ノーベル平和賞 劉暁波 著『最後の審判を生き延びて』の衝撃|MK新聞連載記事
目次
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏よりの寄稿記事を掲載しています。
独裁に抗し、非命に斃れた中国のノーベル平和賞受賞者、劉暁波(りゅうぎょうは)氏を追悼する、MK新聞2017年9月1日号の掲載記事です。
以下はMK新聞2011年6月1日号に掲載された「『最後の審判を生き延びて』の衝撃」の再録です。
ただし、最後の小見出し「死してなお劉暁波を恐れる独裁政権」以下は、改めて書き下ろされました。
ノーベル平和賞 劉暁波 著『最後の審判を生き延びて』の衝撃
2010年から2011年初めにかけて世界の話題となった中国人、劉暁波の文集『最後の審判を生き延びて』(岩波書店)が刊行された。
一読して仰天、よくぞここまで、徹底的・根源的・本質的に中国共産党と中国社会のあり方を批判したものだ、と思うと同時に、これでは犯罪者として獄の人となるのも当然だろうという、変な納得をしてしまう。
入党―出世―権力
例えば、「毛沢東時代に作られた反人間性の道徳的廃墟の精神的遺産」として挙げられるのは「魂を失った」状態の普遍化と公開化(197ページ)であり、その結果、官界とやくざが結託して地方政権がやくざ化し、賄賂で政府を買収し、政府はやくざを利用して面倒な事件を処理する。
こうして中共官僚の振る舞いはやくざのトップに似てきて、批判・異議を許さない(227)とされる。
具体的には「闇工場の未成年奴隷労働」が糾弾される。
中共各級役人の冷酷無責任は公権力の私物化と役人独占的な任免権にあり、本来公衆から授けられる権限を一党私権にし、各級官僚が作りだすのは上から下への授権だけ。
子どもの失踪届けが出されても何もしなかった公安機関は、地元派出所の責任者を戒告しただけで、上級の警官は公に自分の怠慢を認めていない。
独裁党の道具である司法制度は、民衆には有能だが、官とやくざの結びつきには無能だと、言い切る。
北京市人民検察院は2009年12月に劉暁波を告訴したが、その告発の対象の一つがこの「闇工場未成年奴隷労働」問題で、劉は「煽動的」とされている(350)。
劉はまた、自分と議論をした大学3年生の言葉を紹介する。
「中国では何かしたければ入党せざるをえない。それで出世する機会が得られ、権力が得られ、物事がかなう。入党して何が悪い? 役人になったり、金持ちになることが悪いのか。そして、社会のために一般人を越えた貢献をなすことが出来る」。
劉によれば中共のやり方と若い学生の生き方(権力の奪取、掌握、維持)は内在的に一致し、この「利益第一主義」と「目的のために手段を選ばない」やり方は、中国数千年の歴史を貫いて、実際には変わったことはない(10)。
連想されるのはアメリカのジャーナリストD・レムニック著、三浦元博訳『レーニンの墓』(白水社)である。
「スターリン時代の社会は、共産党のいびつなシステムの内側を除けば、自己実現や自己表現のための真の選択肢を残していなかった。ほかのすべてのチャンネルを破壊してしまった。残っていたのは、党の巨大なヒエラルキー体制で、入学するだけでも党員でなければならない。それが唯一の機会だった(上巻272)。共産党組織は世界がこれまでに経験した最大のマフィア。ごまかしのコンセンサスと憲法で独占権力を守り、それをKGBと内務省警察の力で支えていた」(同289)。
このKGB出身のプーチン政権が民衆に提案する取引は「われわれに盗ませてくれ、そうすれば君を生かしておいてやろう」(同15)だと、レムニックは言う。
この驚くべき相似性!
知識・権力・資本の三位一体
劉暁波に戻ると、中国では民間自治組織への厳しい圧迫によって党組織や国家から離れた個人は一定の私的空間はあっても、公共領域で組織化・自治化した民間社会を形成できなくなっている。
天安門事件後、中共は運動に大きな力を及ぼした知識エリートに対して、まず血の弾圧で恐怖を抱かせ、続いて利益によって彼らを誘惑する方向で動き、知識界は「尻馬に乗る」茶坊主になろうとしている。
これは知識・権力・資本が結びつく三位一体の利益問題(102)である。
さらに、その批判は中国人の「性欲、物欲」から売春産業にまで至り、高官の恣意的な人事登用と商業界の競争で、愛人秘書、広報スタッフ美女、接待美女などが贈り物になり、客人に「ひと遊びしてもらう」ことが取引での当たり前の礼儀になった(184)。
劉は怒りに満ち、憂慮に満ち、それはほとんど絶望の淵からの叫びである。
徐友漁の「あとがき」によると、劉は1955年生まれ、文化大革命を体験し、農村で「再教育」を受け、建築労働者を経て77年に有名大学吉林大学に入学、卒業後、北京師範大学入学、のち母校で教職につく。
1988年、89年とノルウェーとアメリカの大学で講演、89年に北京学生の民主化運動が盛り上がると、コロンビア大学の研究訪問を中断して帰国をし、3人の知識人とともに学生のハンストに加わり、逮捕。公職を解かれ、91年初めまで拘禁され、08年12月8日、「〇八憲章」署名活動によって、翌年12月25日、国家政権転覆煽動罪で懲役11年の判決(367~8)を受けた。
また「訳者解説」によると、天安門事件後、劉は政治犯収容の泰城監獄で2年を送り、ここで彼は「罪を悔いる書」を当局に提出した。
出獄後、それに罪の意識を持ち、92年、台湾で『最後の審判を生き延びた人間の独白』を出版、自分の醜い行いをえぐりだして自己批判をし、同時に、「革命の大義をかかげて内部で派閥抗争し、デマを流し、他人の言論の自由を認めない」など、運動そのものへの批判も行い、劉への批判も出された(394~5)という。
死してなお劉暁波を恐れる独裁者
追加の原稿を考え始めたころの2017年8月2日、夜10時のNHK BS『国際報道2017』特集「中国の人権はいま」が放送された。
テーマは2015年7月9日から、人権問題などに取り組む弁護士ら300人余りが一斉に当局に拘束され、行方不明になった「七〇九事件」。
その家族を追って香港映画監督盧(ろ)敬(けい)華(か)が中国本土に渡って妻たちを取材し、ドキュメント『七〇九の人たち』を製作、その公開に合わせて来日した盧監督が出演した。
夫と面会できない妻は悲しみ、無力感、恐怖に捕えられるが、去年6月、「何もしなければ事件は少しずつ忘れられていく」と赤いポリバケツを持って街頭に立った。
10分後警察に取り囲まれて1日拘束されるが、その後も夫の名前を書いた服を着て、街を歩いた。
妻の一人は「些細なものでも声を挙げなければ政府は現状や体制に満足していると思ってしまう」。盧監督は「習近平はすべてを押さえつけている。強大な権力を持っている。その一方で、明日にでも崩壊するかもしれないという感覚が頭から離れないのではないか」。
私が昨年、4泊5日の短期間ながら中国に滞在した時にも直感的に「習近平は国民を恐れている」と思った。
「声を挙げることを恐れない人たちがいる限り希望はある」(盧監督)。
さて、劉の著書を読み返して、見逃していたことに気が付いた。その一つは、魯迅、郭沫若など中国近代文学の六大家に触れていること。
劉は55歳で早死にした魯迅について「文学のあるいは入格という点では、最も幸運だった」と言う(216ベージ、2005年執筆)。
「自己批判書を書かされ、自分を辱めることもなかった」。確かに反権威、反権力を貫いた魯迅は独裁国家では生きられなかったろう。
劉は仮借ない独裁批判によって獄に繋がれた。2009年の刑事判決文は「共産党の歴代の独裁者たちが最も気にかけたのは手中の権力で、最も意に介さなかったのが人の生命である」などの劉の文言を引用して、「国家政権転覆扇動罪」の判決を下した。
彼はインターネットの効用を高く評価.しており、「中国入が奴隷状態を脱し、自由を勝ち取るための最高の道具』(256、2006年執筆)とまで言っている。
しかし、その死後、中国ではSNSで彼に関連する語句は検索できなくされている。
劉暁波死して(殺されて)なお習近平一派はその遺骨までもこの地上から消し去った。
(2017年8月5日記)
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フリージャーナリスト・加藤勝美氏について
ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。
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1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)