書評「チェルノブイリの祈り」|MK新聞連載記事

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書評「チェルノブイリの祈り」|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏よりの寄稿記事を掲載しています。
スベトラーナ・アレクシェービッチ著「チェルノブイリの祈り」(松本妙子訳)の書評記事です。
MK新聞2016年3月1日号の掲載記事です。

悲しみ、怒り、絶望、鎮魂が満ちみちて

チェルノブイリの祈り 岩波現代文庫、2011

チェルノブイリの祈り 岩波現代文庫、2011

読み進めながら、深いふかい溜息が続く。
それでもやはり、この本について書き留めておきたい。それは何故なのだろう。
ロシアには「アネクドート」と呼ばれる独特の小話の伝統がある、例えば、「チェルノブイリのりんごをたべてもいいでしょうか」。
「よろしい。ただ食べ残しは地中深く埋めるように」(52ページ。以下、カッコ内数字はページを示す)。

30年前の1986年4月26日、チェルノブイリ原発第4号炉の原子炉と建屋が爆発で崩壊、全世界を震撼(かん)させた。
事故の1年目は菜園で採れたものは絶対に食べるなと言われたが、大豊作のため、冬場に備えてみな貯えた。
キュウリもトマトも、「味は普通だよ」と言って食べる(137)。
体中に黒い斑点ができている妻と娘を病院に行かせた。痛くもかゆくもない。
検査の結果を聞くと、「あなた方のための検査ではない」と言われた。
6歳の娘をベッドに入れると、父の耳元でささやく。
「パパ、あたしね、生きていたい。まだちっちゃいんだもの」(48)。
娘は、生まれたとき赤ちゃんではなかった。
生きている袋。開いていたのは両眼だけ。
カルテにはこうある、「肛門無形成、膣(ちつ)無形成、左腎無形成」。
教会で神父に話すと、こう言われた。
「自分の罪を許してもらうよう祈りなさい」でも、私がどんな悪いことしたというの?(93)。

ある軍人の給料は400ルーブルだったが、あそこでは1000ルーブル。
3年過ぎた頃、1人、2人と発病し、死に、気がふれた者もいる。
自殺者も出た。「ぼくはアフガンに2年いたし、チェルノブイリに3ヵ月いた。人生でもっとも輝いて意いた時期なんだ」(83)。

事故処理作業者は、みんな昇給を夢見ていたという。
特典が約束され、アパートを優先的にもらって、あばらやとおさらばする。
線量測定値をチェックする者などいない。

毎月運ばれてくる新聞には「チェルノブイリは献身的行為の場」、「原子炉は制圧された」、「高い自覚と整然たる規律性」の見出し(104)。
放射能に汚染された土を運ぶ青年は「一往復で50ルーブル稼げる」という。
当時はそれでちゃんとしたスーツを買えた(234)。

化学者で線量測定員だったヤローシュク大佐は汚染地を歩き回り、汚染の最高地点の境界線を定めた。
その大佐は身体が麻痺し、寝たきりとなった。国は何もしない。

「チェルノブイリの盾」副理事長は「国は詐欺師だ」という(146)。
アメリカ製のロボットが屋上に送り込まれた。
5分間だけ仕事。日本製のロボットも同じ。
しかし、ロシア製はなんと2時間も。無線機で指令が来て、「兵士イワノフ、下に降りて一服してよろしい」(211)。

ある国立大学講師の記憶では事故が起きて数日のうちに放射能やヒロシマ、ナガサキについての本、レントゲンの本まで図書館から姿を消した。
パニックが起きないようにという、上からの命令だと噂された(98)。
あるタクシー運転手の話では、鳥は目が見えず、気がふれたかのようにフロントガラスに落ちてきた。
「なんか自殺みたいだ」という(99)。
ある映画カメラマンが被災地の取材に行った。りんごの花が咲き、マルハナバチが飛ぶ。
住民は働き、果樹園は花盛り。
しかし、何かが変だ。匂わないのだ。匂いを感じない。
放射線値が高い場所では体がそういう反応を示すということを後で知った(125)。

ある猟師が婆さん1人が住む家に行った。
そこでは母犬の周りに子犬がたくさんいて、彼の手を嘗(な)めて、じゃれつく。すぐに撃ち殺した。
それらをダンプカーに山盛りにして、「放射性廃棄物埋設地」に運ぶ。
そこはただの穴。シートを底に敷けとか、高い場所を探せと指示されていたが、だれも守らない。
ある化学技師は言う。「放射性廃棄物埋設地というのは複雑な工学的構築物だと思っていたら、ただの丘だった」。
作業に使われたダンプカー、ジープ、クレーン車はそこに残された(金属は放射線を蓄積し取り込む)。
だが、それらはどこかに消え失せた。盗まれたのだ(174)。

文庫本で約300ページ、ほとんどありえないような話が延々と続く。
そのほんの一部を書き写すだけでも、気が滅入る。精神衛生によくない。
そして、作者は「この本はチェルノブイリについての本ではない」と書く。
目次を見直して気がつくのだが、冒頭に「孤独な人間の声」があり、それは事故処理で死んだ消防士ワシーリイの妻リュドミーラ・イグナチェンコの夫への愛の言葉だけが記されている。
結びも「孤独な人間の声」であり、それは事故処理作業者の妻チモフェエブナの亡父への愛の言葉だけが記されている。
そこには作者スベトラーナの“祈り”が籠(こ)められている。
昨年、ノーベル文学賞を受けた。

『アフガン帰還兵の証言』三浦みどり訳、日本経済新聞社、1995年。

『アフガン帰還兵の証言』三浦みどり訳、日本経済新聞社、1995年。

作者は1948(昭和23)年、ウクライナ生まれ、国立大学のジャーナリズム学科卒。
同じ作者による『アフガン帰還兵の証言』という本をちょうど5年前に古本屋で見つけて買ってあった。
これは悪名高いソ連のアフガニスタン侵略戦争から生き残って帰った兵士や看護婦、子どもを亡くした母親の証言を集めたもの。
原題が『亜鉛の少年たち』で、出版されると作者の自宅への非難と共感の電話が鳴りっぱなしとなった。
亜鉛は死体が入った棺(ひつぎ)のことで、1992年6月にベラルーシ劇場で上演されると、客席は総立ちとなり、沈黙したまま長い間立ち去らなかったという。
この本のごく一部を紹介すると、例えば、前線の負傷兵を手当てする医療器具について、「9年間で、国産品は何一つ新しい物が現れなかった。包帯も、添え木も同じ。ソ連の兵士は最も安くつく兵士だ」(66)。
かつては、祖国という言葉を口にすると、唇が震えたが、今は何も信じられない。
やがて新聞は「すべてが正しい」と書き始め、それで正しいことになる(75)。
亜鉛の棺で息子が帰ってきた。
信じられない母親は徴兵司令部に行って、どんなふうに死んだかを聞く。
「そういうことは公表してはいけないことになっている」と怒鳴りつけられた(105)。
墓には「戦死者」と書くことは禁じられていた。
彼女は「書かないでおられないことだけを書く」という(『証言』2)。
息苦しいプーチン・ロシア社会の中でその姿勢を貫く姿に深い敬意を捧げたい。
(2016年2月7日記)

 

大地に感謝して生きる 大森ちえ

山に白い雪が降り、子どもの頃には自分の背丈ほどのつららがよくできましたが、今回久しぶりにそんなつららを見ることになった寒波。
子どもの頃はソリやかまくら、除雪をして一日があっという間に過ぎました。
あまりの寒さに妹の手は霜焼けになり、かわいそうだったのを思い出します。
家の中は、外と変わらず寒いですが、去年手術をしたので寒い冬を過ごすのは厳しい、と父。
みんなで実家をリフォームし、私と彼(夫)も大工道具を持ってあ~す(実家の農場の名前)に通いました。そして今は交代で泊り込み、父を看ています。

そんな中、妹のあいが父の先輩から預かった本を持って帰ってきました。
読み進めると、知っていると思っていたけど実は知らなかった世界が書かれていました。
『チェルノブイリの祈り 未来の物語』スベトラーナ・アレクシェービッチ。ウクライナ出身の女性ジャーナリストが、チェルノブイリの原発事故に遭遇した人々の声を伝えている本。
一人ひとりの声はただ真実を語っている。
アレクシェービッチ氏は「チェルノブイリは私たちの解き明かさねばならない謎です」と言っています。
チェルノブイリの大地で起きた事実と人々の現実と問い、証言は、フクシマに通じると思います。

私は学のある人間ではないけれど、チェルノブイリのことは小さい頃から知っていました。
私の誕生日とチェルノブイリの事故が同じ日だからです。
子どもの頃から「原発はいらない」と感じられる環境でした。
カレンダーの広河隆一さんの写真を見て育ち、その写真にはベッドに横たわる子ども、女性は子どもを抱いていますが、どちらも悲しい表情です。
また、私の誕生日に電話が鳴り、「ちえちゃん、原発をなくすんだよ」と言われたことを思い出します。

大地とは、「人間や万物を育むものとしての土地」と辞書にありましたが、次の世代を生めない、育てられない、愛してはいけない大地とはなんなのでしょうか?
「戦時中、私たちは焼けだされ、土のなかに住みました。半地下小屋に。兄と二人の甥が殺された。私の一族では一七人が死にましたよ。母は泣きつづけました。村をまわって物乞いをしているおばあさんが母にいったのです。「なげいていなさるのか? 悲しみなさるな。人のために命をささげた者は尊い人間なんだよ」。
チェルノブイリは戦争に輪をかけた戦争です。人にはどこにも救いがない。大地のうえにも、水のなかにも、空のうえにも。」(56ページより引用)。

父がこの山村に来て、30年。長男・次男もそれぞれ家族とともに住み、私は彼と2人、古民家を営繕して2人ではじめたばかりの山暮らし。
大地に感謝して生きていけるよう、日々、模索中です。

※大森ちえさんは本紙の連載「自給自足の山里から」筆者、縄文百姓・大森昌也さんの娘さんです。
(編集部)

 

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フリージャーナリスト・加藤勝美氏について

ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。

MK新聞への連載記事

1985年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1985年11月7日号~1995年9月10日号 「関西おんな智人抄」(204回連載)
1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)

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