自給自足の山里から【87】「東ティモールへ」|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、縄文百姓の大森昌也さんらによる「自給自足の山里から」を、1998年12月16日~2016年6月1日まで連載しました。
MK新聞2006年3月16日号の掲載記事です。
大森昌也さんの執筆です。
東ティモールへ
そこは、暑い国だった。大雪に覆われ寒い山村から、翌日は、別世界に立つ。
2月12日昼、東ティモールである。日本とほぼ同じ経度で、赤道近くの熱帯。ティモールとは、現地固有の言語テトゥン語で、日本と同じ、「日出る国」の意味で、四国の大きさに、100万人近い人々が暮らす。
首都デリー空港には、東ティモール日本文化センターの高橋さん、タウル・マタン・ハアク東ティモール民族解放・自衛軍総司令官の出迎えを受け、同行のケンタ(26)とともに熱い握手。
ケンタは、十五歳の時、ネパールに行ったことがあるが、私は、飛行機に乗って海を渡るのは初めて。こわくて、もう乗りたくない。縄文百姓としては、小さな帆船で潮流に乗ってゆっくり行きたかった(笑い)。
さて、今回の訪問の目的は、東ティモールの新しい国づくりの基ともいうべき“農業プロジェクト”の視察である。
早速、司令官の車、私たちの車、そして、警護の車を連ねて、目的地サメ地方に向かう。日本が舗装したという道路を過ぎると、ガタガタの土道である。途中、側溝に落ちたトラックが立往生している。
すぐ司令官は車を降り、私たちも一緒になってトラックを押し、道に戻す。皆で歓声の笑顔に大衆の信頼を感じる。行き交うのは、人と荷物満載の小さな乗合トラックか、人の乗ったロバ、ゆっくり歩く人々である。村々の人々は、笑顔で手を振り声を上げる。
山間を行く車窓からの景色は、緑豊かで美しい。日本アルプス、長野の山々と錯覚するほどである。車を運転する元ゲリラ戦士は、盛んに「映画サムライ観た!日本と同じ!」と言う。
緑の中に、赤・白・黄・紫などの花が鮮やかである。胸を心をなごませる。点在する草ぶき屋根と、トタン屋根(サビているのが、なんともわびしい!)の家々の前には、多くの幼い子たち、赤ん坊抱いた女性らがいる。
まわりには、豚(といっても黒く小さく、猪に近い野豚)、山羊(これまた小さく、屋久島山羊と同じ)、鶏(ニワトリというよりチャボ)、牛(小さめで茶色)、犬たちが、子連れで、ゆっくりと草など食べている。パパイヤ、ココナツ、ヤシ、マンゴー、バナナなどの木の実が実り、畑には、とうもろこし、豆、イモ類が植わっている。棚田では、大勢の人たちが田植えをしていた。
それはもう、のんびり、ゆったりした風景である。どこでゲリラ戦が行われたのかと思う。が、かのゲリラ戦士は、前方の高い山を示し、「あの辺りで、インドネシア軍を迎え撃った」と言う。
1975年、東ティモール民主共和国として500年近いポルトガル植民地から独立。ところが十日後に、アメリカの了解の下、国際法無視して、突如インドネシアが軍事侵略し、一日で全土占領する。
以来、圧倒的な人々の支持の下、山岳地帯に拠点を起き、独立に向けゲリラ闘争を展開する。
2002年の5月の完全独立の日までに、70万人のうち20万人以上の人々が虐殺され、国土の八割が破壊される。
ひょんなことで、インドネシアの青年と話すことがあった。彼は「たくさんの経済援助したのに、裏切られた」と言う。
そばで聞いていた日本人は「すれ違いがあった」と言う。どうも、侵略した側の者は、相手のことを理解出来ないようである。
日本は、この侵略したインドネシアのスハルト軍事政権を支持し、経済援助。いわば、侵略のスポンサーだった。
また、第二次大戦中は、三年半、直接占領した。これらの事実を忘れてはならない。自らの誤りを反省し糺すことである。
さて、圧倒的なインドネシア軍の前に、かつて16世紀から1912年までポルトガルに抵抗し続けてきた“誇り”を持ち闘うゲリラは、1980年頃には全滅したと思われていた。しかし、140~50人が闘い続けていた。そのゲリラを支持・支援し続けてきた日本人たちがいた。先の高橋さんらである。誇り得ることである。
ゲリラは、困難な中、今世紀初頭に勝利した。しかし、真の困難は、これからの新しい国づくりである。
幼い子たちの輝く目が忘れられない。そこに明日を見たい。石油とか大国に依らず、自国の自然・人々に依って、豊かな国づくりを志す。私たち、あ~す農場の何が役立つか?(続く)
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1998年12月16日号~2016年6月1日号
大森昌也さん他「自給自足の山里より」(208回連載)
2017年1月1日号~2022年12月1日号
大森梨沙子さん「葉根たより」(72回連載)