2013イギリス語学留学vol.1 留学で学んだ12の体験談・失敗談|MKタクシー清野透

ひと よみもの
2013イギリス語学留学vol.1 留学で学んだ12の体験談・失敗談|MKタクシー清野透

1992年に始まり、時代に合わせて改善・強化し続けてきたMKの海外研修。
京都MK上賀茂営業所の清野透社員によるレポートを紹介します。

 

 

MKの海外研修制度

第22期となる今回は、京都MK上賀茂営業所の清野透社員、山科営業所の芝原宏社員、ハイヤー課の川口益民社員の3名がイギリスで2ヶ月間学びました。

 

海外研修出発式

2013年9月13日に京都MK本社で「第22回海外研修出発式」を行いました。

 

出発直前インタビュー

海外研修を志望された理由は?
左から川口社員、清野社員、芝原社員

左から川口社員、清野社員、芝原社員

英会話ドライバーを夢見てMKタクシーに入社しました。
入社してからあっという間に6年が経ち、もうこれ以上自分の夢を先延ばしにしたくないと思い、留学を志望しました。

 

出発が近づいてきましたが、今の気持ちは?

久し振りの海外渡航です。トラブルに巻き込まれたりしないよう注意し、無事帰国できるようにと思っています。
良い意味で相手に合わせる1ヶ月にしたいと思っています。

 

最後に意気込みを一言

WDC(World Driver’s Cup)、ESD(English Speaking Driver)制度、英会話サロンなど、MKタクシーは、次々とESD育成に向けて力を注いでいます。
私たち社員はそれに応えなければならないと思います。
上賀茂営業所の英会話サロンも多くの人が参加しています。
私は年齢から言って、参加者をリードしていく立場だと思います。後輩社員の見本となる存在になれるよう頑張ります。

 

 

海外研修レポート

(一)初めに

失敗談も含め、あるいはそんなことまでわざわざ書かなくても良いだろうという部分まで、正直にお話したいと思います。

 

(二)40歳からのギター

再就職でMKタクシーに入社された多くの方が、人生の中で躓きや失敗、大袈裟に言えば挫折を経験されていると思います。
私は40歳の頃がそうでした。
定年まで会社に残ることはできるけれども、ただそれだけ。
しかし辞表を叩き付けるようなこともしたくない。

何をして良いかわからない八方塞がりのなかで、突然閃いたのがギターでした。
音楽が好きでいつかギターを弾きたいと思っていたのです。
早速アコースティックギターの初心者セットと教則本を買って来たのですが、まったく歯が立たないのです。
40歳の働き盛りの男が仕事も上手くいかないのに、しかもそのうえ、取り組み始めた趣味まで途中で投げ出したではお話になりません。
妻を説き伏せYAMAHAのギター教室に通い、2年半後には発表会で北島三郎さんの「与作」を弾き語ることができました。

反して英語はまったくの独学です。
大学で専門的に英語を学んだこともなければ、語学学校に通ったこともありません。ましてや留学や海外生活の経験もありません。
こんな私に、MKタクシーは「英会話サロン」という大きな変化を与えてくれました。
Lili先生や他の社員と勉強するほうが何倍も楽しく、またその場で自分の間違いに気付けることは素晴らしいです。

 

(三)先輩

今回一緒に留学させていただいたのは、ハイヤー課のMASUさんこと川口社員と、山科営業所のHIROさんこと芝原社員のお二人でした。
お二人とも入社歴の長い大ベテランで、しかも英会話の達人です。私など足元にも及ばない方々でした。
私は英国入国書類の職業欄にTaxi Driverと記入したのですが、川口社員はChauffeurとあり、ハイヤー課のプライドを感じました。
芝原社員はSpeakingが日を追うごとに流暢になっていくのがわかりました。

私達3人は、会話の99%を英語で行いました。
もしお二人がいい加減だったらこの割合はなかったと思います。
優秀な先輩は、そうでない後輩も見捨てずにちゃんと指導してくれるのです。

 

(四)Rの発音

クラスメイト

クラスメイト

クラス選別試験が終わると中東、ヨーロッパの非英語圏各国、ブラジル、コロンビア、ベネズエラ、タイ、韓国、日本など多くて7人ほどが一つの教室で授業を受けます。
韓国と日本の生徒はまったく問題がなかったのですが、他の国の生徒からは2つのことで非常に苦しめられました。

これから書くことは、自分の英語力の無さを相手のせいにしていることかも知れませんが、あえて記します。

 

① 筆記体

私が普段日本で読む英文は、印刷されたものです。
苦闘させられたのは肉筆です。
授業では2~3人でグループを作り、討論や作業をさせられることが多かったのですが、まず彼等の書いた「文字」が読めないのです。
大袈裟でもなんでもなく、そこにはミミズがのたくったような字が並んでいるのです。
どうしてもわからないので聞いてみると、fortuneというたわいない単語だったりするのです。
前後の脈略から判断しろなどというのは野暮というものです。
一つの単語で立ち止まっている私をよそに授業はどんどん先へ進むのです。

 

② Rの発音

Rock’n’Rollが好きですと言うときのRは、思い切り巻き舌にしないと通じません。
しかし、こんなことは問題でも何でもありません。
問題は南米やヨーロッパ非英語圏各国の生徒達の話す英語でした。
全員ではありませんが、彼等は例えばThis is her book.をヘルブック、After sales serviceをセルビスと発音するのです。
そのくせ単語だけを抜き出して発音してもらうと、ぬけぬけとハー、サービスと発音するのです。

クラスの中で一番仲良くなり、来年日本に行くと約束したMauricioという40歳の心療関係の仕事をしている男性がいました。
コロンビア育ちで今はスイスに住んでいるそのマオリシオが、あるとき授業の中でbeing ファルデルと言ったのです。
私はファルデルが何のことかさっぱりわからないので訊ねると、それはfatherでした。
1回の授業の中で読めない、聞き取れないが何度も起こりましたが、授業はどんどん先へ進んで行きました。
当然私の英語も訛っていたのでしょうが、文字は読みやすかったはずです。

 

(五)タクシー

goodbyeセレモニー

goodbyeセレモニー

ポーツマスのタクシーには何度か乗る機会がありました。
手を上げて止め、開けられた助手席の窓から行き先を告げ、助手席に乗り込むのです。
当然何か話さないと気まずいので、運転手が話しかけてきます。
「カジノは混んでいたか?」という具合です。

あるとき自分も日本でタクシーの運転手をしていると話したのですが、運転手は身の上話を始めました。
夜仕事をしているときに、眉間を殴られ出血したとのことで、Crazyと言っていました。
タクシーの仕事はどこの国も大変です。

ロンドンでは、川口社員と芝原社員の3人で乗ったのですが、防護板があまりにも完璧過ぎました。
駅や両替所の窓口のように、お金をやりとりする切り口が開いているだけで、それはまるで客との会話を拒否しているようでした。
そのくせ、車内は全て録画されており、会話も録音されていると注意書きがありました。
洗車の行き届いてない車も多数見かけました。
これは後日談ですが、別の日に川口社員は運転手と会話を楽しんだそうです。

 

(六)失敗

① お土産

ホームスティ先へのお土産になるべく日本的な物をと思い、紅葉模様の手ぬぐいを持って行きました。
ホームスティ先の奥さんは、カナダみたいだと言いました。

 

② IT音痴

私としては詳しいと思っていたのですが、まったく思い上がりで、一度もWi-Fiを利用することなく帰国いたしました。

 

③ Chew(チュー)するな

私は食物を粗末にすることに非常に厳しい家庭に育ち、食事を残すと大変怒られたので、今まで出された食事(外食を含む)を残したことはほとんどありません。
ホームスティ先の奥さんは、専業主婦で時間の余裕もありました。そのうえ料理好きで、滞在中同じメニューが出されたことはありませんでした。
初めてお米のメニューが出されたとき、皿の中には日本で言えば、小さな小さな皮付きの筍のようなものが入っていました。
今思えばそれは食べるものではなく、香りをつけたり味を出したりするダシのようなものだったと思います。
私は外見で判断して食べたくはなかったのですが、幼い頃からの思考回路を変更できず、残しては作ってくれた人に失礼だとの思いから食べ始めたのです。
そのときズズーッと音を出してしまい、ご主人から注意されました。
奥さんは文化が違うからとかばってくれました。

 

④ Pleaseをつけろ

例えばWould you like some coffee? の質問文に対する答えとして、Yesで終わっていたのです。
Pleaseをつけろとご主人から注意されました。
これからはMay I have tea? Please. です。

 

⑤ Coronaビール

ビールを飲もうと思ってCorona Please. と言ったら、コーラが出てきたことが2度ありました。
ゆっくりとCorona beer please. と言ったら三度目にやっとビールを飲むことができました。

 

⑥ 9と19

学校主催のBathへの日帰り旅行の際、運賃nineteen£をnine£と聞き違え、仲間の失笑を買いました。

 

⑦ 牛乳

Bathへの日帰り旅行の際、一人で駅前のパブに寄りました。
店員は忙しそうでしたが、注文を聞いてくれました。
しかし出てきたのは頼んだミルクティではなくミルクで、しかもお金は要らないと言うのです。
トイレを借りたうえに、ただで牛乳を飲んだのでは申し訳ないので、チップを置いて出てきました。

 

⑧ 紹興酒

ポーツマスで中華料理店を見つけ。久しぶりに味噌ラーメンを食べたらとても幸福な気分になりました。
勢いで隣の中国の物品を扱う雑貨店で紹興酒を買い、帰ってから飲んでみるとしょっぱいのです。
こんな味なのだろうと飲み続け、ラベルをみると厨用とあり更に別のラベルにはcooking wine とありました。

 

(七)気後れ

修了証書

修了証書

ハイヤー課の有志の方々が、月に一度外人講師を招いて英語の勉強会をしているのですが、私も参加させていただいています。
参加者の中に「ディス イズ ア ペン」と、何の抑揚もなくカタカナそのままに話される方がいます。
それを聞く度に、テレもあるのだろうけど、もう少し英語らしく喋ろうとするだけで全然違うのになと思っていました。

留学中同じことが私の身にも起きました。
2週目になって、授業がとても難しく感じてきたのです。
そうなると、先生となるべく目を合わせまいと俯き加減になり、声は小さくなり話し方からは抑揚やリズムが消えました。
見かねた先生が、大きく発声するところは文字を大きく、高く発声するところは上部に、英語の一文を五線紙上の音符のように書いてくれました。
それは見事なものでした。

気後れに負けてはいけません。
よそでは誰も助けてくれないでしょう。
例え間違っても、大きな声で抑揚をつけリズミカルに話さなくてはいけないのです。

 

(八)カジノ

パチンコはしません。気軽に行きやす過ぎるからです。
競馬もしません。よくわからないのと、自分にそれだけのステータスがあるとも思えないからです。
しかし海外は別です。
以前旅行会社に勤務しており、海外に行く機会が多かったのですが、努めて覗くようにしていたのがカジノです。

幸か不幸か、イギリスにもカジノはあります。
作家の浅田次郎さんが世界中のカジノ巡りをした著書の中で、イギリスのカジノは日本のパチンコ店状態であると記されておりましたが、まさにその通りです。日本で言えば、商店街の一角にカジノはあるのです。
ラスベガスやマカオの様にホテルの中にあるのではなく、規模は小さいです。
それでもポーツマスのカジノにはステージもあり、土曜の夜には歌手がカラオケで演じていました。
後日覗いたロンドンのカジノにはステージはありませんでした。
カードゲーム(トランプ)はしません。
麻雀をして牌を切るのが遅くて、イライラしたりさせられたりした経験は誰にでもあるでしょう。
ギャンブルで場のリズムを乱すのはご法度です。
スロットなど機械相手の物もしません。
ルーレットをしたのですが、プラマイの報告はまた別の機会にいたします。
ギネスを飲みながらショーを観て、一勝負して、午前4時に悠々とタクシーで帰りました。

 

(九)おっちゃんとディスコ?クラブ?

レ・ミゼラブル

レ・ミゼラブル

関西育ちではないので自らをおっちゃんと呼ぶことはありません。
しかし、この章ではおっちゃんと呼んだほうが良いような気がします。
学校と行事としてなんと午後十時半に集合して踊ろうというのが、毎週水曜日に行われていました。
クラスメートの男子学生に訊ねてみるとつまらないと言うのですが、腕にtatooをしたブラジル人生徒は、とても楽しいと言うのです。
私はそのグラマーな三十代後半のブラジル人女性が、どんな踊りを見せてくれるのかとても興味がありました。
しかし、翌日の授業であくびばかりしているわけにもいかないと思い控えていたのです。

これを逃したら後はない最終週、おっちゃんはとうとう出かけてしまったのです。
店内はディスコミュージックが鳴り響き、大勢の若者が酒を飲んだり踊ったりしていました。
他の生徒はまだ来ておらず、私は地元の若い男女が踊るのを観ていたのです。
立っていた近くにはステンレス製の細い棒が立ててありました。
映画などで女性が掴まりセクシーな踊りを見せるあの棒です。
これは後日談ですが、ポールダンスと言うのだと、川口社員から教わりました。
そのポールを使って、一組の男女のグループが踊りだかふざけているのだかわからないことをして楽しんでいました。
そのうち女性の一人が私に踊れと誘ってきたのです。
断ったのですがあまりにも誘われるもので、とうとうシャツのボタンを全て外して肩を出して踊りました。
イメージとしてあったのは、ドリフターズの加藤茶さんです。

何回も誘われ何回も踊るうちにネタが無くなってきました。
そして閃いたのが相撲でした。
四股を踏みポールを相手に突っ張りをしました。
これが結構受けて、二度目にはその女性がポールを挟んで対面し同じ動作をしました。その女性は帰るときハグをしてきました。
ハグをする光景はいたる所で見かけたのですが、私にとっては最初で最後のハグになりました。結局グラマーなブラジル人女性は現れませんでしたが、女子生徒は多数参加しました。
男子生徒は見た限り私を含めて三人しかおらず、どうやら踊ることに関しては女性の方が熱心なのかも知れません。
後でそのお店の種類を学校のスタッフに確認するとバーだと言っていました。

 

(十)何割かで十分(今のところは)

① 往路の機内でHalle Berry主演の映画「the Call」を見ました。
変態中年男にさらわれた女子学生をHalle Berry扮する911(米国の110番)のオペレーターが、最後には体を張って救い出す物語でした。
ストーリーが簡単なサスペンスなので、5割は理解できたと思います。

② 学校の最終日に授業として裁判所に行き、一つの法廷で四件の裁判を傍聴しました。
申し訳ありませんが、3割くらいしか理解できませんでした。

③ ロンドンのロイヤルアルバートホールの館内ツアーに一人で参加しました。
英語ガイドは各国の参加者にどちらからですかと尋ねたのですが、私が日本から来たと言ったらLovelyと言っていました。
ロイヤルアルバートホールで行われたLiveDVDを三枚持っており興味があったのと、英国王室ゆかりの施設なので、説明の6割は理解できたと思います。

④ロンドンのクィーンズシアターでミュージカル「レ・ミゼラブル」を一人で観ました。
3割くらいしか理解できませんでした。
お恥ずかしいお話ですが、ビクトル・ユーゴーの「あゝ無情」を知らないのです。
もし知っていたら理解度は格段に増していたでしょう。
言い訳するわけではないのですが、ある有名な通訳案内士が「勉強ではなんとなくわかる。この感覚が大事なんだ」と本に書いていました。
めげずに勉強をがんばろうと思います。

 

(十一)女性

私は授業中多くの国の若い女性に囲まれて過ごしました。
それは素晴らしい空間でした。
しかし実際は冷や汗を流し続けていたのです。
グループを組んでの授業中、あなたでは相手にならないとそっぽを向かれたこともあります。

忘れもしない最初の授業のときです。
例えとして上げればdeskと言う単語を、足が4本あってその上で読み書きしと相手が英語で説明し、一方が机と答えるゲームが行われました。
相手の女性は必死に私に説明するのですが、非常に聞き取り難いのです。
私はおそらくあいまいな笑みを浮かべ、目には少し怯えがあったと思います。
彼女の青い瞳は、真剣に私の目の奥の奥まで覗きこもうとしているようでした。

後日、スペイン人の客室乗務員だとわかったその女性は、私にこう言ったのです。
Can you speak English? ムッとしましたが正直傷つきました。

 

(十二)The place that is off the beatentrack.

イギリス最北端の駅

イギリス最北端の駅

直前まで決められなかったのは、学校を卒業したあと最終週をどう過ごすかでした。
アイスランドにでも行こうかと考えたのですが、航空券だけで600£すると知って諦めました。
ロンドンとレィキャビクの距離を壁に貼られた地図で考えてはいけなかったのです。
地球儀上で測らなければならなかったのです。

いろいろ考えているうちに列車の旅がしたいと思いました。
どうせなら思い切り遠くへ行きたいと考え、英国最北端の駅を目指すことにしました。
最北の駅へいくつもりだと言うと、学校の先生もホストファミリーも「スコットランドへ行くのね」と言いました。

切符を買い、夜汽車の指定席(寝台ではない)に乗り込みました。
外国での夜汽車の旅は初めてだったので、なんだか自分が本当の旅人の様な気がしてきました。
途中夜中に目が覚めて見ると、駅名表示が英語の他にもう一つあるのに気がつきました。Inverness駅はInbhirNisと言う具合です。
スコットランドはイングランドとくらべ歴史や文化、そして言葉も少し違うとガイドブックにありましたが本当でした。
ロンドンから11時間21分かけて、ネッシーで有名なネス湖の観光拠点であるInverness駅に到着しました。
土産物店の男性がスカートを穿いていました。

果てし無く続く北海道やニュージーランドを思わせる牧草地帯を、更に3時間46分かけて、最北端のThurso駅に到着しました。
とても小さな駅で周囲にパブやホテルや土産物店は何一つありませんでした。
そしてまた夜汽車に乗り14時間47分かけてロンドンに戻ってきました。
それが私の旅でした。

 

(十二)これから留学される方々へ

これはあまりにも底辺から視線なので参考にならないかも知れませんが、とりあえずアドバイスを。
① 肉筆の文字に接しなければならないと、腹を括っておきましょう。
偉人の手紙のコピーなどを読むなりして、慣れておいたほうが良いかも知れません。

② 訛りのある発音に慣れておきましょう。
例えば、フィリピン人の話す英語の音源をなんとか探し出し聞いておいたほうが良いかも知れません。

③ 英語の問題文に慣れておきましょう。
当然ですが、試験の問題文も英語です。
文法用語に慣れておく必要があります。appropriat、verb、syllable、infinitive、gerund、article、dialogue、narrative tenses、bracketなど、私は初っ端から躓いた形になりとても苦労しました。

④ wi-fiを使いこなせるようにしておきましょう。

⑤ あなたがもし若くなくても、学校で年齢を意識することなどまるで無意味です。

 

(十三)最後に

英語は独学であると先に記しましたが、自信を持って申し上げられるのは英語から離れなかった事実だけです。
英語から離れなかっただけで、MKタクシーに入社以来、二つの大きな経験をさせていただきました。
一つは中東某国のVIPをセントレア空港から東京のホテルまでお供させていただいたこと、もう一つが今回の英国留学です。
これからも英語から決して離れず勉強し続けていきたいと思います。

 

 

おわりに

MKでは、外国語で観光案内をできるドライバーを養成するため、1992年から海外留学制度を開始しました。
営業所でもネイティブ講師によるサロン型の勉強会を毎月数回開催しています。

充実した研修制度によって育成したESD(Englishi Speaking Driver)は、海外からのVIPの対応や国際会議の送迎など豊かな経験を積んでいます。

海外からの大切なお客様の対応の際は一度MK観光タクシーにご相談ください!

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第22期の海外研修レポート

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