エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【383】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2020年3月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めて暮らしたい
当欄で少し前に、名言集の類を編集の仕方によって分類し、いくつかご紹介した。で、今回は定義集について。
「定義」を辞書で引くと、「ある概念やある語の意味を、他と区別できるように明確に限定すること。また、その限定された内容や意味」(明鏡国語辞典)とある。
したがって、「幸福とは○○である」や「時間とは××である」のように、哲学者や文学者が、物事の本質を見極めたり定義を試みたりすることも多く、その一部が名言集に集録されることもあり、定義と名言はどこか重なるところもある。
『幸福論』で有名な哲学者アランの著書で、死後に遺稿をまとめた『定義集』(森有正訳はみすず書房、神谷幹夫訳は岩波文庫)がある。
例えば「祈り」の項の一部を引用すると、「祈りによって私は、自分が何を望んでいるかを知り、そして自分が望んでいるものを裁く」(森訳)とある。つまり、祈ることそのものに、自らを省みるという良い効果があると彼は指摘する。
筑摩書房『定義集 ちくま哲学の森別巻』は、定義というより、むしろ古今東西の書物から長短多彩な名文を豊富に集めて(約六百ページ!)、五十音順の見出し語のもとに配列したもの。
同じ「祈り」の項目から二つを紹介する。
「神よ、変えることのできないものを受けいれる潔さ、変えることのできるものを変える勇気、そして両者の違いを見分ける知恵を、私たちにお与えください」(R・ニーバー)
「祈りは歌のように神聖で、救いとなる。祈りは信頼であり、確認である。ほんとうに祈るものは、願いはしない。ただ、自分の境遇と苦しみを語るだけである。小さい子供が歌うように、悩みと感謝を口ずさむのである」(ヘッセ「放浪」)
それを傾聴してくれるのが神や仏ということなのだろう。
また、「定義」の定義からすると、辞典や事典なども、あるいは定義集だと言えなくもない。
文筆家アンブローズ・ビアスによる辛辣に定義した単語を収めたのが『悪魔の辞典』(角川文庫、岩波文庫ほか)。
彼によると「祈り」とは、「取るに足らないことが明々白々なたった一人の嘆願者のために、宇宙の全法則を破棄してくれるように頼む」(弓書房版)ことである、と少々手厳しい。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)