整備士とモーグルスキーを両立しつつ今も活躍するMK整備の鈴木亮選手

ひと よみもの
整備士とモーグルスキーを両立しつつ今も活躍するMK整備の鈴木亮選手

MKタクシーでは自動車整備部門に整備士として勤務しながら第一線のモーグルスキーヤーとして活躍している職員がいます。
27歳で本格的にモーグルに取り組みはじめ、練習時間の限られた中でメリハリを利かせ、仕事とスキーを文字通り両立させながらでも海外遠征や全日本選手権、国体などに何度も出場するなど数々の実績を上げてきました。
今でも他部門で管理職としても活躍しながら現役を続けています。あの”レジェンド”葛西紀明とも同い年です

 

モーグルとは

2011年の全日本選手権にて

2011年の全日本選手権にて

フリースタイルスキーの一種で、深いコブの斜面の滑走技術と速度、「エア」というジャンプの完成度を競う競技です。
1992年のアルベールビルオリンピックから正式種目に採用されました。
日本では、長野オリンピックで金メダルを獲得した里谷多英や、5大会連続でオリンピック入賞を果たした上村愛子が有名です。
10代~20代前半がモーグル選手の主流です。

 

 

 

MK新聞掲載記事(2004年)

トップレベルの”整備士”スキーヤー(2004年2月1日号)

MK新聞2004年2月1日号

MK新聞2004年2月1日号

 

26歳ではじめたモーグル

MKで整備士として働きながらスキーのモーグルで活躍している選手がいる。
エムケイ株式会社整備部の鈴木亮職員は、元々大手自動車メーカー勤務。
「整備士として1番にならなければ、スキーでも1番にはなれない。」と、目標だった1級整備士の資格を取ったところで、周囲の反対をよそに、スキーに打ち込むため26歳で前職を辞めた。

そでにはMKのワッペン

そでにはMKのワッペン

そこから始めたモーグル。独学で滑りを覚え、そのシーズン最後の草大会で優勝したことで勝つ楽しみを知り、モーグルにのめり込んでいった。
冬は白馬や立山で、日本に雪がなくなる夏は南半球のニュージーランドに、シーズン直前にはフランスヘと、1年中雪を求めて練習を重ねた。ニュージーランドではカメラマンにスカウトされ、現地のスキー場のパンフレットに写真が使われたことも。
地元京都の国体予選で1番目、関西でも1番になり2002年の新潟国体への出場を果たした。
ハイレベルな大会を経験するごとにさらに上を目指してきた鈴木亮職員。

ニュージーランドでの修業時代

ニュージーランドでの修業時代

 

仕事も全力、スキーも全力

30歳になってからは「働きながらどれだけやれるか」と新たな目標を立て、再び正社員で働くことを決意。
エムケイ株式会社整備部に就職し、「社会人スキーヤー」として再出発した。

会社に入ってからのキーワードは“メリハリ”
平日は毎日みっちり働いた後、ジムで筋トレをしたり、ランニングをして体作りに努める。
金曜の仕事が終わると、その夜に車で立山に移動。
雪の上で滑れる土日は鈴木亮職員にとって貴重な練習時間。自然と練習にも熱が入る。
「社会人スキーヤー」として活躍する鈴木亮職員には、専属のカメラマンも付いている。
シーズンオフの夏でも、トレーニングや写真撮影など忙しい日々が続く。
毎日働き、毎日トレーニング、週末の長距離移動と土日の練習。
ハードな日程にも「メリハリを効かせてやっているので、しんどいと思ったことはない」と鈴木亮職員。

撮影は鈴木亮選手専属のカメラマン

撮影は鈴木亮選手専属のカメラマン

26歳でスキーを始めてから3年目にして西日本に2人しかいないA級選手に。4年目で国体出場、そして5年目の今シーズン。
先日北海道で行われた公式戦でも好成績を挙げ、本州の選手の中ではトップになるなど、短期間で周囲を驚かす成長ぶりを見せている。
全国版のスキー雑誌『ザ・モーグル2004』(双葉社)に、一ページを割いて特集記事が組まれたのも、これまでの取り組みの一つの結果だろう。
2月上旬か中旬にはKBS京都で鈴木亮職員の勇姿が見られるかもしれない。
今シーズンはスキーウェアにスポンサーとなるMKのワッペンを付け、「自分が滑って活躍すればMKのアピールにもなる」と、次なる目標の全日本スキー選手権出場を目指す。

もちろん整備士としても一級品の腕前

もちろん整備士としても一級品の腕前

 

全日本選手権出場へ向け勢い(2004年2月16日号)

MK新聞2004年2月16日号

MK新聞2004年2月16日号

 

京都府モーグル競技会で他を圧倒

エムケイ株式会社整備部の鈴木亮職員が、2004年2月1日に滋賀県の箱館山スキー場にて行われた京都府スキー連盟主催「第6回京都府モーグル競技会」(京都新聞社、KBS京都、FM京都ほか後援)登録男子の部で、2位以下を圧倒して優勝を果たした。
北陸を含め西日本各地から選手が集まってくる同大会。

ウェアにはMKのワッペン

ウェアにはMKのワッペン

公式戦に出場することのできるSAJ会員登録をした選手が参加する「登録の部」と、オープン参加の「一般の部」があり、この日鈴木選手が優勝したのは「登録男子の部」。
鈴木亮選手は4年前の第2回大会では「一般の部」で優勝を果たしている。
まず予選を1位通過した鈴木亮選手は「同じ技をしたらそれで優勝だったけど、次の公式戦につなげるため」と、決勝では第1エアにヘリコプター、第2エアではジャンプしながら「バック宙」のように後方に一回転するバックフリップと、リスク覚悟の大技を決め、見事1位の座を勝ち取った。

ゲレンデの表彰台にて

ゲレンデの表彰台にて

「いつもは緊張しないんですけどね。MKのワッペンを付けてるし、絶対に一位にならなければ、と思って緊張しました。でもリスクのある技を選んで、それを成功させられたことで満足のいく大会になりました。」と鈴木亮職員。

 

KBSでも勇姿が放送

この日の結果は翌日の京都新聞に掲載され、また2004年2月6日には鈴木亮職員の勇姿がKBS京都の報道番組で放送された。
シーズンも後半に入ったが、前半から続く好調をこのままキープして、夢の全日本選手権出場を現実のものとしてくれることを期待。

MK整備の仲間と

MK整備の仲間と

 

 

MK新聞掲載記事(2005年)

念願かない全日本選手権出場へ(2005年3月1日号)

MK新聞2005年3月1日号

MK新聞2005年3月1日号

 

西日本選手として初の全日本選手権出場へ

MKで整備士として働きながらモーグルスキーで活躍するエムケイ株式会社整備課の鈴木亮職員。
今シーズンは既に、念願だった全日本選手権への出場を決めている。
スキーに打ち込むため26歳で前職を辞め、そこから始めたモーグル。
夏はニュージーランド、冬はフランス、信州白馬と雪を求めて練習に没頭し、2002年には国体に出場するなど着実にステップアップを重ねてきた。

ヘルメットにはMKのロゴ。ウェアにはMKのワッペン

ヘルメットにはMKのロゴ。ウェアにはMKのワッペン

30歳を過ぎ、「働きながらどれだけやれるか」と、MKに入社後は、平日は仕事、土日は練習に励む日々。
時には夜勤前に大会に参加、夜勤後も練習というハードスケジュールも。
練習時間が限られる分、大会が次の大会への練習にもなる。
「周りを見ても30代は自分だけ。まだまだ若い選手には負けられない」。
そうして迎えた6年目の今シーズン。
「6年と簡単に言うけど、実際長かった。」
という念願がついに叶い、西日本選手として初、唯一人の全日本選手権出場切符を手に入れた。

2005年3月27日の全日本選手権へ向けてトレーニングを重ねる鈴木亮職員

2005年3月27日の全日本選手権へ向けてトレーニングを重ねる鈴木亮職員

 

次なる目標はヨーロッパ杯

今冬は出だしで首の故障に泣かされたが、復帰後初の大会となった「第7回京都府モーグル競技会」(2005年2月6日・滋賀県箱館山スキー場)登録男子の部で第2位と、3月27日に予定されている全日本選手権に向けて調子は上向きだ。
今シーズンの活躍によっては日本で10人しか出られないヨーロッパカッブヘの道も見えてくる。
働きながらでも全日本選手権出場の夢を叶えることが出来た。サンデースキーヤーの星になり、次なる目標のヨーロッパカップへ向けて、日本代表の10人の枠に入れるよう今年も頑張ります。」

2005年2月6日の「京都府モーグル競技会」で第2位。表彰台にのぼり報道陣に囲まれる

2005年2月6日の「京都府モーグル競技会」で第2位。表彰台にのぼり報道陣に囲まれる

 

“願えば叶う”夢の全日本選手権に出場!!(2005年4月16日号)

MK新聞2005年4月16日号

MK新聞2005年4月16日号

 

西日本No.1モーグルスキーヤー

夢だった全日本選手権。オリンピック選手・ワールドカップ選手らも参加する日本最高峰の大会である。
モーグルスキーを始めて6年目。ついにその夢が叶う日が来た。
MKで整備士として働きながら“サンデースキーヤーの星”として活躍するエムケイ株式会社整備課の鈴木亮職員。
26歳で前職を辞めモーグルに打ち込んできた彼が、これまでの6年の想いを叶え、ついに「全日本選手権」(2005年3月27日・長野県白馬さのさかスキー場)に出場した。
「強く願えば想いは叶う」。前職を辞める際、彼を心配する周囲からの反対があった。
「でも、仕事を辞めて得たものはそれ以上。海外に行ったこともないのに修行のため乗り込んだニュージーランドやフランスでの生活や文化の違い、そこで出来た友達…、全て僕の財産です。」

本戦では、ジャンプしながら大きく後ろに背中を反る「バックスクラッチャーコザック」などの技を決め、ヨーロッパ杯選考対象となる50位以内に見事食い込んだ。
「僕は元々この技を見てモーグルをやろうと決心したんです。今季は首の故障もあって苦しんだけど、短期間で調子を上げられたのは、サンデースキーヤーならではのメリハリを利かせた集中力があったからだと思います。」
「僕の姿が、何かをやろうとしている人たちの励みになれば嬉しい。僕はこのような良い結果を残すことが出来たけど、結果が全てではなく、本当に大切なのはそれまでの長い道のり。」
「目標に向かって打ち込めば夢以上のものが得られる。それを得られた人が“成功者”であり、それをこれからの人生に生かしでいきたいです。」

全日本選手権で使用したゼッケン(左)を額に入れて掲げる鈴木職員。右は2002年新潟国体出場時に使用したもの

全日本選手権で使用したゼッケン(左)を額に入れて掲げる鈴木職員。右は2002年新潟国体出場時に使用したもの

 

両親にありがとう

大会当日は両親も招待した。
「周囲の反対の中で、両親だけは『遠くから応援しているから頑張れ』と言ってくれた。その両親をはじめ、スポンサーとして練習環境を整えてくれた居酒屋”八丁堀”さん、応援して下さった皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。」
周りの選手は皆、10代~20代前半。30歳を超え、しかも仕事を持っている鈴木亮選手は異色の存在だ。
「皆が引退するような年齢からモーグルを始めたので、僕の中に“引退”という文字はありません。MK新聞読者の方からおハガキをいただいたのも励みになりました。」
「今回結果を出せて、ヨーロッパ杯出場の望みも出てきたので、次は“日本代表”という新たな目標に向かって頑張りたいです。」
そう話してくれた鈴木亮職員は取材後、毎週そうしているように、車で白馬へ向けて出発していった。

 

 

MK新聞掲載記事(2006年)

ヨーロッパカップへ海外初参戦(2006年1月16日号)

MK新聞2006年1月16日号

MK新聞2006年1月16日号

 

FISヨーロッパカップ出場へ!

整備士として働きながらモーグルスキーで活躍するエムケイ株式会社整備課の鈴木亮職員。
昨季の頚椎損傷という大怪我から完全復帰した2006年シーズン、とうとう“日本代表”の称号を手に入れた。
来る2006年2月10日・11日にスイスで行われるヨーロッパ杯。
今季日本から参加できるのは5名だけというこの大会に、「サンデースキーヤー」鈴木選手が選出されたのである。

27歳から始めたモーグル。
2002年国体出場などの実績を残した後、「30歳を過ぎて、働きながらどれだけやれるか」と、一級整備士の資格を生かして2003年にエムケイ株式会社の整備課に入社
以来、平日は仕事、土日に練習という限られた日程の中、持ち前のメリハリを効かせたトレーニングを続けてきた。
その技のキレは、33歳を迎えた今も、なお進化を続けている。

MKのロゴが刺繍されたスキーウェアが完成。ヨーロッパカップへ向けて、表情にも気合が入る

MKのロゴが刺繍されたスキーウェアが完成。ヨーロッパカップへ向けて、表情にも気合が入る

 

頑張れ鈴木亮選手!

昨季は首の故障に見舞われながらも、モーグルを始めて以来の夢だった「全日本選手権」に出場。
好成績が認められ、見事今季のヨーロッパ杯出場という新たな道を開拓した。

「僕の夢はあくまで全日本選手権出場だった。夢は昨季叶えた。だから今回は“夢”とはまた違う、考えもしなかった領域。いい言葉が見つからないけど、これまで頑張ってきたご褒美をいただけたという感じです。」

今回、ヨーロッパ杯出場を祝って、会社からはMKのハートのマークが刺繍されたスキーウェアが贈られた。
「僕のモーグルに対する取り組みに理解を示してくれ、本当に感謝している。僕がこうしてスキーを続けていられるのも会社のお陰。大会ではこのウェアを着て、皆の期待に応えられるよう頑張ってきます。」

MK整備の仲間一同

MK整備の仲間一同

 

京都府モーグル競技会で優勝(2006年2月16日号)

MK新聞2006年2月16日号

MK新聞2006年2月16日号

 

ヨーロッパカップ出場を前に

整備士として働きながらモーグルスキーで活躍するエムケイ株式会社整備課の鈴木亮職員。
日本代表として出場が決まっているヨーロッパカップを前に、2006年2月5日、滋賀県・箱館山スキー場で行われた「第8回京都府モーグル競技会」(京都府スキー連盟主催)に出場した。

MKからの応援団と記念撮影

MKからの応援団と記念撮影

鈴木亮選手は登録男子の部に登場。
開会式では選手宣誓も務めた。

決勝のエアーでバックフリップを決める鈴木選手

決勝のエアーでバックフリップを決める鈴木選手

MKタクシー本社や整備課から駆け付けた約20名の応援団が見守る中、予選を1位で通過。
決勝でも安定した滑りと華麗なバックフリップを決め、見事優勝を果たした。

優勝の表彰台に上る

優勝の表彰台に上る

鈴木亮職員は2月6日に日本を発ち、3月10日・11日にスイスで開催された「FISヨーロッパカップ」に出場。
また、その後に控えている全日本選手権に向けてトレーニングを続けている。

登録男子の部で優勝した、鈴木亮選手のMKタクシー大応援団

登録男子の部で優勝した、鈴木亮選手のMKタクシー大応援団

 

ヨーロッパカップでの闘い〈上〉(2006年3月1日号)

MK新聞2006年3月1日号

MK新聞2006年3月1日号

 

仕事の合間にエアのトレーニング

スキー・モーグルで国際スキー連盟(FIS)ヨーロッパカップ(2006年2月10日・11日)出場を果たしたエムケイ株式会社整備課・鈴木亮選手が、好成績を手に、大会開催地のスイスより帰国した。
鈴木選手のヨーロッパカップ出場までの足取りをたどった。

MK整備で働く鈴木選手は、平日は仕事、練習できるのは土日だけという環境の中でトレーニングを積んでいる。
特にこの1年は、世界のトップと力の差を感じたというエアの高さを追求し、雪のないオフシーズンでもウォータージャンプを取り入れるなど、エアの習得に励んできた。
時には、平日の仕事後に神戸の練習場「神戸KINGS」に向かうことも。
持ち前のメリハリを効かせ、33歳という年齢にも関係なく、その技のキレは進化を続けている。

MKグループ従業員らから集まったカンパ金

MKグループ従業員らから集まったカンパ金

 

京都府モーグル競技会で優勝!夜勤後、スイスへ

ヨーロッパカップ直前の2006年2月5日、滋賀県箱館山スキー場で開催された「第8回京都府モーグル競技会」で見事優勝。
仕事の合間に大会に出場していた鈴木選手はその晩、そのまま夜勤へ。
仕事後も一睡もせずに空港へ向かい、ヨーロッパカップに向けて旅立った。

2006年2月8日 讀賣新聞

2006年2月8日 讀賣新聞

 

いよいよヨーロッパ杯 詳細は、次号で!

ヨーロッパカップ出場の日本代表メンバーと合流し、鈴木選手にとって初めて“日本代表”として乗り込んだスイスの地。
もちろん周囲も各国のナショナルチームがひしめき合っている。
選手リストを見ても、皆10代・20代の有望な若手選手ばかり。
初めての海外戦ということもあり、かつてない不安を感じていた鈴木選手だが、大会前日の公式トレーニングでライバルたちの滑りを見て、「いける!」と自分の実力に確信を持ったという。

 

ヨーロッパカップでの闘い〈下〉(2006年3月16日号)

MK新聞2006年3月16日号

MK新聞2006年3月16日号

整備士として働きながらモーグルスキーを続け、ついに初の海外戦、国際スキー連盟(FIS)ヨーロッパカップ(2006年2月10日・11日)出場を果たしたエムケイ株式会社整備課・鈴木亮選手。

バックには険しい山並みが広がる

バックには険しい山並みが広がる

 

極限の緊張…コーチの言葉で覚悟が決まった

MKのロゴが刺繍されたスキーウェア、社員・職員有志から集まったカンパ……。
初の海外戦という重圧に加え、会社の期待も一身に背負った鈴木亮選手には競技生活最大とも言えるプレッシャーがかかっていた。
極限の緊張。エアの技の難度を下げようかとコーチにも相談したという。

しかし、コーチの言葉が胸に響いた。
「難度を下げて勝てる相手じゃないことはわかってるだろ? お前は何でモーグルをやってるんだ? 好きだからだろ?モーグルをしている人間は他にもたくさんいる。ずっとやってきても何一つ報われない人もいる。」
「その中でこの5名に選ばれたこと、この舞台に立てたことは素晴らしいことだ。日本代表だろ? 最高の場で最高の技に挑戦することが自分にとって一番。その結果たとえ失敗しても、それは自分の力を出し切ったことになるんだ。違うか?」

その言葉を聞いた途端、重圧のはずのプレッシャーが解き放たれ、心地よいプレッシャーに変わったという。

試合会場にて

試合会場にて

 

会心の滑り 最高の技が決まった

前のフランス人選手が滑り、いよいよ出番だ。「アキラ・スズキ、ジャパン!」というアナウンスが響き渡った瞬間、鈴木亮選手の集中は頂点に。
周囲の音も一切聞こえなくなった。「3、2、1、GO!」夢の領域へのスタート。

「今までの競技生活の中で一番の滑り。今の自分が出せる最高のターン、最高のエアを決めることができました。」

その結果到達した30位という数字。
「日本ランキング56位の自分が世界の大会で30位。これは自分の力を出し切った結果。数字は後からついてきた。今季はヨーロッパカップに照準を合わせて練習してきました。その目標通り、最高のコンディションで臨むことができ、自分の持っているもの全てをぶつけられてとても満足しています」。

 

休む間もなく全日本選手権に出場 来季も見据えて

大会後、帰りの飛行機で、預けたはずのスキー板が届かないというハプニングも。
しかし鈴木亮選手は、休む間もなく、2年連続となる全日本選手権にも出場した。これが今季最後の闘い。
また、来季の全日本選手権は兵庫県のハチ北スキー場で行われる。
西日本では初めての開催だ。「ハチ北スキー場は普段お世話になっているところ。ぜひ恩返しとなる滑りを見せたいですね」。
また、来季の鈴木亮選手の滑りにも注目だ。

 

応援してくれた仲間やお客様への御礼と報告(2006年4月1日号)

MK新聞2006年4月1日号

MK新聞2006年4月1日号

本来なら応援して下さった皆様にお礼の挨拶をしなければならないところですが、業務の都合などもあり、MK新聞紙面を借りて今季のご報告をさせていただきます。
今季は初の海外戦という新たな領域への挑戦もあり、例年とは違う気持ちで臨んだシーズンでした。
MKのバックアップも付き、会社の代表、そして日本の代表というプレッシャーもありました。
オリンピック選手たちのように、そういう重圧を背負って闘う選手の気持ちが少しわかりました。
また、MKのロゴが入ったウェアを見た他の選手たちに「何でMKのマーク付けてるの?」と訊かれたり、テレビや新聞でも報道されたりなど、会社の宣伝にも貢献できたのではないかと思っています。

この1年、海外戦に向けて自分の弱点を見直し、オフシーズンでも地道な練習を続けてきました。
年齢から見ても上昇の一途でないことはわかっています。だからこそ基礎トレーニングを続け、その上でジャンプなどの技術面を磨き、弱点を克服してきました。
正式な結果発表は6月となりますが、また代表に選ばれたとしたら、来季もヨーロッパカップに出場したいと思っています。

「(僕の載った)MK新聞を読んだお客様から『MKさんには立派な人がいるんだね』と言われたよ」と社員さんが自慢気に話してくれるのを聞いた時は、感動して心が熱くなりました。
MK新聞読者の方からのおハガキもそうですし、オフシーズンでも車にスキーを積んでいる僕を見て、「夏でも頑張っているんやね」と言ってくれるMKタクシーの社員さんや、夜勤の時でも、入庫した社員さんから「スキーの鈴木さんやね」と言われたりするのはとても励みになりました。

スキーを通して様々な出会いがありました。
大会での出会い、かつて山にこもってトレーニングをしていた時の仲間、ハチ北スキー場近くの居酒屋「八丁堀」さん。
「八丁堀」さんは僕が無名の頃からずっと応援してくれて、宿泊やご飯の世話、スキー場のリフト代の面倒も見てくれました。
今までの僕の掲載紙も全部店に貼ってくれています。

そして、整備課の仲間たち。
大会に出る時の僕の穴を埋めてくれて、安心して試合に臨むことができました。本当にありがとう。

僕は27歳で前職を辞め、モーグルに挑戦しました。
何か新しいことにチャレンジする時、必ず周囲が賛成してくれるとは限りません。
目標が高ければ高いほど、「それは無理やろ」という意見が多くなります。
スポーツでも人生でも同じですが、否定されて自信を失ったり、反対する人を説得したりという余計なエネルギーは使わず、自分の決断に自信を持って突き進むためにエネルギーは使うのです。
自分の信念を貫くことが成功への道だと思います。

ヨーロッパカップは決してすごいことではありません。
人は何かにつけて、「あの人はすごい。でも、あの人だから……。自分には無理。自分はこれぐらいやろ」と、自分の能力を決めてしまう人をよく見かけます。
しかし、能力は自分で決めるものではありません。年齢も関係ありません。
必要なのは「強い意志」と「努力の積み重ね」。
これを読んで下さった皆さんも、自分で限界を決めてしまわずに、自分の思いに向かってエネルギーを使って下さい。「人間、変われるものです」。

 

 

MK新聞掲載記事(2007年)

ヨーロッパ選手権に2年連続出場(2007年1月16日号)

MK新聞2007年1月16日号

MK新聞2007年1月16日号

 

2007年はドイツへ

スキー・モーグルで2年連続のヨーロッパ選手権大会出場という快挙を成し遂げたのは、エムケイ株式会社整備課の鈴木亮選手。
日本ランキングは昨季の56位から30位へ大幅にアップ。それも4年前にMKに入社してからめざましい活躍を続けている。
「前回と違い、今回は推薦ではなく実力で出場権を獲得できたことに満足しています。」

社会人として働きながらのヨーロッパ選手権大会2年連続出場!!
今回、代表メンバーには3年後のバンクーバー五輪を目指す若手有望選手のいる中、社会人34歳での出場というのは、まさに“前人未踏”ではないだろうか。
大会は2007年2月3日・4日の2日間、ドイツにて開催される。
「いつまで代表に選ばれるかわからない。しかし、今しかできないことに全力を尽くしたい」と話す鈴木選手に、今大会への意気込みを語ってもらった。

今後の意気込み

2年連続出場おめでとうございます。昨年と比べて「ここが変わった」と感じることはありますか?

全日本選手権出場が夢だった僕にとって、前回のヨーロッパカップ出場は夢のさらに上の段階の出来事でした。
変な話、髪の色や言葉の違う外国の選手というだけで「自分より上手い」と感じてしまっていました。
そんな中で、自分と世界との差がわかり、夏の間は弱点の克服のために時間を費やしてきました。
昨年の憧れからから一転してライバルへと変わり、そして今回、自分の目線も変わり、緊張のコントロールができるようになりました。
緊張し過ぎても、しなさ過ぎてもベストな状態は出ません。
これは仕事においても何にでも言えることですが、自分が今どういう状態なのかがわかれば常にベストコンディションに持っていくことができると思います。
前回は出場しただけで満足していた部分がありましたが、今回は勝ちにこだわり闘ってきます。

 

MK社員も応援しています。

昨年ヨーロッパカップに出たことにより、MK社員の皆さんほか、MK新聞を読まれたお客様、地域の方々からも「仕事しながら大変だけど、来年も頑張って!!」と応援の言葉をいただき、とてもありがたく感じています。
社内でも知られてきたことにより、夏場にスキー板を持っていても「頑張ってるね」と言われるようになり、とてもスキーのしやすい環境になってきました。

日本代表になれたから出場できるのではなく、周囲の方々、上司が出やすい環境を作ってくれたからこそだと思っています。
もし僕がMKじゃない会社にいたら、「またスキーか」と言われていたかもしれません。
でもMKでは「頑張って行ってこい」と言ってくれます。僕はその言葉だけで充分です。
特に、大会期間中、僕が抜ける穴をカバーしてくれる上司・部下・仲間たちにとても感謝しています。いつもありがとう!!

 

 

MK新聞掲載記事(2008年)

4年連続の日本選手権出場(2008年4月16日号)

MK新聞2008年4月16日号

MK新聞2008年4月16日号

2008年3月21日、エムケイ自動車の“飛べる自動車整備士”鈴木亮職員が、札幌・ばんけいスキー場で開催された「フリースタイル スキー全日本選手権 デュアル モーグル 2008」に出場した。

ワールドカップ優勝の上村愛子選手と

ワールドカップ優勝の上村愛子選手と

この大会、上村愛子選手や里谷多英選手なども出場する国内トップクラスの大会だ。
鈴木亮選手は、スキー場に恵まれない京都で整備士をしながら、また10代~20代の選手が多い中で35歳という年齢もものともせず、4年連続出場という結果を出し続けている。

自動車整備士とスキーを両立している鈴木亮職員

自動車整備士とスキーを両立している鈴木亮職員

鈴木亮選手は、平日はエムケイ自動車の自動車整備士として、MKタクシー伏見営業所の車両整備を担当。
勤務は早朝5時から15時まで。特殊な勤務体系を利用して、シーズン中は金曜の仕事後すぐにスキー場に向かい、土日は練習に大会にと休む間もなく動いている。
時には夜勤明けでそのままスキー場に向かうことも。練習時間の限られた中でメリハリを利かせ、仕事とスキーを文字通り両立させている。

 

 

MK新聞掲載記事(2009年~2015年)

2度目の国体出場(2009年2月1日号)

MK新聞2009年2月1日号

MK新聞2009年2月1日号

自動車整備士としてMKで働きながら一線級のモーグルスキーヤーとして活躍を続けるエムケイ株式会社整備課の鈴木亮職員が、2009年2月17日~19日に開催される「トキめき新潟国体」のモーグル競技に出場する。
国体への出場は7年前、28歳の時に出場して以来だが、それからMK入社後もトレーニングを続け、全日本選手権に5年連続出場、ヨーロッパカップといった国際大会にも2度の出場を果たしてきた。

MKのハートマークの前で

MKのハートマークの前で

振り返れば、主要大会への出場はほとんどがMKに入ってから。
平日は早朝からみっちり働き、週末にはスキー場へ向かいみっちり練習。
メリハリをつけた練習で、社会人として働きながらでも一線で活躍できることを示してきた
「入社してからもう一度出たいと思っていた国体に出られたのは、この7年間、休むことなく自分の力を維持、向上させてきたから。ここまで来られたのもみんなのバックアップのお陰。MKから国体に出られたことは胸を張れることやし、会社にも恩返しができたのではないかと思います、」(鈴木亮職員)

2008年3月15日の全日本選手権

2008年3月15日の全日本選手権

国体男子の部は2009年2月18日(水)午前9時より、新潟県十日町市の松之山温泉スキー場にて予選~決勝が行われる。
今冬も鈴木選手の滑りに期待がかかる。

 

自己最高の日本ランキング16位(2012年4月1日号)

MK新聞2012年4月1日号

MK新聞2012年4月1日号

 

40歳整備士、自己最高更新

MKで自動車整備士として働きながらモーグルスキーヤーとして活躍を続けるエムケイ自動車の鈴木亮職員。
今年2012年に40歳を迎えるが、今季国内大会の初戦から6位、4位、7位と連続入賞と好調をキープ。
全日本スキー連盟(SAJ)登録555選手中、自身最高の16位にランキングされた。
平成生まれの選手たちが上位を占める中で、異色の輝きを放つ鈴木選手に話を聞いた。

大会でバックフリップを決める鈴木選手(2012年3月3日、ハチ北高原スキー場で開催された「第5回西日本モーグル大会」にて)

大会でバックフリップを決める鈴木選手(2012年3月3日、ハチ北高原スキー場で開催された「第5回西日本モーグル大会」にて)

 

ライバルは昨日の自分

30歳を過ぎてモーグルにのめり込み、MKに入社。
僕がこの歳になっても選手を続けているのは、今も進化を実感し続けているから。
誰かライバルがいるわけではなく、「昨日の自分がライバル」だということ。
人間は日々進化し続けなくてはいけないのです。これはスポーツだけでなく、日々の生活や仕事にも言えること。
昨日の自分を上回るということは、自分自身が成長しているという証しなのです。

 

失敗したら成功すればいい

今のモーグル界は、僕と親子ほども歳が違う中高生たちが中心。
僕が競技を始めた頃と違って、今は情報がものをいう時代。
回り道をせず、正確な知識を持った良い指導者につき、真っ直ぐに力を伸ばしてきています。
その点、僕は失敗や回り道を繰り返してきました。しかし、全ての失敗は、1回の成功によって何にも代え難い「経験」になるのです。

ユニフォーム姿の鈴木選手

ユニフォーム姿の鈴木選手

 

大切なのは「目標」と「悩み」を持つこと

33歳で、一度でいいから出場したいと思っていた全日本選手権に初出場。
それ以来、気づけば今季で7度目となりました。
その間に、世界大会(ヨーロッパカップ)に2回、国体にも2回出場してきました。

モチベーションを持ち続けるために一番大切なことは、「目標」と「悩み」を持ち続けることです。
目標を達成するためにはどうしたらよいか?課題を解決するためには「悩み」が出てきます。
ひとつ悩みを解決すれば、新たな悩みが出てきます。人生と同じで、それを繰り返すことで自分を成長させることができるのです。

僕は1年間ずっとスキーをしているわけではなく、夏には趣味のサーフィンにもよく行きます。
要は、「いつ頑張るのか」。そのタイミングが重要です。
試合は突然やってきません。試合の日から逆算して、そこに照準を合わせて目標を立てます。その目標を達成するための「悩み」をひとつずつクリアしてレベルアップしていくのです。

今年で40歳。目を輝かせながら語ってくれた鈴木選手は、再び仕事に戻っていった

今年で40歳。目を輝かせながら語ってくれた鈴木選手は、再び仕事に戻っていった

 

「あきらめない力」社会人の星であり続けたい

よく「どんな練習をしているの?」とか「毎日しているの?」とか聞かれますが、僕は社会人です。
毎日滑れるはずもなく、雪のある週末だけが練習のチャンスです。
限られた環境の中で成績を残せるのは、能力や体力があるからではありません。
ひとつ他の人と違うとしたら、「ひとつのことを最後まであきらめない」という気持ちが優れていたのかもしれません。

トップアスリートであっても、誰でも緊張するものです。緊張しすぎてもいけないし、緊張しなさすぎてもよくありません。
緊張のコントロールができるのはこの歳だからかもしれません。若い選手が多い中、「MKの星」として、いや「社会人の星」として頑張っていきたいです。

 

ソチオリンピック最終選考会で5位(2014年2月1日号)

MK新聞2014年2月1日号

MK新聞2014年2月1日号

 

最後まで!!諦めない42歳モーグルスキーヤー

MKで自動車整備士として働きながら、モーグルスキーヤーとして活躍を続けるエムケイ自動車の鈴木亮職員。
今年2014年に42歳を迎えるが、去る2014年1月13日の全日本スキー連盟公認A級公式戦(斑尾高原スキー場)で、自己最高の5位入賞。
年齢を感じさせない鈴木選手に話を聞いた。

 

「攻め」の気持ちでチャンスに変える

今大会は、2月に開催されるソチオリンピックの代表最終選考会でもあります。残り2枠の出場権をかけて全国から選手が集まる、レベルの高い争いになりました。
なかには、シーズン前の11月から北米で強化合宿を行ってきた選手もおり、周りは日本トップレベルの10代を中心とする選手ばかり。
そんな中、決勝に勝ち上がれるのは12名のみ。若い選手たちの中、全日本選手で最高齢の私は、予選7位で決勝に進出することができました。

さらに、昨年から導入されたスーパーファイナルに進出するには、12名中上位6位に入らなければなりません。
予選トップの選手でも、守りに入って失敗でもしたら、一気に12位に転落する可能性もあるのです。
「ココや! ココがチャンスや!」。
この日一番の緊張と驚異的な集中力で会心の滑り
上位6名に入り、スーパーファイナルに進出。最終結果は予選から順位を2つ上げ、国内A級公式戦では人生初となる5位入賞を果たしました。

 

人間、志を立てるのに遅すぎるということはない!

振り返ると、モーグルで全日本選手になると決めて取り組んだのは、14年前、27歳のときでした。
周りからは「雪国の人たちに勝てるはずがない」「みんな子どもの頃からやっている」とか、なかには「全日本は選ばれた特別の人たち」と散々言われました。
最近では「もういい年なんだから」「そろそろ落ち着け」「いつまで飛んでる?」とキツイ意見も。
しかし、決めるのは自分なんです。
「新しいことを始めるとき、必ず周りの反対がある。しかし、周りを説得させる力を使うくらいなら、目の前の自分の決めた目標に力を入れた方がよっぽどよい!」
自分を持ち、信念を持ち続けることは簡単なことでありませんから。

大技! グラブバックフリップ

大技! グラブバックフリップ

 

仕事でも「行動」を起こす

失敗を恐れて行動を起こさない人は、その時点で一番の失敗をしています。
これは、ビジネス社会においても同じことが言えるのではないでしょうか。
「行動が全て成功につながることはないが、行動のないところに成功は生まれない」。
現在私は、エムケイ自動車で営業販売活動をしています。
お客様にセールスをして断られることはよくあります。もちろんへこみますし、嫌なものです。
しかし、セールスをしない人に契約は生まれません。

表彰状を手に、コーチでもある奥様と記念撮影

表彰状を手に、コーチでもある奥様と記念撮影

 

人生を賭けられるのは夢だけ…

アスリートとして競技生活14年。どれだけの時間とお金を費やしたかわかりません
手に入れたものは、たった1枚の紙(表彰状)だけど…。「人生を賭けるのに値するのは夢だけ。」
気づけば今年で42歳。本当に長かった。諦めずにずっと続けることの大切さを、モーグルで学びました。
14年という長い月日が、いろんな人に出会わせてくれ、経験も挫折も全てが今の私にとっての財産になっています。
「思い通りの人生にはなっていないが、よかったと言える人生になっているのは確か」。
今まで散々振り回してきた、コーチでもある妻・由紀子に感謝したい。

 

国体で京都府チームが7位入賞の快挙(2015年5月1日号)

MK新聞2015年5月1日号

MK新聞2015年5月1日号

 

2015年シーズンを終えて。43歳現役モーグルスキーヤー

MKで自動車整備士・セールスマネジャーとして働きながら、現役全日本モーグルスキーヤーとして第一線で活躍を続けるMK自動車の鈴木亮職員。
2015年2月に開催された第70回冬季国体において、鈴木亮選手率いる京都府モーグルチームが7位入賞。
鈴木亮選手に仲間と勝ち取った喜びを聞いた。

京都府モーグルチーム

京都府モーグルチーム

 

雪なし県の快挙!

27歳から始めたモーグル、3度目の国体で初めて入賞しました。
「雪なし県」と称される西日本、特に京都府はモーグル練習環境が整っていないなかで、北海道や富山県の強豪を抑えての7位入賞は快挙と言えるでしょう。
43歳の私が京都モーグルチームを引っ張って16年間でようやくここまでのチームに育ったという思いです。
京都から、予選1位で次のピョンチャンオリンピックの出場も確実視されている成年女子の選手が出てきました。
モーグルを京都の次世代に伝えられた、その喜びで一杯です。

7位入賞の賞状

7位入賞の賞状

今シーズンは個人的にもA級公式戦で7位入賞が2回あり、来シーズンの全日本シード権を獲得しました。
来シーズンは、5月に生まれてくる子の父親になっての全日本出場となります。また新たな気持ちで大会に望めそうです。

 

挫折しかけた心

でも正直なところ、シーズン前には、結婚を機に引退も考えていました。
コーチである妻が妊娠のため大会に来られなくなり、心の支えを失ってしまいました。仕事においてもセールスマネジャーとしての新たな責任を果たさないといけないプレッシャーのなか、そんな環境の変化に引退を考えました。
しかし、周りの方々が私に力をくれました。

1つは全国の競技仲間の支えです。
昨年10月の挙式に、全国から270名もの人が集まってくれました。
なかでも私たち35歳以上で結成した「華麗衆」(加齢臭をもじって命名)のメンバーは、皆それぞれに仕事と競技生活とを両立させ奮闘しています。
彼らはライバルでもありよき仲間です。10代~20代前半が主流のモーグル選手に割って入り、入賞を獲ろうと皆で誓い合いました。

北海道の全日本選手権で「バックフリップ」を決めた鈴木選手

北海道の全日本選手権で「バックフリップ」を決めた鈴木選手

 

誇りでもあり活力でもある仕事とモーグル

もう1つはお客様からの応援です。
昨年からセールスの仕事をするようになり、スーツを着る機会が増えたのですが、顔が日焼けして黒いので、よく上司に怒られました。
やはりセールスマンは顔が黒くてはいけないのか?と美白クリームを塗った時期もありました。
ところが、実際にはお客様からご理解いただくだけでなく、「一生懸命に一つのこと貫いているのだから胸を張っていいよ」「国体に出場するなんて、あなたは京都の星ですよ」との励ましの声もいただきました。

私は幼い時から英才教育を受けたわけではありません。
社会人にになってから始めたモーグルです。だからこそ、仕事とモーグルを両立することが私の誇りでもあり、それぞれが活力になっているのです。

 

これからも夢を貫く

大切にしていることが2つあります。
1つは「夢を持つこと」。どんな夢でもいいのです。
夢を持つことは生活そのものを充実させます。もう1つは「その夢をあきらめないこと」。
夢は特別な人に与えられたものではありません。誰でもが持てるものです。
私は天才的な能力を持つ人にはなれませんでしたが、夢を持つ人にはなりました。
何かをやらされて過ごす人生よりも、自分で目標を決めて日々を過ごす方がずっと楽しい人生。
次の夢は「全日本に出場している姿を息子に見せる」ことです。

スポーツで輝くのは若者だけではありません。いくつになっても本気になれることがあるというのがどれだけ素晴らしいか、もっと多くの方に知っていただきたいです。
そのためにもスキージャンプ界でレジェンドと呼ばれる葛西選手と同い年の私も自分のスタイルを貫きます。
モールグル界のレジェンドと呼ばれる日まで…

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