喜寿のタンザニア紀行④|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏よりの寄稿記事を掲載しています。
喜寿のタンザニア紀行④「思わぬ大歓迎に大感激」です。
MK新聞2015年3月1日号の掲載記事です。
思わぬ大歓迎に大感激
「もう限界」
2014年8月26日(火)。
前回紹介した『おおきなかぶ』の上演の後、片岡雅子さんが持ってきていた折り紙の鶴や箱を子どもたちにあげ、私以外は皆実際に折ってみせると、われ先にほしがるので、際限がない。
ひと騒ぎの後、全員で記念撮影。
こちらでは 「チーズ」 ではなく「チャパティ」 だ。
帰る途中、アレックスさんがバナナ酒を造る店に案内してくれた。
ビールジョッキーほどの容器になみなみと注がれて出てきたものは混濁した色で見るからにまずそう。
好意を無にしないようほんの一口味わってみたが、流し込む気になれない。皆敬遠。
こうして宿に帰ることになったが、道をそれてアレックスさんの農地に入った。
柔らかな赤土の斜面に足を取られて転ばぬようにするのに一苦労。
息を切らしてようやく宿の背後に出たのは1時すぎ。日本を出てからもう8日目。疲れが出てきてもおかしくはない。
午後から小学校へ“巡業”する予定なのだが、ここで無理をすると翌日に支障が出るかもしれない。
「もう限界」 と言って、休むことにした。
こういう時は日本での日常を再現するのがいい。
昼食後、皆が出た後、少し横になってからティーバッグの日本茶を飲み、ポットのお湯に蜂蜜を溶かして飲み、外に椅子を出して少し書きものをし、本を読んだり、朝の体操を少し繰り返すと体が楽になった。
夕陽のきれいさに誘われて、カメラを持って歩き出し、キリマンジャロがくっきりと見える地点まで行くと、巡業帰りでにこにこ顔の一行にばったり。
この目の夕食は骨つき鶏もも肉の炊き込みご飯と、ニンジン、パプリカ、ピーマン、オニオンの煮物と、ポテト風味のバナナスープ。調味料はカラフー(ザンジバル産)と丁子。
園児たちの 「サラカシ」
8月27日(水)、ルカニ村滞在の最終日。朝食は昨夜の炊き込みごはんをそのまま温めたので、お焦げができていた。
小さい頃、釜で炊いたご飯のお焦げの握り飯をよく食べたものだが、電器釜ではお焦げにお目にかかることは絶無、何十年ぶりかだった。
後はチャパティに蜂蜜。
9時半に保育園などがある村の中心部へと歩き出して、村の事務所を訪問。壁に手書きの村の地図。
そばにコーヒー豆の村の供託所事務所と倉庫がある。
温暖化の影響で水不足になっており、コーヒーのフェアトレードの利益を森から引く潅漑(かんがい)設備に当てているという。
バナナは自家消費なので「女性作物」、コーヒーは輸出用なので「男性作物」と言うそうだ。
倉庫には上質の豆とそうでないものを分けて袋詰めにしていたが、計量機はイングランド製。
保育園に行くと、キマロ園長が近くの運動場へ子どもたちを連れ出した。
野原である。園長が「サラカシ」と号令するや皆一斉に横転など、いろんな運動を思い思いに開始した(写真)。
どうやら 「サーカス」 という意味らしい。
縄跳びをすることになり、子どもたちが近くの木の茂みに入って蔦(つた)を取ってきた。
縄など無いのだ。小さい子と遊ぶのはとてつもなくエネルギーを要することは孫で経験済みだから、野原を見渡して休める木陰を探すと、手ごろな木陰があった。
やがて、「サラカシ」に疲れた子どもたちも木陰にやってくる。
そういえば、バスで通った村々では必ず何本かの大樹が大きな影を提供していた。
帰るとき、キマロ園長はわれわれ全員にロースト前のコーヒー豆をプレゼントしてくれた。純粋キリマンである。
「ウントコショドッコイショ」の声が
午後からは大木がある見晴らしがいい場所への遠出。
アレックスさんはゆっくりしたペースを崩さずに歩く。
「ああ、御堂筋の反原発デモのペースや」と思いながら、昨日私だけ参加しなかった小、中学校前に差し掛かると広いグランドに生徒たちがぞろぞろと出てきたと思うと、驚いたことに一斉にわれわれに向かって「ウントコショドッコイショ!」。
思わぬ大歓迎にわれわれは大感激、誰も予想していなかった感動の瞬間。
これを書いている今はその時からすでに5ヵ月を経ているけれども、目頭が熱くなる。
片岡さんの喜びは深かった。「涙が出ました」。
山に近づくと道の脇を清水が流れている。
アレックスさんはそれを手ですくって口に含み「これは飲めます」。
大木に着いて程なく、迎えの車が来てくれたので、運転手さんに5人そろった写真を撮ってもらった(写真)。
ロボットダンスのマモー君は翌日からサファリグループに合流することになっていたので、クワヘリ(さよなら)パーティのため、帰路、ビールを調達。
夕刻、宿までキマロ園長が来訪、いつも通り、アレックスさん (クリスチャン) の短いお祈りの後、乾杯。食事が終った頃、村の小学校の男の先生3人もやってきて食事を始めたが、皿に盛った量は確実にわれわれの2倍はあった。
このうち2人はわれわれの宿にいつも寝泊まりしているという。
キマロ園長は先に帰り、あとは10時頃まで英語とスワヒリ語でにぎやかに。
この日がルカニ村滞在4日目、最終日。
28日(木)、5時ごろ全員起床、アレックスさんが焼いた卵焼き、チャパティと飲み物の朝食。
車で山を下ってバス停へ。出発までの時間、知り合いのコーヒー販売所でキリマンジャロコーヒーを買った。
路上で1人の女性が幼児と一緒にいて、物乞い。これが一種の“商売” の場合もあることは知っていたが、ポケットにあった何枚かの硬貨を幼児の手に。
別の場所で座っている男性は足がたぶんハンセン病でかなり崩れている。
札を1枚手渡すと 「アサンテ(ありがとう)」。タンザニア入りをしてからたびたび使ってきたのがこの言葉だった。
バスで5時間、ダルエスサラームに戻って、到着日に泊まったスリープインホテルヘ。
夜は旅行代理店ジャターズの中華料理店でのクワヘリパーティ。
各自が滞在の感想を述べることになり、私はアレックスさんへの深いふかいお礼を述べ、ルカニ村の朝の神秘体験と『おおきなかぶ』 の公演に触れた。
29日(金)、ホテルの朝食のとき用意されている西瓜(すいか)のジュースのうまさは格別。
そのあと、近くにある旅行代理店のジャターズ事務所を全員表敬訪問 (アレックスさんはここのスタッフの1人)。
その後昼過ぎまで自由行動だが、疲れていて積極的に行動する気になれない。
女性たちの布地買いに同行した。お土産あるいは自宅の飾り用らしい。
昼食後、ミニバスでドバイ空港に移動、関空行き3時間待ちの間、残っていたドルとシリングを使いきるため免税店でコーヒーと黒檀の首飾り2つを買って持ち金はゼロに。
この首飾りをだれにやったらいいものか。
帰りの機内のTV (前の席の後ろにある)で、アフリカ音楽の番組を探し出し、10時間もの飛行の間、ずーっと聞いていたのか、寝ていたのか、あの 「ボレロ」を編曲した女性ヴォーカルが印象に残った。
30日の夕刻、関空着。思いがけず、西宮に住む孫たちが迎えに来てくれていた。
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フリージャーナリスト・加藤勝美氏について
ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。
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1985年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1985年11月7日号~1995年9月10日号 「関西おんな智人抄」(204回連載)
1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)