エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【394】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めてくらしたい」を前身を1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2021年2月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めて暮らしたい
コロナ禍で、政府が感染拡大防止を呼びかけた「勝負の三週間」とか、緊急事態が再び宣言されてメディアが「試練の一か月」とか「がまんの一か月」とか、キャッチフレーズを掲げるけれど、「勝負」って何?
国民に具体的に何をどうしろと言ってるのか? 「対策の徹底」?
もう、半年以上やってるよ!
ところで、落語「つぼ算」にこんな場面がある。
つぼを買いに来た主人公が店主に「なんぼにしてくれる?」と売り値を聞く。店主が答える。
「このあたり、軒なみ同じ商売ですし、朝商いのことですし、せいぜい勉強して、うんと安うして、三円五十銭が一文もまかりまへん」と。
すると、主人公が返して言う。
「ほな、軒なみ同じ商売やのうて、朝商いやのうて、せいぜい勉強せんと、うんと安うせんかったら、なんぼ?」
店主はやはり「へぇ、三円五十銭が一文もまかりまへん」と。
政府は、勝負の三週間と、勝負の三週間じゃない時と、どこか違っていたのだろうか。
私たちの日常生活でも、食料品店に行くと、こんな商品名のおそうざいが並んでいる。
「こだわりたまごのカニ玉」に「あじわいひれかつ」。
しかし、「こだわり」って、何にこだわっているのかが不明だ。新鮮さか、安全性か、鶏の飼育法か。あるいは、どうして「ひれかつ」ではなく「あじわいひれかつ」なのかの説明がない。
きっと、これらおそうざいの料金には「こだわり」「あじわい」といった、盛った言葉の代金が含まれているのだろう。
私はこういう言葉の機能をすべて否定しようというわけではない。
例えば、暑い夏、居酒屋に入って「とりあえず、びんビール」と注文する。
おかみさんが奥の厨房に向かって「はい! ビール、びんで、一番冷えてるとこ持ってきてや!」と大きな声で通す。
同じ冷蔵庫に入っているのだから、どのビールも同じ温度だろうに、とはつっこまない。
おかみさんの心意気が伝わるその言葉が爽快だ。
メディアは、いたずらに恐怖を煽ったり、見解の異なる立場の人を対立させたり、個別の不幸に感情的に寄り添ってみせたり、結果論で政府を批判したり、まるでコロナ禍を囃し立てて騒いでいるように見える。
人の接触、接触をもたらす移動が、感染拡大の基本的な要因なのに、よりによってゴートゥートラベル、ゴートゥーイートというストライクゾーンに向かってなぜかドヤ顔で突き進んだ政府はもはや狂気の沙汰。
経済施策なら他に無限にあるだろうに。アベノマスクにいたっては論外だ。
中身のない言葉をいくら盛っても信頼などされやしない。
信頼されなきゃ、何をやっても非難されるだけだろう。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)