エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【371】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【371】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2019年3月1日号の掲載記事です。

 

本だけ眺めて暮らしたい

テレビの街頭インタビューで、男女二人連れにリポーターが「少しお時間をいただけますか。失礼ですが、お二人のご関係は?」と声をかけた。
すると、男性が「恋人になります」と言った。
奇妙な「になります」の新しい採集例は別にして、最近気になるのは、「ていきます」だ。

テレビの料理番組などで連発する人がいる。
例えば、「まいたけを細かく刻んでいきます。これを冷ましてからお肉と混ぜていきます。ここにハンバーグの材料を入れていきます。風味付けにおしょうゆも入れていきます」という具合。
概して「ていきます」の人は「てあげる」を使う確率も高いようだ。
「最後にチーズをのせてあげて、オーブンで焼いていきます」と。
調理を進めながらの説明だから「ていきます」と言いたい気分はわからないでもないが、動詞ごとにことごとく「ていきます」を付けられたら、さすがにうるさい。
「刻みます」「混ぜます」「入れます」でいいのに、「ていき」の三音をわざわざ加えるのは、「チーズをのせて」でいいのに「チーズをのせてあげて」、「恋人です」でいいのに「恋人になります」と言うのと同じパターンで、言葉を引き延ばすことによって丁寧度が増しているような気になるのだろう。
あるいは、無用な音のクッションであたりをやわらかくしようとしているのかもしれない。

一方で、逆に言葉を省略した言いまわしで最近非常によく耳にするのが「思っていて」だ。
例えば「私は……について……と思っていて、……を……に」というように話を続けていく。
このような場合、これまでは「と思っているのですが」とか「思っています。なので、」あるいは「思っています。しかし、」というように言うのが一般的だったように思うのだが。

言葉の切れ目ごとに語尾の音程をあげる不思議な話し方が一時期流行ったことがあったが、今ではあまり聞かれなくなった。これら今どきの言いまわしもそのうち耳にしなくなるのだろうか。
それとも、あたりまえのものとして定着するのだろうか。ら抜け言葉のように(でもテレビの字幕では訂正される!)。
ところで、自分の言葉にうなずきながら話す人がたまにいる。
「でも、うん、言葉は生き物だから変化して当然なんじゃないかな、うん、正しいとか間違いとか、うん、ないと思うんですよね、うん」

 

MK新聞について

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

ホームページからも最新号、バックナンバーを閲覧可能です。

 

MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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