ロンドンからパレスチナへ④|MK新聞連載記事
目次
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏よりの寄稿記事を掲載しています。
パレスチナカメラマン・桐生一章氏のロンドンからパレスチナへ④「水の自由のないヨルダン渓谷」です。
MK新聞2015年3月1日号の掲載記事です。
水の自由のないヨルダン渓谷
パレスチナ領内の検問所
ナブルスからヨルダン渓谷に行くことにした。
ヨルダン渓谷はナブルスから1時間ほど。
日本人の知り合いの方がヨルダン渓谷で平和活動をしている人を紹介してくれたのだ。
ナブルスのタクシー乗り場でその村まで行くタクシーを探す。
簡単に見つかるが人が集まるまで出発しないので一時間ほど待つ。
だんだん人が集まってきたと思ったら人数超過で出発。
狭い車内の一番後ろに座る。出発するがまた道すがら客を拾うのでまた狭くなった。
狭いなあと思いながら座っているとイスラエルの検問所だ。心構えが無かったのでちょっと驚く。
時間はもう午後四時を過ぎているし、これからどこに行くかは言いたくない。
ジェリコ(世界で一番古い街、パレスチナ自治区内)に行くとでも言おうか。
深めに座って身を隠すようにする。兵士は車内を一瞥しただけ。ほっとして出発する。
検問所はパレスチナとイスラエルの境だけにあるわけではない。
毎日こういったパレスチナ領内にある検問所でチェックを受けてから仕事に行くパレスチナの人たちが大勢いる。
ある日突然閉鎖され仕事に行けないことも多い。
自分の生まれた土地なのに不自由を強制されている。
タクシーの運転手は村の名前しか知らない。
村に着いた後どうやってその人を探そうかと考えていると運転手が着いたという。
あたりは薄暗くなりかけている。降ろされたところは山間の畑が広がる見晴らしのいいところだった。
ヨルダン渓谷らしい植物の生えていないきれいな山並みが緩やかに連なっている。
標高は500mぐらいではないだろうか。
村の入り口あたりに降ろされ、さてどうしようかと考えていると自分を呼ぶ声がした。
呼ばれた方を見てみると一人の男性が屋根の上からこちらに向かって何やら言っている。
彼はここで平和活動を続けているムスタファさんだった。運転手はこの村に外国人が来るならここしかないとわかっていたのだろう。
平和活動のための家
ムスタファさんは屋根の修理をしているのだった。
彼が修理している建物は彼自身の平和活動のために使っている家だ。
海外から来た人はそこで寝泊まりができるようになっている。壁、屋根は土を使っている。
地面が盛り上がってできたような家だ。実際滞在中に壁に土を塗った。
ムスタファさんはここに住んでいないがほぼ毎日彼の家がある街から車で通っている。
彼はリーダーシップをとるのがうまいようで、僕がいる間いつも明るく周りの人を巻き込んで楽しく家の修理などしていた。
いつも冗談を言っている印象のある人だ。
僕が訪れたときはポーランド人男性とスペイン人女性が滞在していた。
男性の方はアナーキストらしい。本国で自分の記事をアナーキストの新聞に載せると言う。
女性の方はベドウィンたちの記録映画を作る予定でその準備に来ているらしい。
2人ともここには長く滞在しているようだ。
家は大きくて女性用と男性用の寝室に分かれている。リビングルームもありネット環境も整備されている。
パレスチナ人の人家族がその家に間借りしているような感じで住んでいた。
家族は両親と10歳ぐらいの男の子と少し年下の妹とその下に3歳ぐらいの小さな子がいた。
台所はガスがないので木を使って火を熾(おこ)すというものだった。これが気に入ったので滞在中はよくお茶をいれる係を引き受けた。
ムスタファさんはたまに廃材を持ってきて薪の補充をしていた。
水道はなくどこからか水を引いてタンクに貯めている。食器を洗う場合は外に行かなければいけない。
泊まっている間に小さな蛇が家の中に迷い込んできたのは少し驚いた。
寝ているときに蛇が入ってくる隙間はいくらでもある。
イスラエルによる水の管理
パレスチナはエリアA、B、Cに分かれている。
Aは自治権、警察権の両方をパレスチナが管轄し、Bは自治権がパレスチナ、警察権はイスラエルにあり、Cは両方ともイスラエルが管轄している。
ヨルダン渓谷はエリアCになりイスラエルの占領政策の最も厳しいところだ。
エリアCはパレスチナ自治区内の主にヨルダン川添いに指定されている。
イスラエルの言い分ではヨルダンからテロリストの流入を防ぐためとされているが、水源確保の意味合いが強い。
パレスチナでは水の自由はない。
ここではパレスチナの人々はイスラエルの水道会社から水を法外な値段で買わなければいけない。
村には水道設備がなくタンクに水をつめて持ってくるのだが、そのときにイスラエル兵に嫌がらせを受けたり取り上げられることすらある。
農家は水の供給を受けられないために農作物が無駄になっていく。
しかし、イスラエル人がエリアCで営んでいる農家ではふんだんに水が使われる。
車で道を走っていると柵に囲まれて近づけないようになった水道のパイプを至るところで見られる。
自活できないパレスチナ人はイスラエル人の経営する農家に低賃金で働きに行かなければ行けないような状況だ。
もちろん西岸内のイスラエル違法入植地ではふんだんに水を使うことができる。
入植地には水泳プールまである。
ラマッラーやビリン村との違い
ヨルダン渓谷初日、買い物をしたいと言ったら商店の場所を教えてくれた。
徒歩で10分程度2車線の道路沿いを歩くのだが、時たまイスラエル軍車両が通る。
エリアCはイスラエルの軍用車が普通に走っている。
横をイスラエル軍用車が通って行くのは全く気持ちのいいものではない。自分は気が小さいのでなおさらだ。
ラマッラーやビリン村ではそんなことが起これば普通でないのだが、ここでは当たり前のことだ。
2日目に僕らはムスタファさんと農家に手伝いに行ったり、食料の買い出しに言ったりしていた。
僕は村の中を歩いてみたかったのだが村人が警戒するらしく村を歩けなかったのが残念だった。
後から気づいたことだがこの辺りは宗教色が比較的強いところらしく、女性が家族以外(村出身者ではない部外者)の男性と接触することを避けるらしい。
実際、ある農家を訪問したのだがその家の女性は僕らのことを警戒していることが手に取るようにわかった。
地元の男性でなければなおさらだろう。こういう場所では現地の人を通じないと交流がむつかしい。
ラマッラーやビリン村など外国人、ムスリムでない人たちに慣れているところではこんなことはあまり感じない。
イスラエル人の農地
パレスチナ人の農地
ヨルダン川周辺の風景はとても印象的だ。
基本的に山々には草木が生えていない。薄茶色の山肌が露わで山間や平地に農地が広がる。
たまに禿げ山で羊を放牧しているのが見える。かといって緑が少ないというのではない。
そこそこに畑や普通に生えている木々もある。
泊まっていた家の前の道を挟んだ向かいには羊を飼っている人がいてそこの前でお茶をごちそうになった。
焚き火を使って水を沸かし甘い紅茶にミントの葉を入れる。
言葉が通じなくてもお茶をごちそうになることができた。言葉が通じないから気まずくなるということはそんなにないのかもしれない。
焚き火に何回も使われて取手のプラスチックが溶けてぼろぼろになったやかんでミント入りのお茶を入れてくれる。
小さな茶色い生まれたての子羊を見せてくれた。
その周りを裸足の子供が木の切れ端を持って遊んでいる。子供たちが着ている服はすり切れてぼろぼろになっている。
すぐ道路に面しているところなので目の前をよくイスラエル軍用車が通る。
天気はすこぶるよい。空気は乾燥しており気温は十二月上旬でもまだ涼しいというくらいだ。冬のパレスチナはかなり寒くなる。
ヨルダン渓谷では、農地はイスラエル人とパレスチナ人の農地がある。
イスラエル人の農地は設備が管理されている感じで周りを2mほどの柵で囲んである。
パレスチナ人の農地は設備やその他でイスラエルに劣る。
ある訪ねた農家では水が確保できないと言っていた。
その農家では男手がないので家の修理を手伝ってほしいということなのだが、男性がそれも外国人が来るとなると話は違うようである。
手伝いたくてもそういう場合があってできないときもある。
家の前に広がるオレンジの木々は水がないので立ち枯れていくことしかできない。その家には立派な孔雀が庭に放し飼いにされていた。
自治権と警察権の両方がイスラエルの管轄だということは完全に占領地帯だ。
パレスチナでは(東エルサレムでも)家を立てるときはイスラエルの許可がいる。
建て増しも許可なしではできない。井戸を掘るのも許可制だ。そして許可が降りることはまれだ。
人間に必要な水や家屋をイスラエルが管理している。
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フリージャーナリスト・加藤勝美氏について
ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。
MK新聞への連載記事
1985年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1985年11月7日号~1995年9月10日号 「関西おんな智人抄」(204回連載)
1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)