサンス『よみがえる限界集落』」)
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