エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【370】|MK新聞連載記事

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エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【370】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2019年2月1日号の掲載記事です。

本だけ眺めて暮らしたい

居間の本棚に『安部公房全集』と田川建三訳『新約聖書 訳と註』が少し離れて並んでいる。
たまたま同じ本棚に収めていただけだが、これらには共通点がある。
極めてブサイクなことに、棚に並んだそれらの本のデザインが共に統一性を欠いているのだ。
『安部公房全集』(新潮社)は全三十巻で、第二十九巻が2000年12月に発行された。そして、最終第三十巻が発行されたのは、なんと2009年3月のことだった。
まあ、このブランクはいいとして、問題は第三十巻の函(はこ)の色だけが他と少し異なっているのだ。間抜けなことに。もちろん、意図したデザインの趣向には到底見えない。
要するに最終巻まで同じ用紙を確保できていなかったということだと思うが、理由はコストなのか、なんらかのミスなのか、わからない。

実はこの全集の装丁によりデザイナーが1998年に著名な賞を受けている。でも、全巻完結する前に途中で賞を授与してよかったのかどうか。
あるいは、最終巻だけ函の色が異なってしまった失態が出版社の都合によるものだとしたら、デザイナーはこの件をどう考えているのだろうか。
各巻5,900円(税別、以下同)×29冊+第30巻8,000円という読者にとって高価な買い物(もちろん、文学上の意義ある出版事業)なのに、つめが甘いというか、作り手としての責任感が薄弱というか。

田川建三訳『新約聖書 訳と註』(作品社)は、全八巻の構成だが、第一回、第二回配本の二冊だけが函に背がない。本を函に収めると本の背と反対側の束(つか)の両方が露出した格好になる。
ところが、第三回配本以降の他の六冊は函の一方だけがあいている一般的なものに変更された。
つまり、本棚に並べると、八冊のうち二冊は中身の本の背が見え、六冊は函の背がこちらに向くことになる。これまた間抜けなことながら。
2007年から完結まで十年、新刊として出るたびに買い揃えてきたのに(4,800円~6,600円)、本棚に全巻並べると、まるで「二冊函欠」ゆえに格安で売ってる古本のように見える。
これらの本の編集者の自宅の本棚には、自身が手がけた『安部公房全集』、
田川建三訳『新約聖書 訳と註』は置いていないのかもしれない。あるとすれば、それが眼に入るたびに後悔で微かな胸の疼きを感じるのではないだろうか。

 

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MK新聞への大西信夫さんの連載記事

1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)

 

本だけ眺めて暮らしたい バックナンバー

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