東アフリカ タンザニア残照|MK新聞連載記事

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東アフリカ タンザニア残照|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏よりの寄稿記事を掲載しています。
元学校図書館司書の片岡雅子さんの「東アフリカ タンザニア残照」です。
MK新聞2014年11月1日号の掲載記事です。

東アフリカ タンザニア残照

2014年8月24~28日、東アフリカ、タンザニアのキリマンジャロ山麓にあるルカニ村に滞在した。
大学時代、東アフリカの言語・スワヒリ語を専攻していた私は、1988年夏、初めてタンザニアを訪問。
以来26年という年月を経て、やっと実現した再訪だった。

夢を叶えるために

「タンザニアへ行って図書館の子どもたちの様子を見てみたい」とずっと思っていた。
実は、今から遡ること15年前、大阪で学校図書館司書をしていた頃、「せんせい、アフリカの子どももたくさん本読むの?」「どんな本読むの?」と質問してきた男の子がいたのだ。
「どうだったかなあ?」答えに困ってしまった。
海外に出かけると、いつも書店に立ち寄るのだが、タンザニアではその記憶がなかった。
思い出すのは、雑貨屋で見た宗教の本、土地の歴史の本、小学校の教科書ぐらいだった。
彼は今でもあの時の質問を覚えているのかな?

本の記憶はなかったが、その一方でタンザニア、ザンジバルで出会ったおばあさんに昔話を語ってもらったことは、感激とともに私の胸に刻まれていた。
学校図書館でおはなしを語る時も、おばあさんの姿を自分に重ねていたように思う。
タンザニアでも、日本でも、おはなしはその場にいる全ての人を、ひとつにしてくれる。
おはなしの時間は、みんなでつくる幸せな時間だ。
いつかタンザニアを再訪する日が来たら、そこで会う子どもたちとも、そのような時間をもてたらいいなとぼんやりと思うようになった。
夢はすぐには叶わなかったが、突然の結婚で三重に移住し、子どもたちとのお別れを契機に大学院生となり、研究室の方々に応援していただきながら、来たる日を待ち続けた。

村のコミュニティセンターの中にある図書館の入り口

村のコミュニティセンターの中にある図書館の入り口

ルカニ村の小さな図書館との出会い

入学後、タンザニアの公共図書館に調査許可を申請したが、一向に手続きが進まなかった。
もう無理ではないかと諦めかけたとき、アルバイト先で見かけた児童向け雑誌、「コーヒーを飲んで学校を建てよう」(ふしはらのじこ文・絵 辻村英之監修「たくさんのふしぎ」2013年6月号 福音館書店)から、ルカニ村のことを知った。
コーヒー栽培が盛んで、京都大学の辻村英之先生がフェアトレードに協力してこられた村だ。
そこの小さな図書館も、フェアトレードでお金を得たことからつくられたのだという。
私は、どうしてもこの図書館に行ってみたくなり、旅行会社Jata Toursに相談し、ルカニ村滞在ツアー参加を決めた。

子どもたちの読書環境

滞在中に聞いた話によると、子どもたちの読書環境はよいとは言えない。本は庶民にとっては高価で、簡単に買えるものではない。学校の教科書などを買うことはあったとしても、おはなしの本など、娯楽のための本を買うことはないという。(教科書は1人に1冊配布では
ない。学校で数少ない教科書を何人かで共有)大都市ダルエスサラームの公共図書館には児童室があるが、年間登録料が必要。それを払ってまで読書をさせる親は少ない。子どもたちは教科書以外の本に、どれぐらい触れることができるのだろうか。なんだか悲しい。
この村の小さな図書館には、子ども向けの本も、大人向けの本もある。スワヒリ語で書かれた本も、英語で書かれた本も、おはなしの本も、知識の本も、分類されて並んでいた。子どもたちのお気に入りの本は、動物が出てくるおはなしの大型絵本。
「いつもこれを読みに来るのよ」なるほど、子どもたちはおはなしが好きなのだ。
この図書館は庶民に優しい。

おはなし会をした小学校の看板

おはなし会をした小学校の看板

おはなし会、大成功!“Untokodokkoisho!”

さて、滞在中の一大イベント、おはなし会についてである。
幼稚園と小学校の2ヵ所で行った。ロシアの昔話「おおきなかぶ」をスワヒリ語で語る。
他のツワー参加者も役者として協力してくださった。
この一大事のためにアルバイト先の仲間が譲ってくれた布製の「かぶ」も登場。
77歳の加藤勝美さんが、かぶを引っ張る。
「おじいさんはかぶをぬこうとしました。うんとこどっこいしょ。ところがかぶはぬけません」抜けないかぶを抜こうとして、おじいさんはおばあさんを呼び、おばあさんは孫を、孫は犬を、犬は猫を呼び、そのたびに「うんとこどっこいしょ」と掛け声をかけながら、かぶを引っ張る。
言葉の繰り返しが楽しいおはなしである。
「うんとこどっこいしょ。」の部分は、日本語のまま、子どもたちにも言ってもらった。
“Untokodokkoisho!”…子どもたちは楽しそう。
1回目の上演が終了した後、幼稚園の園長先生が「今度は私が役者になる」と飛び入り参加。
「誰が猫さんになるのかな?」「はい、私」と、まんまるお目々の女の子が、少し恥ずかしそうに手を挙げる。
「おおきなかぶ」は、キャストを変えて、また繰り返されたのだ。
タンザニア人も日本人も、いっしょになっておはなしを楽しんだ。
おはなしの後は、日本人大学生マモーさんによるロボットダンスが、子どもたちを魅了した。
くねくねと動かす手を、不思議そうな顔でみつめる子どもたち。
「ほらほら!みんなは踊らないのか?」と、園長先生が子どもたちをからかう。
こんなに幸せな時間を持つことができて、ほんとうにうれしい。

更にうれしいことは次の日に起こった。
前日のように、赤土の山道を歩き、小学校の前を通りかかろうとした時である。
”Untokodokkoisho”という声がかすかに聞こえてきたのだ。
一人ではなく、何人も、大勢の声だ。うれしくなって、足早に小学校に近づくと、声はだんだん大きくなる。
なんと驚いたことに、大勢の小学生が道まで出て来て、ニコニコ顔でこちらを見ながら、”Untokodokkoisho”を大合唱していたのだ。
歩いても歩いても、道に沿って数えきれない子どもたちの顔と”Untokodokkoiho!”の声が続く。”Untokodokkoisho! Untokodokkoisho!...”
「すごい! すごい!」うれしさで泣けてきた。おはなしは、私たちをひとつにしてくれたのだ。

白い靴下が真っ赤になる赤土の道

白い靴下が真っ赤になる赤土の道

今後に向けて

これから先、タンザニアの子どもたちの読書はどうなっていくのだろう。
書店には、おもしろそうなおはなしの絵本がたくさん並んでいたが、書店は閑散としていて、子どもを目にすることはなかった。
お世話になったドライバーに「今でもおばあさんは子どもたちにおはなしを語るのか」と聞くと、「それは昔のことだ。今はテレビ」とのこと。
よそ者のおせっかいなのかもしれないが、個人的には寂しい。
その寂しさを消し去るように、今も胸に残るのは、幼稚園の子どもたちの強烈なたくましさだ。
痛そうな石がいっぱいの野原を平気で転げまわり、「いっしょに走ろう」と私の手を友達と取り合いして、喧嘩しても離そうとしなかった子どもたち。
生きていく力に満ち溢れていた。

機会があれば、また日本の子どもたちにタンザニアのことを話したいと思っている。
子どもたちといっしょに、日本の私たちを見つめ直したい。

 

MK新聞について

MK新聞とは

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
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40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

ホームページからも最新号、バックナンバーを閲覧可能です。

 

フリージャーナリスト・加藤勝美氏について

ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。

MK新聞への連載記事

1985年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1985年11月7日号~1995年9月10日号 「関西おんな智人抄」(204回連載)
1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)

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